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 その晩は驚くほど和やかに進んだ。
 晩餐会は一転してヴィレオンに対し和やかな人当たりで、これまでのような刺々しい緊張感は微塵も感じられなかった。誰もが意図的に避けてるとしか思えないほど後継者争いの事を口にしなくなったが、それはもはやヴィレオンが選定される事が確定的であると誰もが考えているためのように思われた。無論、ラヴァブルクやボーンディルンがこの状況を好ましいと考えはしないのだが、彼らの傍らからは既に銀竜候補が消えていた。もはや勝ち目はないからと追い払われたのか、はたまた身の危険を感じて逃げ出したのか。どちらにせよ、銀竜候補を連れずに現れたという事は、暗黙の敗北宣言になる。ヴィレオンはそこに気づいてはいたものの、あえて情けをかける意味で正面切って指摘する事はしなかった。
 最も機嫌が良さそうだったのはグリエルモだった。他の銀竜候補と自分が同列に受け止められているだけでなく、あの二人が生理的に受け付けていない様子だった。そんな喉の支えが取れてなくなったのだから、グリエルモにしてみれば指に刺さって抜けなくなった棘がいつの間にか抜けてしまったといった心境だろう。
 ヴィレオンも立場に余裕が出てきたせいか、昼間の鬼気迫った素振りとは打って変わり、普段通りの穏やかな振る舞いを取り戻していた。しかし親族一同は、ヴィレオンのグリエルモこそが本物の銀竜であると確信しているため、露骨さは無いにしても当初に比べヴィレオンへすり寄る言動が多く見られる。そんな心境の変化に気がつかない振りをしているラヴァブルクが、ヴィレオンには哀れにさえ思えてならなかった。
 取り立てて注意する事柄も無く、夜も更け一人二人と寝室へ戻って行き自然解散という形で晩餐会は終わりを告げた。ヴォンヴィダル公については予定通り明日の正午に到着すると連絡もあり、後はこのまま無事に進むように思われる。
 自室へ戻ったヴィレオンは、グリエルモと就寝前の打ち合わせをしていた。しかし、今となっては特別な事は何も無く、ただの雑談に近い状態である。ヴィレオンも安心出来る状態にあるだけあって、片手にワイングラスを携えている。
「明日はようやくヴォンヴィダル公との謁見になります。それまでは気を抜かぬように。ですが、このままいけば何とか無事に当初の目的は達成出来そうですね」
「うむ、長いようで短い時間だったが、小生もそれなりに楽しめたよ。ヒック! まあ後は、催促するつもりではないのだがね、ほら、例のあれが手に入れば。ヒック!」
「ええ、十分承知しておりますよ。なんでしたら、お渡しする時にグリエルモさんの新曲を一緒にお披露目する場を設けましょうか?」
「本当かね? ああ、君は猿の中で最も良い猿だよ。ヒック!」
「恐縮です。ところで、そのしゃっくりは大丈夫ですか?」
「大事無いよ。小生、一晩寝れば大概のことは治る。ヒック!」
 グリエルモは昼間に毒を飲んで見せてから、ずっとしゃっくりが止まらなくなっている。致死量の何十倍という毒を飲んだのだから、そのせいで何かしら起こっているのかもしれない。人間には民間療法で幾つか止め方はあるものの、それが竜にまで通用するかは分からない。もっとも、人間の治療法を気位の高い竜が受け入れるとは思えないが。
 グリエルモのしゃっくりはさておき。現状、気にかかることが全くないと言えば嘘ではある。ボーンディルンは放っておいても良いが、ラヴァブルクはそう簡単に物事を諦めるような性格ではない。もしかすると、人質を取る以上の強攻策を今頃画策しているかもしれないのだ。だが、グリエルモが本物の銀竜と知っている以上、どれだけ強い毒を飲ませようが刃物で切りつけようが無駄であると把握しているはず。となれば、標的が移ってくるのは自然と自分かエミリアルになる。けれど、それもあまり現実的ではない。そもそもエミリアルを潜伏させている場所は分からないだろうし、たとえ見つけ捕らえたとしても、そういった行いは親族が許さないだろう。ましてや、自分へ凶刃を向けるのは自ら寿命を縮めるに等しい行為だ。
 もし矛先をこちらへ向けるような事があるとしたら、それは勝敗の関係ない玉砕行為である。どれだけ優位な立場になろうと、それだけは常に注意しなければならない。言い換えれば、取り得る手段はそれぐらいのものという事でもある。向こうの打つ手さえ分かれば、後はそれほど怖いものはない。
「ところでヴィレオン君。ヒック!」
「何でしょうか?」
「ソフィーはそろそろ小生に逢いたがっていると思うんだ。今、胸をちくりと刺すような悲しみが聞こえてきたからね。だから明日辺り、ソフィーをこっちに連れてきたいんだが。ヒック!」
「そうですね、もう状況も落ち着いていますし私もエミリーの顔が見たくなりましたから。午前中はヴォンヴィダル公の迎えのため港へ移動しなくてはいけませんので、少し早めに出て先に宿へ寄りましょう」
 こうして弱点も目の届く所へ置いておけばいざという可能性の心配も無い。全て盤石でヴォンヴィダル公の謁見に臨むことが出来る。ヴォンヴィダル公が求めるのは本物の銀竜である。後はそれを証明すれば万事完了だ。
「明日は良い日になりそうですね」
「うむ、そうだね。ヒック!」