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「やあ、皆の衆。良い朝だね」
 翌朝、中広間にて集まる一同の前に現れたグリエルモは、普段通りの暢気な様子だった。昨夜に並べた暴言の数々はまるで気にする素振りも無く、むしろ言った事実さえ忘れてしまっているかのようだった。一方グリエルモと共に現れたヴィレオンは、あまり眠れなかったのか幾分か顔色が優れない。
 そんなヴィレオンの様子を本来なら内心でほくそ笑んでいるはずだったのだが、厨房長から聞かされた昨夜の出来事により誰一人として口元を緩めなかった。出しゃばるな、という警告の意味で露骨に毒を盛った夕食を出したのだが、それが残らず空になって厨房へ返って来たのである。
 毒料理を出された翌朝にも関わらず、平然とした様子で現れた今朝のグリエルモ。さすがに実際に食べた訳ではなく密かに処分したのだろうが、こちらの警告に対しこうも挑戦的に返してくるのは予想していなかった展開である。ヴィレオンは元より、ヴィレオンのグリエルモも油断のならない相手だ。そう皆は警戒を強めていた。
 広間の中心には長いダイニングテーブルが並べられ、上座からそれぞれ位順に一同が席についている。これからの朝食の前に和やかに語らっていたような様子だが、実際は自分達の対応をどうするべきか声を潜め話し合っていたのだろう。ヴィレオンは会話に触れぬようグリエルモを連れ席へと向かう。
 後継者候補は三人、歳の順に上座から席を振られている。今回はそれぞれの席の隣に各々が立てる銀竜候補の席が用意されていた。
 今朝は既にボーンディルンとその銀竜候補の姿があり、共に警戒心も露わな視線を時折向けてくる。ヴィレオンは喉の奥の引きつりを堪え、平素のような挨拶をかけた。しかしボーンディルンは視線をそらし返答を拒む。ヴィレオンは小さく口元を綻ばせながら、向かい合う位置にある自らの席へ座った。
「グリエルモさん?」
 そのヴィレオンに続くと思われたグリエルモは、どういう訳かヴィレオンの席の後ろを通り過ぎてしまった。
「グリエルモさん、席はこちらですよ」
「小生はあの席がいいのだ」
 そう指し示すそれは、長兄ラヴァブルクの席だった。ラヴァブルクは第一の後継候補者であり、必然的にこの中で最も位の高い人物に当たる。その席へ正体も素性も知れないグリエルモが座ろうとしている事に、一同はすぐさまざわめきはじめた。
 視線を感じ見ると、ボーンディルンが無言でグリエルモを止めるよう厳命していた。競争相手に何を言っているのか、とヴィレオンは吹き出しそうになったが、何もしないでいるのは角が立つため、とりあえずとばかりの緩慢さでグリエルモを呼び止める。
「いけませんよ。そこは大兄上の席です」
「別に名札など無いではないか」
「予約も何も、しきたりではそう決まっているのです」
「君ら一族のローカルルールなど従う理由は無いよ」
 そしてグリエルモはまるで聞く耳も持たず、そのままラヴァブルクの席へ勢い良く腰を下ろす。誰かが小さく声を一言あげたが、自分に関係のない事は聞こえないグリエルモは構わず椅子の感触を確かめ始めた。
「見た目の割に座り心地の悪い椅子だね。これは君の兄のセンスかね? おお、肘置きの感触が気色悪いな」
「それは代々ヴォンヴィダルが抱える家具職人に先々代が作らせた由緒正しいものです。ですから、悪ふざけはおやめになって、早くこちらへお戻り下さい」
「断る。ここの方が見晴らしが良いのだ。おお、爽やかな朝日も手伝ってか良い曲が生まれそうだ。おい、そこの化石。小鳥のさえずりが聞こえないから息をするな」
 まさに昨夜と同じグリエルモのペースへ場が巻き込まれてしまっている。ヴィレオンはわざとらしく、こうなっては手が付けられないとばかりに肩をすくめ苦笑い。それを受けてボーンディルンの銀竜は、自分も負けじと真っ青な顔で震えながら気丈に立ち上がろうとするが、ボーンディルンはそれを無言で制止する。
「ヴィレオン、いい加減にしろ。すぐにやめさせるのだ。このようなこと、大兄上に知れたらただでは済まぬぞ」
 いよいよ穏やかではなくなってきたボーンディルン。それを受けてヴィレオンは、そろそろ頃合いとばかりに一転軽やかに立ち上がる。
「はい、兄上。ただちに。さあ、グリエルモさん。そこではなくこちらの席へどうぞ」
「断る。食事の席まで指図される覚えは無いよ」
「ですが、その席はデザートが出ませんよ?」
「なに? それを早く言いたまえ」
 そんな事で納得する男なのか?
 ボーンディルンは拍子抜けするよりも訝しい視線をグリエルモへ向けてきた。資料によれば、銀竜は非常に利己的で自分の我を何が何でも通すとある。それを折れさせるのが、たかだかデザート程度とは。果たして自分達はからかわれているだけなのか、それとも資料からは窺い知れない実態を見ているのか。ボーンディルンは眉間に皺を寄せヴィレオンをそれとなく睨むが、ヴィレオンは相変わらず飄々とした表情を浮かべるだけだった。
「おはよう、みんな。全員揃っているか?」
 その時だった。グリエルモが席から立ち上がろうとした瞬間、事を知らないラヴァブルクが中広間へ入って来た。
 普段なら微かな緊張感に包まれた厳かな雰囲気になるのだが、今日ばかりは誰もが表情もろとも凍りついてしまった。ラヴァブルクの逆鱗に触れるのはヴィレオンの方だが、長兄という立場上常に厳しい振る舞いを取ってきたラヴァブルクの怒りが目の前で落ちるのは、まさに間近で落雷を目撃するに等しい恐怖があった。
「何事だ?」
 ラヴァブルクは平素の厳しい表情で周囲を見渡し状況の把握を始める。そして真っ先に気づいたのが、そこだけ空気がまるで違う自分の席とグリエルモの姿。ボーンディルンは何かを説明しようにも緊張で言葉が出せず小さく唸り、ヴィレオンは平然と振舞ってはいるが額にはふつふつと汗を浮かべている。
「申し訳ありません、大兄上。彼にはよく言って聞かせますので」
「構わんさ。久しぶりに会ったのだ、お前の隣も悪くは無い」
 するとラヴァブルクはそのまま何事も無かったかのようにヴィレオンの隣へ座った。思わぬ至近距離で邂逅する互いの表情、挑戦的ながら緊張感の色濃いヴィレオンに対し、ラヴァブルクはさほど驚きも無かったとばかりに余裕に満ちた表情で対峙する。
 兄上はともかく、大兄上はさすがに一筋縄ではいかないか。
 ヴィレオンは心の中で軽薄な煽りだったと苦笑し肩をすくめた。