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 翌朝、ヴィレオンはグリエルモだけを伴って早々に屋敷を出た。予定では午前中に港へ赴きヴォンヴィダル公の到着を迎える準備を行うはずだったが、それに間に合わせるよう早い時間帯に発ち後ほど合流する予定を立てていた。グリエルモのわがままもあるが、自分もエミリアルを手元へ置きラヴァブルクが自暴自棄を起こした場合に備えておきたい考えもあった。
 親族一同はこちら側へなびいたか、最低でもどっちつかずの静観の姿勢であり、ラヴァブルクへ一方的に肩入れをする者は残っていない。ラヴァブルクにはまだ側近がいるものの、ヴォンヴィダル公を迎える日に下手な策略は使ってこないはず。そこで更に万全を来すならば、この程度の手間を惜しむ理由は無い。
「見てごらん、ヴィレオン君。朝も早くから海へ身を投げる猿がいるよ。ヒック!」
「おそらく地元の若者達ですよ。高いところから飛び込んで、度胸試しをしているのです。それよりも、しゃっくりはまだ止まりませんか?」
「なかなか頑固で困っているよ。しかし、この強く短く息を吐く感じが新しいメロディを浮かべるきっかけになりそうなのだよ。ヒック!」
 馬車の外を眺めるグリエルモは、未だ昨夜から続くしゃっくりが止まらない。あの毒を飲んだのがきっかけのようだが、体調そのものは別段異常はないらしく、あまり気に留めなくとも良さそうではある。ただ、ヴォンヴィダル公との謁見という厳粛な場までそれが続くのはあまり宜しくはない。
 馬車の乗り継ぎや回り道などの手間はかけず、まっすぐ二人が泊まるホテルへ馬車を向かわせるヴィレオン。町の様子は普段と変わりなく天気も良さも手伝って、ヴィレオンは車内のソファーへゆっくり背を預けくつろいだ。グリエルモは自分のしゃっくりをヒントに作曲をしているが、あまり思うような出来映えではないのか気難しそうな表情でノートを破っている。
 やがて破るページが無くなった頃、馬車は目的のホテルへ到着した。グリエルモは不機嫌にノートの残りを食べてしまい、そんなグリエルモをヴィレオンは苦笑いでなだめながら馬車を降りた。
 正面出口には出迎えはなく、ヴィレオンはそのまま自分の足でロビーへと入る。すると、そこをたまたま居合わせた支配人と出会した。
「あ……ヴィレオン様。こんな朝早くに如何されましたか?」
「連絡も無しに済まない。うちの連れを引き取りに来たよ。宿泊料は先払いで差額は取っておいて構わないから、何か問題はあるかな?」
「い、いえ……ですが、ただ、少々問題が起きまして……」
「何かあったのか?」
 支配人の困窮した様子に首を傾げるヴィレオン。一方でグリエルモは、ソフィアの匂いでもするのか鼻をひくつかせながら周囲をうろついている。
「実はさる高名なお方が昨日いらっしゃいまして、お二人を連れて行かれました。それで今お二人はこちらにおりません」
「……なんだと? 私はそういった話は聞いていないぞ。一体どこの誰だ」
「それは私の口からは申し上げ難く……」
「私の身分を踏まえた上で、口に出来ないと?」
「はい。決して他言してはならぬとの御言いつけでして、どうか御容赦戴きたく……」
 ヴィレオンは予想もしなかった事態に表情を曇らせる。
 二人を連れていったのは、彼の話から察すると自分より身分が上の人間と思われる。しかし、そんな人間が二人を連れ出す目的が分からない。自分より目上の人間は限られているが、彼らが今現在ヴォンヴィダル家の後継者を決定する最中にある事を知らないはずがない。何故、このタイミングで、こういう形での妨害を行ったのか、二人を連れ去った目的は何なのか、幾ら想像してもなかなか繋がって来ない。
「グリエルモさん、参りましたね。どうやら敵は兄上達だけではなかったようです」
 そう言って振り返ると、そこに立つグリエルモは既に平素の表情ではなかった。
「下種風情が、小生とソフィーの間を裂くとは……ヒック!」
 そううなるグリエルモだったが、しゃっくりのせいで今一つ迫力に欠けている。だがそれはグリエルモに慣れたヴィレオンの主観であり、支配人は顔を真っ青にして驚きを露わにしている。
「落ち着いて、グリエルモさん。時間はあまりありませんが、とにかく状況を整理して対策を練りましょう。支配人、部屋を準備してくれ給え。それから彼の事は他言無用に」
「はい、かしこまりました。ただちに。それと、ヴィレオン様。その方からなのですが、本日ヴィレオン様がこちらへいらした時に渡すようにと、これを預かっております」
 そう言って支配人が差し出したのは、一通の封書だった。
「ヴォンヴィダル家の封筒ですね。しかし、まるで初めから私がここへ来ると分かっていたかのような準備の良さは」
 訝しみつつも、まずは確認とばかりに手で封を破り内容へ目を通す。
「この筆跡は……」
「知り合いかね? ならさっそく、半殺しへ出かけよう。猿の一生は短い。ヒック!」
「……主は私の父、ヴォンヴィダル公です。しかもこれは、かなり面倒なことになりそうですね」