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 昼食会は滞り無く進行する。最初に簡単なスピーチを求められた事を除き、会そのものは非常に和やかな雰囲気だった。グリエルモは楽譜と睨み合いほとんど料理には手をつけてはいなかったが、朝食の時のような目立った暴言も無く、逆に不安になるほどおとなしかった。他の銀竜候補とは違って談笑に加わる事はなく、あらゆる意味で近寄り難さもあるため声をかけられる事も無いが、静かにしてくれる分にはそれでも構わない。
 ヴィレオンも親類にはそれなりに愛想の一つも振る舞わなければならず、グリエルモにかかりきりという訳にはいかない。ここへ来てからはグリエルモの事ばかりでまともに挨拶もしておらず、グリエルモがおとなしい内にとばかりに親類達を巡り歩いた。
 勢力的には兄達の身内に当たるため政敵とも呼べる相手だが、一人として挨拶を拒絶しない親類には非常に神経をすり減らされる。逐一嫌味をこぼす者もいれば慇懃無礼な態度を取る者、わざと噛み合わない会話を繰り返す者などと、数人と顔を合わせただけでもう疲労感が押し寄せてくる。こういう親類をもまとめなくてはならない当主の座など興味は無いが、もはや後戻りの出来ないところまで巻き込まれてしまっている。兄達に警戒されるぐらいならば普段から徹底的に愚か者を演じていれば良かったと、今更ながら後悔する。
「ここに居たのか、ヴィレオン。やっと見つけたぞ」
 不意に後ろから呼び止め駆け寄って来たのは、次兄ボーンディルンだった。
「兄上、私をお探しでしたか?」
「そろそろ曲のお披露目の時間だ。お前の銀竜はどこにいる?」
「ええ、それでしたら」
 グリエルモを最後に見た方向を見やるヴィレオン、しかしそこには譜面と睨み合っていたグリエルモの姿は無かった。グリエルモの容姿は非常に目立つから探しやすい。すぐさま周囲を見渡してみたものの、どのテーブルにもグリエルモの姿は見あたらない。
 一体どこへ行ったのだろうか? 同じように周囲を見渡していたボーンディルンと顔を見合わせるヴィレオン。するとその時、
「やあやあ、静まりたまえ。屠殺場の豚でももう少しおとなしいものだよ」
 ステージ上でマンドリンを弾きながら声を上げる者の姿。振り向くと演奏会用に用意されたステージ上には、いつの間にかグリエルモが登壇していた。
「あちらにいらっしゃるようですね」
「まったく……自分勝手な生き物だな」
 そう毒づくボーンディルンだったが、グリエルモに聞かれることを恐れてか声量は控えめである。弟の手前、強がりの一つも見せたかったのだろうと、ヴィレオンは聞こえなかった事にする。
「一旦戻らせましょうか? 本人が承知して戴けるかは分かりませんが」
「構わん、やらせておけ。どこで聞きつけたかは知らんが、自分から出てきたのだから、やらせておけばいい。順番はさほど重要じゃない」
 なら目的は他にあるという事になってくる。
 今になって殊更強調しても仕方がないが、企みがあるならわざわざ勘繰られるような言葉は避けるべきである。長兄に比べそういう所が迂闊だとヴィレオンは含み笑う。
「ようやく静まったな。もう少しで額を打ち抜いてやるところだった。それでは始めるとしよう」
 そしてグリエルモはわざとらしい咳払いの後、構えたマンドリンをいきなり激しく弾き始めた。出だしから早いリズムで入る変則的な曲のようである。予想外の展開に周囲は顔を見合わせ首を傾げるものの、曲調そのものは決して不快なものではなく、むしろ好意的に受け止められている様子だった。
 グリエルモは演奏力も作曲能力も非凡なものを持っている。普段のような大言壮語が許されるほどではないが、竜の寿命を考えれば本当に人間には辿り着けなかった高みにも到達するかもしれない。
「『そんなにー飾らないでー。素材は酷くないからー』」
 だが、それだけの期待感を圧倒的マイナスに差し引いてしまうほど、グリエルモの歌は悲劇的だった。竜特有の善悪の価値観や倫理観により歌詞の内容が酷く歪んでいるのもそうだが、単純に歌唱力そのものが致命的なまでに無い。何故あれだけの曲を書けるのに音程がこうも狂うのか。人間には理解が出来ない領域である。そして本人は自分の歌唱力に微塵の疑問も抱いていない。おそらく諸悪の根源はこれだろう。
「『自分に自信を無くしたら、待っているのは転落人生ー』」
 資料にもあったが、本格的に聞かされるとここまで凄惨なものだったとは。
 ヴィレオンは辛うじて苦笑い程度に平静さを保っていた。元々資料には銀竜の歌は最悪だとあるため弁解する必要も無いのだが、あまりに一生懸命に歌うグリエルモの前でそれを否定するような事は流石にはばかられた。
「どうしたヴィレオン? つまらなさそうだな」
 すると、不意に傍らのボーンディルンが口元を皮肉っぽく歪め問いかける。振り向いた先でボーンディルンは、ヴィレオンのような苦悶に満ちた様子とはかけ離れ、つま先で軽くリズムを取る余裕さえ見せていた。
 ヴィレオンは思わず眉間に皺を寄せ訝しんだ。この酷い歌を音楽として楽しむなど、とてもまともな音感とは思えなかったからである。
「音楽くらい楽しんだらどうかね」
 最後にそんな皮肉を言い残してボーンディルンは別のテーブルへ移っていった。移った先でもボーンディルンの様子は変わらず、このノイズを気にも留めていないようだった。
 そして改めて周囲を見回したヴィレオンは、その光景に息を詰まらせる。あれだけグリエルモの言葉遣いに辟易していたはずが、その集大成と言うべきこの歌に誰一人として表情に陰を落としていなかったのである。
 ここに集まる誰もが耳の肥えた者ばかりである。それが、この歌を楽しんでいるとはどういう事だろうか。ヴィレオンは自分だけが感性がおかしくなったような気分にさえなった。
「ヴィレオン、随分とおとなしいが気分でも悪いのか?」
 不意に背後から話しかけて来たラヴァブルクは、普段通りの悠然とした表情を浮かべていた。しかしその目の奥にはどことなくからかうような嘲りが見え隠れしている。
「いえ、何でもありません」
「ならもっと楽しそうに振る舞ったらどうだ? 皆と同じように」
「皆……ですか」
 その言葉にヴィレオンは、この違和感の理由が脳裏に閃いた。ヴィレオンが状況を理解したと察したラヴァブルクは、わざとらしく飄々とした口調で囁いた。
「なかなか面白いだろう?」
「さすがに驚きましたよ。敵地とは言え、これほど団結力があるとは思ってもみませんでした」
 聞き手がグリエルモの歌に不快感を訴えない事で、資料との一致性を損なわせる作戦。それがこの大がかりな仕掛けの正体だった。おそらくグリエルモの歌をまともに聞いている者は一人としていないだろう。中には耳栓をしている者もいるかもしれない。どれだけ下手な歌であろうと、聞こえなければ空気と同じである。あとは、こんな子供じみた作戦に大の大人が乗ってくれるかどうかの問題だ。
「しかし大兄上らしくはありませんね。この程度の事で、私の銀竜とどれだけ差が縮まると?」
「無論、分かっているさ。お前の銀竜は本物だ。どう小細工しようと、本物にかなうはずは無い」
「これからする話の前に、念のためこちら側の意思表示をしておこうと思ってな。お前に味方はいないと知らしめるために」
 そしてラヴァブルクはそっとヴィレオンの耳元まで顔を寄せると、小さくもはっきりとした刃のような口調で囁いた。
「お前の侍女は今どこにいる?」
「さて。暇を出していますので、どこかで休暇を取っているかと。それ以上は何も」
「そうか。まあ、たまには休暇も良いだろうが、連れは選んだ方がいい。あんな負けん気の強い子供と一緒では、心休まる事もないだろう」
 意味深なラヴァブルクの言葉に、ヴィレオンは足下が抜けるような感覚と喉が締まる窒息感を同時に味わい総毛立った。ラヴァブルクはそんなヴィレオンに対し不敵な笑みを浮かべ、露骨に顔を覗き込んでくる。
 グリエルモもソフィアも、まだ逢ってから幾日も経過していない。それでも見つけられる可能性を考慮して、慎重に宿泊場所は選んだつもりだったのだが。幾ら何でも見つけ出すには早すぎるのではないだろうか。
「まさか、大兄上……」
「お前の弱点は元より、銀竜の弱点はどうだろうな。人質に取られて尚、お前についてくるほど竜は義理堅い生き物か? 出会って間もないというのに」
 ブラフの可能性もある。居場所は特定出来ていなくとも存在は知っているのだから、幾らでもかまはかけられる。だがラヴァブルクは、見え透いた狡い手段に頼らない堅実な性格である。今はまだ手中になくとも、既に見当はついているのかもしれない。しかし駆け引きのカードが無い現状、無いものをでっち上げてきてもおかしくはない。
 徐々に思考の迷路に陥っていくヴィレオン。その耳元でラヴァブルクは、一転し優しく穏やかな口調で囁きかける。
「ヴィレオン、私にお前の銀竜を寄越せ」