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 ヴォンヴィダル公に連れてこられたのは、近郊にある小さな港だった。大連星諸島には幾つか港があるがそのほとんどが個人所有のもので、主に富裕層の客船の管理で成り立っている。この港もそれらと同じ港の一つだったが、停泊しているのは一隻の軍艦だった。港そのものを借り切っているようであるが、民間向けの港に明らかにそれと分かる軍艦が停泊する姿は異様そのものだった。
 招かれた艦内は迎賓用に改装されているため、油臭さを感じさせる外観からは想像も付かないほどの豪奢な作りになっていた。装飾だけを見ている限りでは一流ホテルと比べても遜色が無い。また、艦内に搭乗している船員も役目や身分に応じた礼服を着た厳かな身形をしているため、単なる艦内スタッフなのか本来は軍人なのか見分けがつかなかった。
「さて、ここだ。好きな席につくといい」
 ヴォンヴィダル公に通された広間は、将軍が兵の士気高揚目的で演説をするような広い多目的ホールのようだった。しかし、床には一面にクリーム色の豪奢なカーペットが敷き詰められ、その中央にはアンティーク調の重厚な長テーブル、一番奥のヴォンヴィダル公の指定席らしい場所には一際目立つ大きな椅子と、その左右に家紋らしき紋様が織り込まれた旗と人間ほどもある巨大な戦斧が立てられている。如何にも軍属関係の貴族といった調度品である。更に圧巻なのが、この広いホールのそこかしこに使用人が控えている事だった。こちらはヴォンヴィダル公を含めてもたった三人、明らかに不必要な配置であるが、これもまた貴族の体面というものなのだろうとソフィアは肩をすくめる。
「好きな席につくといい。すぐに食事としよう」
 そう言ってヴォンヴィダル公は自分の席へ腰を下ろした。
 好きな席とは言っても、これだけ無数の椅子が並んでる中わざわざ離れて座っては角が立つ。部屋の外に出ていてもヴォンヴィダル公の声は聞こえそうではあるが。
 さすがにこれだけ多くの使用人が側に控えていると威圧感もあり、ソフィアは一つ離れた席を選ぶとその間にはエミリアルを座らせた。エミリアルの性格を考えれば一歩退いた所に位置取るのだが、未だこの状況にショックを隠しきれないのかなすがままに着席した。
 程なく運ばれてきたワインでの乾杯を済ませ、まず運ばれてきた前菜に舌鼓を打つ。丸一日食事を取っていないせいか胃の奥が僅かな痛みを感じていたが、一皿送り込んだところで落ち着きをみせる。思考にもあれこれ幅を持たす余裕が出てきた。だが、そんな一方で傍らのエミリアルは見るからに食が進んでいない。表情もどこか思い詰めているように見える。責任感がありすぎるのも考え物だ、とソフィアは思った。
「ところで、後継者争いしてる兄弟って、他のはどんなの?」
「ふむ、興味があるかね? どれもまだ独身だぞ」
「そういう興味じゃないわよ。どうせ私を人質どうこうって、その辺のきな臭い所に関係するんでしょ? どっちに張るのが得策か参考にしたいだけ」
「噂通り、精魂逞しいな。まず長男はラヴァブルクという。体格は若い頃のわしに良く似ており武芸の腕もかなりたつ。立ち居振る舞いも落ち着きがあり、親類一族の印象はかなり良いようだ。後継者としても第一候補に挙げられている」
「なんでそれで決定にならなかったの?」
「ラヴァブルクは外見だけは良くても、肝心の頭がまるで空っぽなのだ。物事を一方にしか考える事が出来ず、不測の事態になれば常に後手後手。わしの先見性や思慮深さがまるで受け継がれていない」
「筋肉馬鹿ねえ。で、次男は?」
「次男はボーンディルン。こいつは駄目だ。評価すべきところが何もない。多分、わしの血は引いてないな」
「どういうこと?」
「あまりに器が小さ過ぎる。神経質でやたら細かい事に拘るくせに、自分より強い者の理不尽はあっさりと認めてしまう。まあ危険に関しては誰よりも敏感だが、自分の保身にしか生かせないような役立たずだ」
「随分な言いようね。それでも自分の息子なんでしょ? もっと良いところを見つけてあげなきゃ」
「お前も子供を持てば分かるさ。期待外れならばまだしも、自分と同じ癖を見せ始めると絶望感すら覚えるぞ」
 なんとも荒んだ親子関係だ。そうソフィアは溜息をついた。
 人の家庭の事情に干渉する趣味は無く、人間関係の把握程度にしか興味はなかったものの、ヴォンヴィダル公が自分の息子を他人の前でけなす事は聞いていて気分の良いものではない。自分が言及する必要もないが、子を大切にしない人間はろくな人間ではないという自らの持論を再確認する。
「末子のヴィレオンは、最近の風潮にありがちな軽薄な男だ。日頃から女子供の音楽だ文学だの流行廃り傾倒しては、自分探しだ自由がいいだと言って世界中を飛び回っている」
「要するに穀潰しね。言い訳の得意な」
 その時だった。突然傍らのエミリアルが勢い良く立ち上がり声を上げた。
「それは違います! 悪意のある偏見です! ヴィレオン様は自ら望んでそのような事をしているのではありません!」
 突然の変わりように驚いたソフィアは、飲んでいたワインを口の端へ滲ませてしまった。
 そんなエミリアルにヴォンヴィダル公は愉快そうに笑った。
「無論、知っている。あれは馬鹿の振りをしているだけだ。ヴィレオンは三人の中で最も頭が良く、思いやりもあり心が優しい。それが故に、無駄に兄弟で跡目争いをするよりは自分が白痴を装って目を逸らしてしまおうと考えたのだろう。人望は一番あるだろうが、この現状では優しさが仇にはなっているのが否め無いだろうな」
「人望があるならヴィレオンにすればいいじゃない」
「そうもいかんな。ヴィレオンは兄弟で一番弱いんだよ、腕っ節が。男の強さは倒した敵の数で決まるのだ」
 まさに三馬鹿兄弟、しかし父親がこの有様ではなるべくしてこうなり、他人を巻き込むほどの馬鹿馬鹿しい跡目争いも起こるべくして起こったようなものである。貴族の全てがおかしい訳ではなく、またおかしいと言っても一概に害のある存在とは言い難い。しかし、このヴォンヴィダル一族は明らかに断言出来る一族である。どこがどうと細かな突っ込み所は数え切れないほどあるが、これまでの人生で有り得ないほど多くの変人奇人と遭遇してしまった自分の勘がそう告げている。
「で、私は何をすればいいの? 日当分ぐらいは働くけど」
「大した事じゃない。人質としてそれなりに演技をしてくれればいい」
「演技、ねえ。本当は何が目的なの?」
「男なら、一度は倒してみたい奴がいる。違うかね?」
「女だし」
「そうか。とにかく、わしは倒したい奴がいるのだよ。それが銀竜だ」
「は? うちのグリと?」
 冗談にしては笑えない冗談だ。そうソフィアは一笑に付そうとしたが、あまりにヴォンヴィダル公の表情が真剣そのものだったため、溜息をつくことも躊躇ってしまった。
「かつては数々の武勇を馳せたわしの体も、そろそろピークが去ろうとしている。この斧が持ち上げられなくなる前に、この世で最も強い生物とされる竜となんとしても戦いたくてな」
「そうですか。普通にやればいいと思いますよ。決闘を申し込みなさいな。それでおしまい。あー私は帰りたくなったなあ」
「一個師団の長たる将軍が、凡俗にものを頼めるか」
「……つまり、自分に挑ませたいのね。マア、欲張りなこと」
 このジジイ、体はともかく脳のピークはとっくに過ぎ去ってるな。
 実に始末に置けない我がままである。貴族だからこれを当たり前だと思っているのかどうかは分からないが、自分が望む事でさえも相手に転嫁し実現しようとする態度は理解に苦しむ上に、自分が最も関わりたくないタイプである。
「ねえ、エミリアル。ヴィレオンに手回ししてグリに来てもらって、ちゃちゃっと終わらせようよ」
「いいえ……これ以上ヴィレオン様のお手を煩わせる訳にはまいりません。そうだ……いっそ死のう」
 面倒ごとを押し付けようとしたその時、これまで終始沈黙していたエミリアルが唐突に意外な言葉を口にする。思わぬ言動にソフィアは訝しげに眉を顰める。
「は?」
「ヴィレオン様……エミリアルは死んで償います」
 そう言ってどこからともなく取り出したナイフを構えると、その切っ先を自分の喉元へ狙いを定める。
「食事中に血なまぐさいのはやめてよ」
 すぐさまナイフを取り上げるソフィア。しかしエミリアルの袖からはすぐに別のナイフが現れた。それも続けて取り上げるが、今度は反対の袖から別なナイフが現れる。しばらく取り上げては新しいナイフを構えるやり取りを続けていたが、やがて手持ちが尽きたのか、エミリアルはテーブルのナイフを手に取ろうとし、それをソフィアが取り上げる事で決着した。
「うむ、自らの不始末を自ら雪ごうとは実に誇り高く潔い女だ。武人の妻となる女はこうでなくてはな」
「あんたの不始末の皺寄せが、最終的にこういうところへ回って来てるだけよ」