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 その後、残る二人の銀竜候補の演奏も終わり、昼食会は拍子抜けするほどすんなり閉会した。
 銀竜達への反響は共に大差無く、御義理の喝采と呼んでも差し支えない程度の静かなものだった。ふるい落としの前に露骨な行動は控えようとしているだけなのかもしれないが、ヴィレオンにとってそれはラヴァブルクから与えられた猶予にしか思えなかった。
「ヴィレオン君、この後に選考会があるのだったね。そこの小僧に訊いたら三時からだそうだよ」
「そうですね」
 昼食会も終わり各自が静かに散っていく中、ヴィレオンも屋敷の方へと向かっていた。その足取りはいつになく重く、表情には暗い影が差している。普段とは明らかに違うヴィレオンの様子に、グリエルモは珍しく気がつき早速窺った。
「どうかしたのかね? 表情が暗いと陰湿に見えるよ」
「そうですね。気を付けます」
 まだあの事はグリエルモに明かす訳には行かない。そう考えるヴィレオンは打ち明ける事なく、気持ちの籠もらない笑顔を作って答える。
 もしもラヴァブルクの事を打ち明ければ、すぐに彼は怒りで我を忘れ文字通り自分を含めた関係者を皆殺しにしかねない。資料が正確ならば、グリエルモとは連れのソフィアを我が身よりも大切にしている。その彼女を脅かそうとするならば、根拠も無く口にしただけでも片っ端から牙を剥く。竜とはそういう生き物なのだ。
「天気も良い事だ、そこでお茶でも飲みながら曲を奏でようではないか」
「そうですね。では、そこのラウンジに」
 早速グリエルモは子供のように駆け出し、ここは自分の席だとばかりに尻から飛び込んで場所を確保する。騒ぎを聞きつけたのか、すぐに使用人の一人が御用聞きにやってきた。グリエルモが自分が知っている限りのお茶に関する言葉を滅裂に並べ立てるため、ヴィレオンは適当なお茶を用意するよう言いつけて使用人を下がらせた。
「ここの使用人はゴールデンルールも知らぬと見えるな。何かね、あの焦った顔は」
「そうですね。きっと銀竜が珍しかったのでしょう」
「だから小生は、本当は竜ではないよ」
 普段ならグリエルモの行動を細かく分析し安全かどうか判断するのだが、今はそれほどの余裕は無かった。とにかく今は、少しでも多く正確な情報が欲しい。本当にエミリアルとソフィアの居所が掴まれているのか、その身柄は無事なのか、ラヴァブルクの作戦はどこまで裏付けが取れているのか、それらを知るだけでも精神的な余裕はかなり変わってくる。しかし、自分にはその手段がない。ここには自分の味方となる親族は一人も無く、唯一の味方と呼べるのがこのグリエルモただ一人。だが銀竜候補を使いに遣れるはずはなく、仮に遣ったところで二人の居場所を特定されたり一人になった自分の身が危険になるだけである。
 期限は明日の正午。それまでに答えを出さなければ、エミリアルとソフィアの身柄が奪われてしまう。確定ではないにしろ、少なくともその危険性が色濃くなる。しかし、このままみすみす継承権を譲っては本末転倒になる。今度は当主の権限でこちらの立場を掘り下げて来る魂胆は言うまでも無いのだ。
 初めから二人の安全と継承権を取引材料に使えば良かった。そうすれば、こんな一方的に不利な状況には陥らなかったはずだ。これほど悩むぐらいならば、いっそ今から二人の下へ向かってしまおうか? いや、もしも二人の居場所を突き止めてなかったのなら、みすみす教えてしまうようなもの。仮に突き止められなかったとしても、自ら継承権を放棄したと見なされかねない。それでは苦労して本物の銀竜を見つけ出した意味がなくなってしまう。
 これほどの苦悩を重ねたのは生まれて初めての事だった。今まで選択を迫られた際に、正しい答えを見つける事が出来なかったことはなかった。だから今回のように心底どうして良いか分からない状況は、過去の経験も役に立たず考慮が及ばないのだ。まるで底なし沼に全身を絡め取られたかのような、出口の見えない絶望感が頭から離れない。
 先が見えない事がこれほどの恐怖を生み出すとは。そう取り乱しかけたヴィレオンは、目前で執拗にお茶をかき回すグリエルモの姿を見て思わずすがりついてしまった。考える事は自分の領分でグリエルモには期待していないつもりだったが、自分以外の者ならば何か答えを知っているのではないかと思い詰めたのである。グリエルモの余裕は細かい事をあまり考えない性格にあるのだが、今のヴィレオンにはそこまで頭を働かす余裕は無かった。
「グリエルモさん、一つお訊ねしてもよろしいでしょうか?」
「何かね? 小生、今は非常に機嫌が良いから、内容によっては答えてやらない事も無い」
「グリエルモさんには、命より大切な方はいらっしゃいますか?」
「いるとも。ソフィーは小生の太陽である」
 グリエルモはソフィアのためならば自信の信条すら簡単に曲げてしまう。その理由が人間と同じ情愛から来るものかどうかまでは分からないものの、少なくとも物理的な損得による関係ではない事は、実際の彼らを見ても明らかである。よってこの質問の答えは予想通りのものだ。
 そしてヴィレオンは自らの抱える悩みの核心をグリエルモに置き換えて、その問いを口にする。
「なら、それを守るためなら家族をも敵に回せますか?」
「はっはっは、君はおかしな事を言うものだね」
「そ、そうでしょうか?」
「良いかね。自分の大切なものを知っていて傷つけようとする者は、もはや家族でも何でもない。ただの敵である。敵に情をかける趣味が無いのなら、引き裂いたり千切り取ったりしたまえ」
「家族ではない……。しかし、実際に血縁である事がはっきりしていたらどうするのですか?」
「血などみんな同じ色だよ。君らは型がどうとか言っているが、その割にどれもこれも大差ないではないかね。馬鹿も間抜けも血は赤いものだよ」
 さも愉快そうに笑いながら、グリエルモはティーポットから空になったカップへ自ら注ぎ足す。しかし加減が分からないのか、傾け過ぎて蓋がずれ落ちテーブルを汚してしまった。だがグリエルモは慌てるどころか逆にポットの方を不良品と罵り、並々と注がれたカップから優雅にお茶を飲み始める。
 実に自分勝手で自分中心な物事の考え方。だが銀竜は如何なる存在も敵になり得ない、あまりに強過ぎる生物である。強者はどれだけ無理を言おうと道理を跳ね除ける事が出来る。むしろ道理とは強者が作り出すようなものだ。
 そうか、何を卑屈になる事があっただろうか。そもそも最強の手札は自分が持っているのだから、それをむざむざ渡す理由など無かったのだ。
 不意に脳裏を過ぎった確信ともう一つ、とある考えに、ヴィレオンは俄かに自らに取り付いていた絶望感を一気に振り払い平素の自分を取り戻す。
「グリエルモさん、実は先ほど大兄上から重要な話をされたのですが」
「あの靴底みたいな顔の兄かね。何かあったかい?」
「私も、それにグリエルモさんにとっても、とても黙過出来ない事です。そこで私は、場合によっては彼らに痛い目を見て戴こうと思うのですが、協力していただけますか?」
「ソフィーに関係するのかね? あまり関係無い事は手伝わないよ」
「とても関係がありますよ。それも非常に不埒な形で」
 その言葉にグリエルモは、飲んでいたお茶を急に一気に飲み干すなり、その勢いのままカップにかじりつき二口で食べてしまった。
「小生は非暴力主義者である」
「半殺しまでで結構ですよ」
「よろしい。ならば聞こうか」