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「銀竜と戦えと言うのか!? 馬鹿な!」
 思わず席を立ちながら声を荒げたのはボーンディルンだった。周囲も囁き声からはっきりと聞こえるほどに調子が変わっている。ラヴァブルクはそんな状況を更に混乱させまいと、いきり立つボーンディルンを制し座らせる。
「馬鹿なこと? そうでしょうか? 確かに本物の銀竜ならば戦うのは自殺行為ですが、偽者ならば問題はありませんよ。我ら三兄弟、幼少よりヴォンヴィダル公の方針により武芸全般を修めて来たではありませんか。それでも謀略の輩如きに不覚を取るようならば、初めから後継者の器足り得なかったということ」
 衆目の前で取っ組み合いをするなど、到底貴族とは思えぬ蛮行である。しかしその点だけ目を瞑れば、ヴィレオンの主張は筋が通っていう事は否定出来ない。美徳を重んじ反論するのは可能でも、自分の立場を掘り下げ墓穴を掘る可能性もある。主張すべき事ははっきりしていても迂闊な事は口に出来ない。そのため自然と誰もが口を噤み、元の囁き合う静かなざわめきへ戻っていった。
 そんな中、ラヴァブルクはおもむろに自ら立ち上がりヴィレオンを正面から見据えてきた。後継者候補の筆頭という立場上、たとえ墓穴を掘る危険があってもヴィレオンには自由に発言させる訳にはいかないのである。
「本物の銀竜の相手をした者はどうなる? 場合によっては怪我だけでは済まないぞ」
「偽者を立てヴォンヴィダル公を謀ろうした者なら当然の末路かと。後継者候補は銀竜に、銀竜候補は後継者候補に、それぞれが我が身に報いを受けけじめをつければ、誰も非難はいたしませんでしょう。不正への厳罰ならば家名に傷がつく事もありません」
「一族から死傷者を出す事を許容するのか?」
「自らの銀竜が本物という自信があるのなら杞憂ですよ。自信が無いのでしたら、今すぐここで放棄を宣言すれば良いかと」
「お前は自分の銀竜本物だと確信しているから不安など持ち合わせていないようだが。もしも言葉巧みに騙されているだけだったとすればどうするのだ?」
「自分は何も騙されただけ。何も知りませんでした。果たしてこのような言い訳が、ヴォンヴィダル公への狼藉に対して聞き入れられるとお思いですか? 人物を見る目も後継者には必要でしょうに。仮に私が騙されていたとしても、喜んでその報いは受けましょう。兄上方の銀竜どちらかに」
 言葉を選びながらでは思うような交渉が出来ない。そのため話のペースを一向にヴィレオンから奪えず、ラヴァブルクは即答されるだけの薄い質問を重ねる事しか出来なかった。そのためヴィレオンが優位という印象以上に、主張の正当性すらヴィレオンにあるようにさえ見えてくる雰囲気が漂い始める。それを好機と見たヴィレオンは、今度は高圧的な態度でラヴァブルクへ圧力をかける。
「では大兄上、順番を決定して下さい。私は最初でも構いませんよ? 何せ私の銀竜こそ本物ですからね。そちらの偽者も、ヴォンヴィダル家を謀ろうとした報いを受けて頂きましょう。私は武芸の出来が悪いですからね、手加減はあまり期待されぬように」
 演技がかった不敵な笑みを浮かべ、ラヴァブルク、ボーンディルン、続いてそれぞれの銀竜候補と順番に睨みつける。これまで兄弟の中で最も穏健で争いごとを好まない人物と思われていたヴィレオンが、これほど攻撃的な態度に出て来る事は誰にも想像がつかなかった。それだけにグリエルモを除いた誰もがヴィレオンの迫力に圧倒され言葉を失い場の空気は凍りついた。
「ヴィレオン……お前まさか、我らを亡き者にするつもりか?」
「兄上、言葉が過ぎますよ。私はただヴォンヴィダル公のお手を煩わせたく無いだけです。そもそもこの選考自体がそのためではありませんか?」
「そういう事である。小生、非暴力主義である故、半殺し程度で済ませてやるから、そこのハゲからかかって来たまえ」
「ど、どこの世界に半殺しを良しとする非暴力主義者がある!? 野蛮な!」
「陰湿よりマシだよ、焼け野原」
 命懸けの戦いか、後継者争いからの離脱か。あっさりと前者を選択したヴィレオンに対し、選択するどころか方法に対して異論を唱えるラヴァブルクとボーンディルン。この構図だけでも誰が優勢なのかは明らかだが、ラヴァブルクは更に別の事についても危惧していた。それは、それぞれが立てた銀竜候補である。彼らには高額の報酬を支払ってはいるものの、半死半生に見合うほどではない。自分は命を懸ける覚悟があっても報酬が目的で来た二人にそれほどの覚悟は無い。臆せば真っ先に自分が偽者であると認めるだろう。ヴィレオンの言う通りに最初の順番にしてしまえば、おそらく拳を当てるよりも先に敗北宣言するはず。
 どちらを選択しようと、ヴィレオンが有利な立場に変わりは無い。ラヴァブルクはここでようやくヴィレオンに猶予を与えてしまった事を後悔した。まさかここまで開き直り捨て身を敢行するとは思いもしなかったと、自らの浅はかさに苛立ちすら覚える。
「ヴィレオン、そのような蛮行を我らヴォンヴィダル家の一族がやるというのか? 血塗られた後継者争いなどと世間から揶揄されるぞ」
「ヴォンヴィダル公は若かりし頃、幾度となく命と誇りを賭けた決闘を行いました。その理念を我らが受け継いで何が悪いのです? 揶揄されるのは、そこに誇りが感じられないからです。裏取引やら人質交渉やら、世間は誰も何も知らないとお思いですか?」
 深く切り込んでくるかのようなヴィレオンの言葉に声を詰まらせるラヴァブルク。そしてヴィレオンは嘲笑の視線を送り追い討ちをかける。
 あえて余計な言葉を使ったのは、ヴィレオンから逆にラヴァブルクに対しての圧力である。その言葉がよほど聞いたのか、ラヴァブルクは眉間に刻んだ皺をより深くするものの、それ以上反論しようとはしなかった。
 場は完全にヴィレオンが支配している。後は二人にどちらかを選択させるだけである。そう思っていたその時、またしてもボーンディルンが堪えを忘れ声を荒げた。
「馬鹿馬鹿しい、誇り高きヴォンヴィダル家の人間がそのような戯言に付き合えるか!」
「兄上はこの方法がフェアではないと?」
「公正かどうかの問題ではない! 野蛮過ぎるというのだ! ヴォンヴィダル公が行った決闘はその日その場で決めるような浅はかなものではない! ヴィレオン、お前の言っている事はむしろヴォンヴィダル公への侮辱に当たるぞ!」
 おそらく苦し紛れの言葉だったのだろうが、その指摘はヴィレオンの言葉を僅かに詰まらせる。だがそれを好機と思わせるよりも早くヴィレオンは次の行動に移った。
「ならば、もっと穏便にいたしましょうか」
 するとヴィレオンはおもむろに上着の内ポケットへ手を入れると、そこからラベルの貼られていない一つの小瓶を取り出した。
「ここに、一世紀ほど前までは頻繁に毒殺に用いられた薬があります。これを銀竜候補者に致死量ほど飲んで戴きましょうか。竜は如何なる毒物も通用しませんから、本物であれば大した事ではありません。勿論、飲む飲まないは本人の自由で結構。ただし、飲まなかった場合は死亡したものと見なしますので」