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 二人に用意されたのは、それぞれ寝室へ中央のリビングで繋がったゲストルームだった。別々の部屋へ泊まるよりも意思の疎通がしやすいという名目でヴィレオンが選んだのだが、実際はグリエルモが妙な行動を取らぬよう監視する意味合いの方が強い。
 リビングスペースにて用意された夕食を取る二人。ヴィレオンは何やら書類の束をめくりながら神妙な表情をしているが、空腹のグリエルモは早速料理にありついた。
「君は食べないのかね?」
「いえ、直に私も戴きますよ。少し確認しておきたい事がありまして」
 先ほどの事などまるで意に介していないかと思われるほど、グリエルモは普段とまるで変わらぬ様子で食事を始めた。ここには敵対する人間が多く、料理に毒を混ぜられるという想像も難くない。実際その可能性もゼロではないのだが、毒など効かない体と天性の空気の読めなさがグリエルモにそんな振る舞いをさせている。
 丁度良い役割分担が出来ている。そうヴィレオンは思った。単純な頭脳肉体の区分けのみならず、グリエルモが独自のペースで相手をかき回し自分がそれを均していけば、自ずと事は自分の思惑通りに動く。向こうは身内で堅め安心しているようだが、それは逆に流されやすい総意を生み出しただけに過ぎない。思い通りグリエルモを使い扇動すれば、兄達にとってはかえって己の首を締める要因にもなりかねないのだ。
「ところでグリエルモさん。先ほどの事ですが、今後は特に控えていただきたい」
「何かあったかね?」
「相手の挑発に易々と乗って激昂してはいけない、という事です」
 そうすれば正体がいきなりバレてしまう。それでは困るのだ。ヴィレオンは心の中で続けて呟く。
「小生は名誉を重んじる男である。侮辱されて黙ってはいられないのだ。決して竜だからという訳ではないよ」
「そこを敢えて堪え忍んでは戴けませんか?」
「君のためにかね? うむ、断る」
「そうではなく、如何なる苦痛にも堪え忍ぶ男を演じて戴きたいのです。何時の世も、醜い言葉を並べる識者気取りより、ただじっと真摯に構える者の方へ共感するものです。そのため、先ほどのグリエルモさんの態度はお世辞にも美しくはありませんでした」
「ふむ、確かにその通りだ。丁度小生もそう反省していた所だよ。よろしい、これからは堪え忍ぼうじゃないか。竜らしくではなくて、男らしく」
 そう意気込むグリエルモ。その言葉がどこまで信用出来るかは分からないが、まずは一息つくヴィレオン。
 今日の事で相手側は今後どんな手に打って出てくるか分からなくなった。勘の良い者、特に兄達と偽物二人は、グリエルモが本物の竜だと気づいているだろう。本格的な駆け引きはいよいよ明日から。少なくともこれを乗り切らなければ、明後日に控えるヴォンヴィダル公との謁見に辿り着く事が出来ない。
 一層の闘志を静かに燃やすヴィレオンは、これまでに用意した幾つものケースパターンを再確認し明日へ備えた万全の体勢を目指す。何時の頃からか覚えていないほど気を張り詰め続けているにも関わらず、この正念場で精神的な過不足は無い。むしろこちらから挑んでやろうという気概さえある。
 だが、そんなヴィレオンの闘志もグリエルモにはまるで伝わっておらず、普段通りさも分かっているような素振りで頷きながら食事を取っていた。
「ねえ、ヴィレオン君。物は相談なんだが」
「どうかなさいましたか?」
「スプーンがね、錆びているようなんだよ。ほら、こんなに真っ黒で汚い」
 グリエルモは空になったスープの皿からスプーンを出して見せる。確かにスプーンは黒く淀んでいたが、柄の方は元のままの銀色である。自分の記憶が定かでなかろうと、そんな不潔なスプーンに気づかないはずはない。そうなると、他に考えられる理由など一つしかない。
「では私のをどうぞ。よろしければスープも如何ですか?」
「良いのかね?」
「ええ、食欲が無くて」
「ありがたく戴くとしよう。君は高価なマンドリンだけでなく食事もくれるとは、つくづく良い人だね」
 早速スープの皿を取り替えてすくい始めるグリエルモ。しかし銀のスプーンはまたしても少しずつ変色している。グリエルモはそれに気づかず、また評論家気取りで時折気難しい顔をしながら食事を続ける。
 この食事には毒が入っている。それも、歴史の教科書にすら出かねないような時代遅れの毒だ。こんな分かりやすい毒を使うのは、おそらく挑発か威嚇のつもりだろう。今時、こんな古典的な手段で毒殺など聞いた事が無い。
 馬鹿にするにもほどがある。そうヴィレオンは苦笑しながら自分のトランクケースから予め用意しておいた缶詰を取り出すと、縁へナイフを刺し開けにかかる。だが、普段ならものの数秒で出来るそれが、何故か今に限ってうまく切る事が出来なかった。力の加減が思い通りにいかず、一向に切り進める事が出来ないのだ。
 この程度の挑発は予想していたが、いざ目の当たりにした自分が驚くほど動揺している事が分かった。まさに喉元に刃物を突きつけられたような心境である。自分をもっと豪胆な人間と思っていたのはとんだ過大評価だった。ヴィレオンは別の苦笑いを浮かべ深く溜息をつくと、改めて缶詰にナイフを突き立てた。
「ヴィレオン君、まさか緊張しているのかね? はっはっは、君もなかなか可愛い所があるね」
「……それは恐縮です」
「まあ、小生に任せたまえ。君と例のなんたらとかいう連れとは必ず番にしてやろう。ところで、それは何の缶詰かね? 少し分けてくれ給え」
 本当に任せきりでは安心ならないのだが。
 しかし、今度はおどけた笑みを浮かべる余裕があり、ヴィレオンは缶詰の中から酢漬けのニシンを半分グリエルモの皿へ乗せる。
「ありがとう。なかなかうまそうだ。おや? このスプーンも錆びているね。貧乏臭い家だ」
 グリエルモは憤慨しながら変色したスプーンを握り潰すと、今度はフォークで料理を突き刺しながら食べ始めた。依然食欲は旺盛で、自分の皿だけでなくヴィレオンの分まで次々と口の中へ放り込んで行く。
 それにしても、本当に毒など効かないばかりか味の違いにすら気づかないのか。
 ヴィレオンは、少しだけグリエルモの鈍感さが羨ましく思えた。