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「さて、ヴィレオン君。お腹が空いたとは思わないかね?」
「朝食を終えたばかりでしょう。お茶の時間に何か軽食を用意させますよ」
 謁見前のふるい落としとなる顔合わせ会は、昼食後の午後に予定が決まった。朝食後すぐでも構わなかったのだが、出席予定の親族の中には年齢的な理由で午前中のスケジュールが難しい者がいるため、それに配慮する形の調整である。それだけ体力の衰えた者に重要な審査役を任せるのはどうかと思うが、人選はヴォンヴィダル公であるため異議を唱える訳にもいかない。
 二人は自室にて時間が来るのを待っていた。ヴィレオンは資料の束を黙読し、グリエルモはバルコニーへ寝そべりながらしきりに楽譜へペンを走らせている。屋敷内をグリエルモに案内して回るのも良かったが、わざわざグリエルモを必要以上に人目に触れさせた所で何の得にもならない。時折僅かな時間だけ散歩でもして、それとなく余裕さをアピールするぐらいで丁度良い。
「ところでヴィレオン君、連中はどのようにして本物の竜か見分けるのかね? 何かしら方法や基準があるのであれば、その対策も出来ているのだろう?」
 グリエルモの珍しく思慮を感じさせる言葉に驚くヴィレオン。しかし、あまりに驚いては気を悪くさせると思い、特別な反応は見せず普段通りに視線を向ける。
「まずは、件の銀竜の資料と照らし合わせ、どこまで正確かという点でしょう」
「ではその資料を見せ給え。資料が正確な内容か小生が精査してやろう」
「残念ですが、それは出来ません。これは国有の資料であるため、閲覧を認められた人間にしかお見せする事が出来ないのです」
「別に黙っていれば良い事ではないかね。バレやしないよ」
「ここは敵陣ですよ。あえてリスクを背負う理由はありません」
「敵陣なら向こうだってやってるよ」
「私は不正無しで勝負したいのですよ。あなたは自らの恋人を汚れた手で抱き締めたいとお思いですか?」
「なるほど、良く理解したよ! そうだね、小生もそう思うよ」
 グリエルモの扱い方は大方理解出来てきた。あくまで論破はせず、この方がより精神的に優れている、という誘いをかければ方向の修正は非常に容易である。強い好奇心のため身勝手な行動を取ることもあるが、それはせいぜい物を壊す程度のこと。彼を侮辱さえしなければ人死には起こらない。後は本当に子供と同じである。子供を扱うのは造作もない事だ。
「それに兄上達は既に、偽者を作るという過ちを犯している。私までそれに続きたくは無いのです」
「小生は竜では無いから偽者だよ」
「ふふっ、そうでしたね。資料との差は私の方でフォローしますから、グリエルモさんはそれに合わせて下さい。とにかく今日はそれで乗り切りましょう」
「分かったよ。それで、君の親父殿が明日の夜に来て決定するのだったね」
「そうなります。最終的に判断を下すのはヴォンヴィダル公です。こちらの場合は資料よりも、ヴォンヴィダル公をどれだけ納得させられるかにかかってくるでしょうね」
「君の父上だ、あの駄目兄弟とは違ってさぞかし良い人に違いない。だから問題はなかろう」
 その駄目兄弟も父親は同じなのだが。
 グリエルモのいい加減さには慣れてきたつもりだが、改めてこういう言動を目の当たりにすると、つくづく自分とは違う生き物である事を思い知らされる。人間には理解し難い独特の価値観は、人間とは比べ物にならないほど長い寿命を持っているからなのだろうか。
「ヴィレオン君。お腹が空いたとは思わないかね?」
「昼食まではあと三時間です」
 寿命が長い事と食欲は関連しているのだろうか。それとも単なる好奇心の影響から何でも食べてみたいと考えているからなのだろうか。とにかくグリエルモは、いつも何でも満遍なく食べているように思う。
「それにしても、グリエルモさん」
「何かね?」
「随分と楽しそうですね。こんな訳の分からない貴族の後継者争いに巻き込まれたというのに」
「自分で巻き込んでおいて何を言うのかね。それに小生は単にマンドリンが欲しいだけである。後はこの経験が後々に曲へ生かされれば良い。猿の血筋など興味は無いよ。大体続いていればそれで良いのだ」
「グリエルモさんとは、今後も良い関係でいたいものです」
「そういう時は友人になろうと言えば良いのだよ」
「では、是非とも友人になりましょう」
 竜は自分達が生物の頂点だと考えているのに、どうしてわざわざ人間の姿を変えて人間社会へ現れたのだろうか。長い一生の暇潰しか、一種の好奇心か。寿命が長いのに娯楽が少ないという事は考えにくいが、竜と人間の文化そのものが全く異なっている事はあるだろう。それで、たとえばグリエルモが人間の音楽を求めるように、竜が新しい娯楽を人間に求める事はあってもおかしくはない。
 ただ、一番不思議なのは、グリエルモが連れているあの少女である。奇妙な上下関係と信頼関係で成り立つそれは、到底従来の人間と竜の関係の想像からほど遠いものだ。人間と竜の距離感は想像ほどある訳ではないのか、はたまたこの二人の場合が特殊なケースなのか。
 一つの事からこうも考え込んでしまう、竜とはつくづく興味深い生き物である。正式に家督を継ぐ前に竜についての取材をしてみたいものだ。そうヴィレオンは思ったが、すぐさま脳裏に浮かんだエミリアルの渋い表情に苦笑する。いつまでも遊び歩いていられる歳では無い。
「ヴィレオン君。お腹が空いたとは思わないかね?」
「もう缶詰はありませんよ」