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 やがて太陽も中天に昇る頃、部屋に一人の使いが昼食についての連絡のためやってきた。ラヴァブルクの意向により、今日は特に天気が良いため中庭での立食形式で行う事となったそうである。断る理由もないヴィレオンはすぐに了承し、早速準備に取りかかった。
 屋敷の中庭はヴィレオンの部屋とは反対側に位置し、そこは人工的に植えられた芝が一面に広がっている。海岸線であるためいささか風も強いが、少し歩けば汗ばんでくるほどの陽気には丁度良い。
 中庭へやって来た二人は、のんびりと日差しと風を浴びながら歩いていった。まだ昼食会の準備は終わっていないらしく、あちこちで忙しなく動き回っている使用人達の姿が見受けられる。
「こんな太陽の下で食事とは良いものだね」
「そうですね。誰がどの皿を取るのか分からなくなるから、毒の心配もしなくて済みますし」
「まだ毒など気にしているのかね? 昨夜の夕食も、今朝の朝食も無事だったではないか」
「念には念を、ですよ。それにこれは大兄上の御意向ですから、単なる昼食会ではないでしょう。既に銀竜候補のふるい落としも始まっていますし」
「考えすぎだよ。こう天気も良くば、誰だって外に出たくなるものだ」
 そもそも、ここには何の目的で来ているのか。起こる出来事の全てが布石かもしれないのだが、グリエルモにはそういった細かい配慮や警戒心は期待するだけ無駄である。役割分担からいけば、配慮は自分の担当だ。
「ヴィレオン君、あれはバーベキューをするのかね?」
「いいえ、あそこで焼き立ての料理を皆に振舞うのです。どうやら本日は子羊のようですね」
「肉は子供に限るよね。大人の肉は筋張っていて良くない」
「竜らしい言動も板についてきましたね」
「む、そうかね? 小生は竜ではないけどね」
 ヴィレオンは一つ気にかかることがあった。それは長兄ラヴァブルクの動向である。
 彼は次兄とは違って決して浅慮ではない。そもそも自分を後継者争いにたきつけてきたのも、継承後に事あるごとに比較され影響力が強まる事を恐れての事である。しかし、それだけ先見性のある彼が何故あのような低質な偽物を立てたのか、それが理解出来ない。単に自分が本物を連れてくる事までは予想しておらず、口八丁でどうにかするつもりだったのかもしれない。だが、このまま黙って引き下がるはずはなく何らかの工作は仕掛けてくるはずだが、どういったアプローチかまでは予想がつかない。少なくとも、あの偽物を本物以上へするには無理があると思うが。
 何にしても、このまま身辺に十分警戒しておきヴォンヴィダル公の謁見に望めば何も問題は無い。グリエルモの言う通り、下手に思い悩んで神経を擦り減らす事は避けるべきだろう。
「おお、あそこに出来損ないの銀髪がいるね」
 不意にグリエルモが前方を指差しながら声を上げた。見ると、会場の一角に設けられた小さなステージ上で何やら打ち合わせを行っている二人の姿があった。手にはそれぞれマンドリンを携えていて、それについての打ち合わせのように見受けられる。
「そういえば、何か催しがあるのでしたね。演奏会でしょう」
「小生はそのような話は聞いておらぬよ」
「今朝あったと思ったのですが。まあ大した事ではありませんからね」
「ふむ。演奏会とあらば参加せぬ訳にはいかぬな。どれ、優雅の欠片もない連中をからかってくるか」
 加減を知らないグリエルモが言葉通りの範疇で収めるはずも無いのだが、特に止める理由も無いヴィレオンは苦笑しながら頷きその後へ付いて行った。
「やあ君達、その頭で表を歩くとは開放的だね」
 突然現れたグリエルモに声をかけられ、二人の銀竜候補は驚きで背筋を震わせる。しかしすぐに平静さを意識し、何事も無かったかのように身振りを取り繕った。
「お、同じ姿なのはお互い様でしょう」
「冗談はやめたまえ。竜とは物事の価値を見抜く目を持っているのだよ? 薬で作った銀髪など自慢も出来ぬだろうに」
 本当にグリエルモがそう豪語するだけの鑑定眼を持っているかはさておき、一片の不自然さもなく輝く銀髪を持っているのは事実である。そのため、自らに負い目のある二人はどうしてもそれ以上の反論が出来なかった。
「ところで、こんな所で何をしているのかね」
「昼食会で演奏を行うので、その準備です」
「一人一曲です。もう選別が始まっている事ですし、音楽性の優劣は選考に響きます」
「ふむ、なるほど。丁度良い、小生先ほど一曲描き終えたばかりなのだ。まあ君達は先人が使い古した楽譜でも奏でたまえ」
 そう笑うグリエルモに、二人はただ微苦笑を浮かべ頷くだけだった。
 二人はグリエルモが本物の竜であると確信を持っているため非常に言動には警戒している。冗談ではなく、少しでも怒らせたらそれだけで殺されてもおかしくはないのだ。幾ら多額の謝礼が払われようと、自分の命と引き換えにするほどの理由は無い。特に金が目的で乗った船ならば尚更である。
「ところで君達」
「は、はい。何でしょう?」
「うむ、良いぞ。その言葉づかい。人を馬鹿にするのは良くないからね。次は出来損ないの銀髪だ」
 愉快そうに笑うグリエルモに続き、ぎこちなく笑う二人。
 彼らにしてみれば、今のこの状況はまるで予想だにしなかった事だろう。うまい金儲けの話に乗ったつもりが、得体の知れないものに小馬鹿にされているのだ。この調子で後数日も続けば、ストレスで消化器に炎症の一つも作りそうである。どれだけ謝礼が支払われる契約かは分からないが、表情からすると割の良い内容ではなさそうである。
「そ、それでは、我々はこれにて失礼。これから調律をしなければならないので」
「発声練習かね? 普段からしていないから本番で慌てるのだよ。まあ励みたまえ」
 そして二人はそそくさとグリエルモから逃げ出すようにこの場から立ち去った。おそらく調律は単なるこじつけで、グリエルモから離れたかったというのが本音だろう。別れ際の、怒りと悔しさが入り交じった奇妙な表情が何とも忘れ難い。
「ふふふ、ヴィレオン君。久々に良い舞台ではないかね」
 一方のグリエルモは二人の事など何の気にも止めず、わざとらしい不敵な笑みを浮かべて見せた。
「新曲のお披露目にはぴったり、というところですか」
「いかにも。衆目で歌うのは久しぶりだからね、自然と力も入るものだよ。『この世にはー二種類いるー。飼われる豚と、飼う竜ー』」
 待ちきれないとばかりに声を上げ歌い出すグリエルモ。しかしその歌声は、不愉快な歌詞と外れた音階で構成され声量だけ無駄にあるという奇怪なもので、数分も同じ場にいることが我慢出来ないのではと思える代物だった。周囲で働いていた使用人達もこの世のものとは思えぬ歌声に戦慄し、一体何事かとざわめき始める。ヴィレオンも胃を素手で揉まれるような不快感を覚えていたが、グリエルモの機嫌を損ねては面倒と考え、あえて笑顔を浮かべながら何事も無いかのように平素を取り繕った。
 ふとヴィレオンの脳裏をある予感が過ぎった。
 まさか音楽の技術でグリエルモへ難癖をつけてふるい落とすつもりではないのだろうか?