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 見えない鎖で頭を縛られているような、不快感だけの強い眠気。その見えない敵に抵抗を続けようやく振り切ったと思った瞬間、ソフィアは体を勢い良く跳ね上げた。
 目を覚まし見渡したそこは、見知らぬどこかの寝室だった。奥行きも広く調度品の豪華さから、かなりランクの高い宿の一室である事が窺える。
 部屋は薄暗く、薄手のカーテンからは橙色の夕日が射し込んでいる。あの古びた店で昼食を取ってからの記憶が曖昧であるところをみると、どうやら一服盛られそのまま眠ってしまったようである。
 状況を整理しようとしたその時、寝室のドアが外からノックされる。未だ整理途中の困惑した思考では冷静に対処出来ず、思わずソフィアは怒鳴り立てるような強い口調で答える。
「誰!? 何か用!?」
『エミリアルです。入ってもよろしいでしょうか?』
 聞こえてきたのは、聞き覚えがある程度に馴染んだ女性の声だった。散らばった記憶をかき集め声の主を求め遡るソフィア。ほどなくして、誰かに付き従っていた一人の人間に行き着く。
「いいよ! でも、ドアを開けるだけね!」
『それはどうしてでしょうか?』
「まだ記憶の整理が追いついてないから!」
 ドアの外のエミリアルは一言答え、ゆっくりと寝室のドアを開ける。そしてそのままソフィアの注文通り中には入らず、部屋との境界線に立った。自分が寝惚けているせいで気が立っている事を自覚しているだけに、エミリアルの落ち着いた振る舞いが余計に鼻についた。自分がこんな混乱を味わわされているのがエミリアルのせいにすら思えてくる。
「おはようございます、ソフィア様。お加減は如何でしょうか?」
「どうもこうもないわよ、いけしゃあしゃあと。よくもやってくれたわね」
「非礼の段、深くお詫び申し上げます」
「とにかく、何のつもりよ。人に薬盛っといてさ。近づいてきたのはそっちだし、何か理由があるんでしょう」
「はい、ヴィレオン様の御指示により、お二人が竜である事の確認をする為です」
「は……?」
 随分と直球を投げてきた。ソフィアは驚きが表情に出ぬよう、苛立ちを上塗りして動揺を押し隠す。
 竜との関係は一体どこから出てきた情報なのか。いや、それ以前に相手はどこまで掴んでいて、どんな意図で接触してきたのか。少なくとも上品ではない手段も辞さないような相手である事は確かだ。
「何言ってるの? 竜なんて、変な冗談よしてよね」
「冗談ではありません。睡眠薬でのテストも、竜はあらゆる毒物に対する耐性があると聞いた上での方法です。毒物でテストしては万が一人間だった場合死なせてしまいますから。ちなみに、ソフィア様は想定の時間で効果が現れましたが、グリエルモ様は睡眠薬を飲んだ事にも気づかず平然とされておいででした」
「馬鹿ね、グリは生まれつき睡眠薬が効かない体質なのよ。たまにいるじゃない、そういう人」
「その可能性も考え、グリエルモ様のみ猛毒のワインを差し上げてみました。結果、ボトルを全て空けられてしまいました。さすがに毒も効かない体質はないでしょう」
 自分が言ったのは嘘だが、もしもそれが本当なら今頃グリエルモは死んでいる。それすらも辞さず飲ませたという事は、一人二人殺しても何とも思わないのか、またはグリエルモが竜であると確信しているからのどちらかだ。だが、たとえどちらに転んだとしても危険な相手である事に変わりは無い。何とかして隙を窺って逃げ出さなければ。
「一体何が目的なの?」
「それにつきましては、多少話が長くなります。リビングへいらっしゃいませんか? コーヒーをおいれいたします」
「また何か入れてるんじゃないでしょうね」
「いいえ。ヴィレオン様からはくれぐれも丁重にもてなすよう、言いつけられておりますので。終わるまでの間、ソフィア様の生命は私が保障いたします」
「生命?」
 遠回しに何か重要な事を言われたように思え首を傾げるものの、そのままエミリアルはそそくさとリビングへ向かってしまったため慌ててその後を追った。リビングにはエミリアルの他に誰の姿も見られなかった。更に奥の給湯室からはミルを挽く音が聞こえてくる。よく耳を済ませてみるが、他にはお湯を沸かす音しか聞こえず、何者かが潜んでいるような気配は無い。そこまで確認し、ソフィアはリビングを見渡しやすい一番奥のソファーへ腰を下ろした。程なく給湯室からエミリアルが香ばしい湯気の立つカップを持って戻って来る。訝しげにソフィアは受け取るだけ受け取り、それをすぐテーブルへ置いた。
「ねえ、グリはどこ?」
「ただいまヴィレオン様と外出中です」
「外出? それでいつ帰って来るの?」
「お出かけ前に明後日の夕刻が予定と仰っておりました。それから一日経過しておりますので、明日には御戻りになられるかと」
「は、明後日? いや、私って丸一日寝てたのか」
 それは外出というよりは、どこかへ遠征でもしているかのような期間だ。あのグリエルモが自分に黙ってそれほど離れるとは到底思えない。けれど、嫌がるグリエルモを力ずくで従わせるのは、それこそ絶対にあり得ない事だ。
「どうして? グリは私意外に従わないはずよ」
「それにつきましては私から御説明いたします」
 エミリアルはソフィアに確認を取った上で向かいのソファーへ腰を下ろした。
「私が仕えるヴォンヴィダル家、その現当主であるヴォンヴィダル公は、三人の御子息のいずれかに当主を譲る事を決定いたしました。ヴィレオン様はその末弟で、二人の御令兄と当主の座をかけて争う事になったのです。ですが、ヴィレオン様は元々権威には興味の無い方、余計な争いごとは避けようと自らは辞退する旨をヴォンヴィダル公へ上申するはずでした」
「はずでした?」
「従者の私から申し上げるのはおこがましいのですが、ヴィレオン様は幼少より全てにおいて御令兄より優れておりました。使用人の間でも次期当主はヴィレオン様になるのではと、実しやかに噂された程です。それだけに許せなかったのでしょう。辞退しようとしたヴィレオン様に御令兄は当主争いを行わせるため、ある事をほのめかして来たのです」
「ある事って何?」
「その……あまり大声では言えないのですが……。私、です」
「は?」
 急に声をくぐもらせうつむくエミリアル。これまでは機能然とした無駄の無い振る舞いをしていたのだが、それが一変して少女のように恥ずかしがる仕草を見せている。それは街で声をかけられた時、終始視線を合わせずどもっていたのと同じ姿である。
「あの、その、ですね。いわゆる当主の権利といいますか、そういったものを行使する事により、私をヴィレオン様の専属より解かせ、自分へ付けるといいますか、そう挑発といいますか」
「要するに、面子潰すような事をしたら取り上げるぞ、って言われたのね」
「まあ……いえ……そういった感じで……」
「女冥利に尽きる話ね。別に深刻にならなくていいんじゃない。誰に転んでも玉の輿、財産は一緒でしょ?」
「それは違います! 私はそういった目的で御仕えしている訳では……!」
「財産が同じなら扱いやすい男の方がいいと思うけどね、庶民の私には」
 利権争いに色恋沙汰と、面倒事の王道がやってきたものだ。
 個人的には不愉快な事ばかりの話を聞かされ苛立ちが募ってきた。日々の生活費にすら頭を悩ます自分にとっては贅沢な悩みでしかなく、こうして泡銭で束の間のリゾートを楽しんでいた一時をそんな事で妨害されたとあっては怒りすら込み上げて来る。
「まあいいけどさ。迷惑料は貰うからね。貴族ならそれなりに用意出来るでしょ。この部屋だって相当高いだろうし」
「は、はい。それは出来る限りの事はさせて戴くつもりです。ヴォンヴィダル家の家訓には、決して人に借りを作るな、とありますから」
「それで、後継者争いの課題って何?」
「銀の竜を見つけ出し、それをヴォンヴィダル公へ謁見させる事です」