BACK

 これまでは辛うじて傍観者を決め込む事が出来たものの、矛先が自分達のみへ定められた事に、二名の銀竜候補はたちまち顔を青褪めさせる。その様子を鼻で笑うような眼差しで見るヴィレオンに気づきすぐさま表情を整えるものの、とっくにこの異様な駆け引きで全身が緊張に震えているせいか顔色を思うように戻す事は出来なかった。
「ヴィレオン、それは本物なのか?」
「ええ、屋敷内のある者が所有していたものです。その者は無免許でしたので、一応薬剤の取り扱い免許を持つ私としては不法に持たせておく訳にもいかず、穏便に譲って戴きました。では念のため、証拠をお見せしましょうか」
 そう言ってヴィレオンは手元からスプーンを取り皆に示す。続いてビンの蓋を開けそのスプーンを中へ入れると、そのまま漬け込み始める。しばらく様子を確認した後にスプーンを抜き再び皆へ示した。するとそのスプーンははっきりと分かるほど黒ずみ始めていた。
「この通り。最近では滅多に見かけなくなった代物です。御理解戴けましたかな?」
 銀製のスプーンを変色させる液体は極限られているが、一つ二つではない。しかし、その組み合わせから誰もがほぼ同じ発想をした。たったそれだけの事で、ほとんどの者がビンの中身に対し疑いを無くしてしまう。
 だかボーンディルンは食い下がる。
「待て、トリックの可能性も考えられるぞ。単に着色しただけではないのか?」
「たとえそうだとしても、飲むのは兄上ではありません、銀竜候補の方です。人間には多少有害な染料にせよ、間違いなく死亡する毒物にせよ、飲むのは竜なのですから何の問題もありません。問題があると少しでも疑う方は飲まなければ良い。これは強制ではありません。自らが本物の銀竜だと証明したい方だけが選択すれば良いのです」
「本物かどうかも確かめぬまま、選別も何もあったものではないぞ」
「でしたら、御気が済むまで確認して戴けば良いでしょう。それで納得いたしましたら、私の提案を承諾して貰えれば結構」
「確認など、そんな簡単に出来るものか」
「そもそも、こんな事自体が無意味なのですよ? 本物の銀竜なら毒なのかどうかすら気に留める必要が無いのですから。銀竜がただ飲むだけ。何を恐れる事がありましょうか」
 竜にはどんなに強い毒物も水と同じである。本物である事が前提のはずの候補者が、毒薬が本物かどうかを心配する必要はない。その可能性を恐れるのは人間に他ならないからだ。
「他に反論はございませんか? それでは、提案した私の方から」
 周囲が静まった事を確認したヴィレオンは、空のカップへビンの中身を三分の一ほど注ぎ、それをグリエルモの前へ差し出した。素人目にも致死量を遥かに超えた量に、誰もが苦い唾が込み上げ眉間に皺を寄せる。普通の人間が口にすれば、とても生きていられるはずはない量。しかしグリエルモは臆するどころか自分からカップを手に取ると、顔を近づけ香りさえ嗅いでみせた。
「ヴィレオン君」
「どうかなさいましたか?」
「ミルクを取ってくれないかね。苦いものをそのまま飲むのは喉に悪い」
「これは失礼」
 微苦笑を浮かべながらヴィレオンが差し出したミルクポットを受け取ると、どこかでそんなパフォーマンスを見たのかポットを頭上ほどまで持ち上げカップへと注ぎ始めた。だが見様見真似ではミルクの勢いを細める事すら出来ず、ミルクは何度も目標を外しグリエルモの前へ飛び散る。やがて大半のミルクをテーブルへ撒いた後、この不良品め、と悪態をつきながら乱暴にポットを置いた。
 ミルクで汚れたカップを手に取り、そのまま普段通りに口元へ無造作に運ぶグリエルモ。しかし、
「やめろ、飲むな!」
 演技では無いと見るや否や、血相を変えてボーンディルンがそれを止める。
「何故お止めになるのです? 彼が偽物なら、ライバルが一人減るのですが」
「どうかしているぞ、ヴィレオン! 先ほどから命を玩具のように!」
「お言葉を返すようですが、お二人こそヴォンヴィダル家の家督を軽視してはおりませんか?」
「何が言いたい」
「ヴォンヴィダル家の当主とは、単なるヴォンヴィダル家の代表ではない、ヴォンヴィダル家歴史そのものの一部なのです。不祥事や不名誉とされる一切の事は、単に家名を汚すだけには留まりません。下男ならば首の一つで片付く問題も、当主ならば首だけでは済まないのです。お分かりですか? 命を懸けるなど当主にとっては当たり前の事なのです。一族を束ね率いる以上、当主の命は自分の物ではない、ヴォンヴィダル家の所有物なのです。我が身可愛さ一心で命を投げられぬのなら、ヴォンヴィダル家の当主の資格はありません。私はその覚悟でここへ来ています。もしもこの場で不始末を起こした時は、私も毒杯をあおりましょう。グリエルモさんはそんな私を理解して戴けたからこそ御助力して下さるのです。という訳で、さあ、グリエルモさん。どうぞ」
「待て! お前の覚悟はよく分かった! 分かったが、後継者候補ならばともかく、一族と無関係な者の殺生は万が一でもまずい!」
「私の命では不十分と仰いますか? 御心配なく。こちらは正真正銘本物の銀竜ですから、死人沙汰などそれこそ万が一にもありません。それとも、兄上から先に行いますか? 本物の銀竜だという自信もおありでしょうし」
 その言葉にボーンディルンの銀竜候補の表情が引きつる。ただでさえ常軌を逸したヴィレオンの発言が続く中、済し崩し的に命を懸けさせられるのではと恐怖が込み上げ、ふつふつと冷たい汗が浮かび上がる。当然、銀竜候補として彼を立てたボーンディルンも、自分の銀竜が万が一毒を飲んで死んでしまえば、後継者どころか一族内での立場も無くし社会的な地位すら危うくなる。ヴィレオンにより銀竜と一蓮托生の状況となってしまった事は理解しており、もはや銀竜を守る以外に他の選択肢が無かった。
「ええい、言っても分からぬこの気狂いめ! このような茶番など付き合う気は毛頭無い! 後はお前だけで勝手にしろ!」
 返答に行き詰まった苦し紛れとも取れる激昂へ走ったボーンディルンは、そのまま何も聞かず銀竜候補と共に部屋を飛び出す。
 今の発言はどう解釈すべきか、これからの展開はどのようになっていくのか、混迷の一途を辿ろうとする状況に周囲から不安めいたざわめきが広がる。そんな中、続いてラヴァブルクも立ち上がると、静かにヴィレオンの目前へ詰め寄った。
「ヴィレオン、ここまでしでかしたのだ、覚悟は出来ているのだろうな?」
「ええ、無論。大兄上こそ、ゆめゆめ私を侮らぬように」
 二人の間の空気が張り詰める。そこには後継者争い以外の因縁が見え隠れしているように見えるが、それを声にして指摘する者はいなかった。本来なら穏健であるはずのヴィレオンがこれほど常軌を逸して兄二人に挑んでいる以上、浅からぬ何かが起こっているのは想像に難くない。
 しばし厳しい表情でヴィレオンを睨みつけていたラヴァブルクだったが、やがておもむろに口元を綻ばせ踵を返した。
「私もこのような茶番には付き合う気はない。ヴォンヴィダル公を煩わせまいと思い開いた選考会だったが、こうも非協力的ではこれ以上は無意味だな。これで失礼させてもらう。明日の謁見には三人で臨み、不本意だが偽物共々ヴォンヴィダル公にお目通し戴く。ヴィレオン、お前はそれまで良く頭を冷やす事だ。今後についてもな」
 最後まで脅し文句を忘れなかったが、衆目を意識し過ぎているためそれほど圧力を感じない。どこか軽い印象のまま、ラヴァブルクは銀竜候補と共にこの場を立ち去っていった。
 ボーンディルンに続き、ラヴァブルクも完全に撃退した。この場限りとは言え、単なる牽制どころか謁見前に大幅な優勢を勝ち得た事になった。実質的に何かを伴うものでは無いにしろ、少なくとも精神的な優勢、相手には劣勢は与えている。それだけでも負担は天地も違うのだ。
「ふむ、ヴィレオン君。これはなかなか刺激的だね」
 その時だった。不意にグリエルモの感嘆の声が聞こえてくる。振り向くとそこでは、グリエルモは空のカップを引っ繰り返して眺めていた。中身はいつの間にか飲み干していたらしく、口の周りがカップについたミルクで汚れている。
「な、なんてことだ!」
「誰か医者を呼べ!」
 ヴィレオン達の対決に気を取られすっかりグリエルモの事を忘れていた一同は、カップの中身を飲み干してしまったと知るなり慌てふためく。せっかく考え付いた最高の見せ場だったというのに、人目に触れぬままあっさり終えてしまうとは。そうヴィレオンは微苦笑し、騒ぎ始めた一同に向かって両手を掲げて叩き注目を促した。
「皆さん、御心配なく。彼は平気です。何も問題はありません」
「さっきの毒は偽物だったのか!?」
「いいえ。ですが、彼は本物ですから大して重要ではありませんよ」
「まあ、そういう事だ。さて皆さん、しばし小生の歌に付き合って貰おうか。この通り、楽器は持参済みだ」
 周囲が納得しない内に、マンドリンを鳴らしては強引に歌い始めるグリエルモ。たった今、致死量を遥かに越える毒を飲んだばかりだというのに、平然としている彼の様子を一同は呆気に取られながら眺めていた。初めは、急性の症状が出る毒ではないからと思っていたが、一向に変調を来たす様子が見られないことから毒はやはり偽物だと思い始める。そして緊張感が徐々に解れていき、グリエルモの珍妙な歌に不快感を抱くようにまでなった。
「ヴィレオン殿、一つ宜しいか?」
 ふと傍らに立って終わりを待っていたヴィレオンに一人の初老の男が話しかけて来た。手にはグリエルモが飲み干したカップをハンカチ越しに携えている。
「ヴィレオン殿、私も薬学の知識はあり有毒なものかどうかぐらいはすぐに見分けはつくのだが……」
「如何です?」
「……これは紛れも無い本物ではないかね。それも、一滴もあれば十分致死量だ。それを彼はあんなに飲んだというのか? その上でああ振舞えるのだと?」
「彼は銀竜ですから。大した事ではありませんよ」
「そ、そうか……」
 半分納得し、半分納得のいかない表情のまま初老の男は自分の席へと戻って行く。あえて明言しなかったが、今はそれで良いとヴィレオンは考えていた。下手に主張するよりも、彼の口伝で広がっていった方が遥かに信憑性が出て来るからである。そして、有る程度広がった時、間違いなく事態が急変する。その時こそが決定的な決着の瞬間になるだろう。
「『竜に使われる猿達よー、それを喜ぶ猿達よー』……ヒック!」
 突然奇妙な声を上げてグリエルモが歌を中断する。
「どうしました?」
「ふむ、しゃっくりのようだ。ヒック!」