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 到着したのは、海岸線の先端に建てられた一軒の大きな別荘だった。丁度海が見渡せるような絶景ではあったが、切り立った崖の上にあるため海水浴には向かないロケーションでもあった。
 馬車が正門前へ停車し、揃って降りる二人。今度は打って変わって誰の出迎えの姿も見られなかった。ただ一人だけ、執事らしき人物が無言で扉を開き会釈するのみである。
「随分な出迎えだね。君は家族に嫌われているのかい?」
「私の派閥を連れてきてはいないだけですよ。つまりここには、兄上達の手の者しかおりません。そういう意味では、あながちその指摘は間違ってはいませんね」
「あえてそこへ泊まるとは、君も良い度胸をしているね。不幸自慢の英雄箪よりよほど英雄らしい」
 無愛想な執事に案内された先は中広間だった。つい先ほど食事を終えたばかりなのか、ほのかな残り香が漂っている。
 広間にいたのは、数名の男女。いずれも同じ貴族の親類なのか、食後のくつろぎにしては豪華に思われる装いだった。談笑に賑わっていたものの、突然現れた二人に会話を止め怪訝な表情を浮かべる。
「皆さん、遅くなりまして申し訳ない。ただ今、到着いたしました」
 広間に入るなり、そう普段の様子で挨拶するヴィレオン。しかし直後に返って来たのは冷ややかな他人行儀の視線だった。露骨に歓迎していない意思を向ける中、二人の青年がおもむろに進み出てきた。その顔には不気味なほどにこやかな笑みが張り付いている。
「おお、ようやく来たか。先に入国したとは聞いていたが随分遅かったな。何か不都合でもあったのか?」
「いいえ、大兄上。せっかく大連星に来たのですから、ゆっくり骨休みをしていただけですよ」
「まったく、この大事な時にいい気なものだなお前は。私など、ここの所は緊張であまり寝れていないというのに」
「兄上はあまり御気が強くないのですから、私以上に楽しむべきですよ。無論、明日からでも」
「ヴィレオン、お前の悪い癖だぞ? 一言余計なのは」
 そしてお互い見つめ合いながら笑う三人。しかしその眼光は鋭く、まるで獲物を狙う鷹のようにぎらぎらと不気味に輝いている。見つめ合うというより睨み合いに近い。
 一触即発の張り詰めた空気に、兄二人の身内達は剣呑とばかりに恐る恐る三人から距離を取り始める。そんな中、やはりグリエルモは普段通りに振舞っていた。
「和やかなところ恐縮だが、小生を忘れないでくれたまえ」
 初めただの嫌味かとも思われたその言葉だったが、グリエルモは悪びれた素振りも無くむしろ除け者にされて拗ねたような表情を浮かべている。そのあまりの大人気ない仕草に毒気を抜かれたのか、三人は軽く含み笑い歪な笑顔をやめた。
「これは失礼をいたしました。はじめまして、私は長兄のラヴァブルク=ラヴァーバート=ヴォンヴィダル」
「私は次兄のボーンディルンだ」
「はじめまして。小生、名はグリエルモと申す」
 そう当たり前の自己紹介をした直後、部屋の隅で侮蔑に満ちた小さな笑い声が漏れた。するといきなりグリエルモは声のした方へ向き直る。
「おい、そこの老婆。何故、小生を笑ったのかね?」
 微妙な年齢の女性に向かってきつく言い放つグリエルモ。一変して別人のように強いその剣幕に、一瞬非難的な雰囲気でざわつき始めたもののたちまち静まり返り、今の暴言に対して咎めようとする気勢を誰もが削がれる。ただ一人、ヴィレオンだけはそんなグリエルモに微苦笑を浮かべながら肩を叩きなだめた。
「まあまあ、グリエルモさん。空腹で苛立つのも分かりますが」
「小生はそんなに卑しくは無いよ。しかし夕食は貰いたいね。時刻を考えたまえ」
「もう夕食は終わってしまった様子ですから、我々は後ほど残りものを戴きましょう」
 気を収めるグリエルモに、周囲から安堵の溜息がぽつりぽつりと漏れ始める。
 そこからグリエルモへ対する見方が一変した。ヴィレオンの連れてきたこの人物は一体どういった素性でどれほどのものかと強い警戒心を露わにし、静かな敵意を心中に抱く。その刺すような周囲の空気を察してか、ヴィレオンは更に気勢を削ごうと画策を始めたその時、自ら蒼然とさせたこの空気をまるで読めていないグリエルモが更に口を開いた。
「ところで、君達が出来損ないの兄かね? 造形は良く似ているが」
 思わぬストレートな言い草に、二人の兄は一気に血色を無くす。それは周囲とは違った種類の蒼白だった。普段なら怒りの反応を示すため処罰も辞さないが、今はそれをしてはならない状況であるため、この侮辱的な発言も笑って流さなければならかったからである。
「グリエルモさん、私はそのような事は言っておりませんよ。お二人とも、尊敬出来る素晴らしい人物です」
「そうなのかね?」
「そうですとも。すみません、兄上方。何分、グリエルモさんは竜族ですから。人間に比べて非常に大らかな倫理観なのです」
「良く分からぬがそういう事だ。肝に命じたまえ」
 その時のヴィレオンは、内心今にも喜びを露わにしたかった。グリエルモの型破りな姿を、来て早々ライバル陣に見せつける事で出鼻をくじく事が出来たからである。
「ヴィレオンもなかなか肝の座った竜を連れてきたものだな。竜はみんな気位が高いそうだが、その威勢もどこまで続くか楽しみだ」
「君の頭皮もね。おっと、冗談だ。気にしないでくれたまえ。竜族は冗談が好きなのだよ。みんな長生きだから、自然と娯楽を求めてしまうのだ」
 一人で場の空気を悪くさせていくグリエルモは、それでも自粛しようとはしなかった。元より自戒が出来るほど殊勝な性分ではなく、ヴィレオンもそれを理解していながら諌めようとはしない。むしろグリエルモを自由にすることを楽しんでさえいた。
 あまりに常識が欠落したグリエルモの振る舞いにたまりかねた兄達は、顔色の優れないいびつな笑顔で広間の奥へ視線を送った。それを合図と受け取るや否や、二人の青年が周囲の間を縫って衆目の前に立った。
「まだ顔通しでもないのに、そう牽制し合うものではありませんよ」
「その通り。今宵は和やかにいきましょう」
 明らかに人から見られる事を意識した、実に堂々と振る舞う二人の青年。自分の一挙一動に微塵の疑問も抱いてはおらず、多少演技がかっていても大げささを感じさせないほどである。そして特に目を引くのが二人の容姿だった。手足がすらりと伸びた長身痩躯、そして一度目にしたら忘れようもない見事な銀髪がきらびやかに揺れている。これらが合わさることで独特の雰囲気が生まれ、周囲の誰もが二人の姿に目も心も奪われた。
「はじめまして。私の名はグリエルモ」
「私も同じくグリエルモ。ひとまず今はそう呼び合いましょう」
 グリエルモの行動を愉快な出し物のように眺めていたヴィレオンは、俄かに口を強く結び緊張した面持ちに変わる。
 ヴィレオンは通称『銀竜』と呼ばれる手配書を元にグリエルモを探し出したのだが、同じ手配書は当然ながら二人の兄にも渡っている。手配書にある本人を見つけ出したのは紛れも無くヴィレオンであるが、二人の兄は揃って偽者を立てる方法を選択したのである。当然の事だが、銀竜の存在は周知されている訳ではないので、本物の竜か否かを証明する方法は非常に限られてくる。つまり、たとえ本物を連れてきた所でヴォンヴィダル公にそれを認めさせなければ意味は無く、裏を返せばたとえ偽者でも疑いようの無い事実を突きつければ本物足り得てしまうのである。
 兄達が偽者を作り出す可能性を考えていなかった訳ではなかったが、いざ手配書の情報をそのまま起こしたような替え玉を見せられ、驚きを隠し切れなかった。ここまで精巧に作り出したとすれば、性格や行動パターンもかなり忠実に再現出来るよう訓練されているはず。そうなっては、そもそも手配書の内容と実物には差異があって当然なのだから、なまじ本物を見つけ出した自分の方が不利になる可能性すらある。
 さて、ここはどう出るべきか。このまま押すべきか、それとも一旦退いて体勢を立て直すか。そう首を傾げかけたヴィレオンだったが、そんな意図などまるで構う事無くグリエルモが早速食いつく。
「やあ君達、この出来損ないの銀髪は何かね? 随分と薬品臭くてたまらんな。先ほどの老婆の放つ化粧より不愉快だ」