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 翌朝、ソフィアはエミリアルと共に昨夜と同じホールへ案内された。昨夜は艦内の客室へ泊まったのだが、並のホテルより遙かに広く設備も充実していたため、ゆっくりと心地良く休む事が出来た。その上、解放後には十分な謝礼も用意されているとあっては、思わず人質という立場を忘れそうになってしまう。これまでも変人奇人の類には散々付きまとわれ、今回もそれに違いはないのだが、謝礼があるのであれば話は別である。見合う金額なら何度でも遭遇したい。
 ソフィアは世俗的な考えで割り切りむしろこの状況を楽しんでいたが、関係者でもあるエミリアルは自分の手には負いかねるこの状況に相変わらず覇気を無くし何やら危うげな様子だった。ソフィアにしてみればこのエミリアルの状態の方が不安であり、普段は思いもつかないほど気にかけ世話をしていた。エミリアルの主であるヴィレオンとも報酬の話はつけているため、無論そちらが目的での世話焼きではあるが。
「淑女方、おはよう。昨夜はゆっくりと出来たかね?」
 ホールには既にヴォンヴィダル公の姿があり、朝食の準備は終わっていた。あの広いテーブルには朝から昨夜以上の皿が並んでおり、むしろ食欲を失うほど様々な香りが入り乱れている。おとぎ話に出てくる王様は、これほど料理を用意させてもあえて少ししか食べず下げさせたが、ヴォンヴィダル公なら体格からして当たり前のように平らげてしまいそうだとソフィアは思った。
「ええ、とても。良い御部屋を用意して戴きまして恐縮ですわ」
 金の匂いにはすぐしおらしくなる体質のソフィア、その変貌ぶりには周囲に控えていた使用人達もかすかに口元へそれぞれの思いを浮かべていたが、ヴォンヴィダル公だけは何事もなかったかのように普段通り大きな声で笑い飛ばした。
 昨夜と同じ席へ着き朝食を始める。
 黙っていると当たり前のように自分の皿へ厚切りのステーキをよそおうとする使用人に注意するのはさておき、問題なのは隣のエミリアルである。場の空気も読まず落ち込んだまま口をほとんど開かないのもそうだが、何より気を付けたいのは昨夜のような思い詰めるあまりの唐突な行動である。ヴォンヴィダル公の使用人が隠し持っていた刃物の類は全て取り上げたらしいが、こういったタイプの人間は可否に関わらずテーブルナイフでもやろうとする。あまり目は離さない方が良い。下手に怪我をされたら、ヴィレオンが報酬の支払いを渋るかもしれないのだ。
「さて、もうそろそろヴィレオンと銀竜がここへ到着するそうだ。用事が済めばお嬢さん、お前は帰っても良いぞ。エミリアルもヴィレオンの元へ戻るがいい」
「ちゃんと御給金を戴きましたら、すぐにでも帰りますわ。それよりもヴォンヴィダル公、本当にうちの愚図と一戦交えるおつもりで?」
「如何にも。今日に備えて、ほれ、この通り」
 そう言ってヴォンヴィダル公は部屋の一角にある、家紋入りの大きな白い布がかけられた不自然な膨らみへ視線を向ける。その傍らに控えていた使用人はヴォンヴィダル公の合図と共に、その布を勢い良く取り払った。現れたのは、等身大の台座に飾られた重厚かつ豪奢な全身鎧と、鎖で縛られアンティーク調に固定された巨大な戦斧だった。
「わしが当主になってからこつこつ脱税して貯めた資金を全て注ぎ込んで特注したのだ。これだけで小国の国家予算ほどあるぞ!」
「贅沢な死に装束ですこと」
「何か言ったかね?」
「いいえ、これほど良い物を見させて戴いて、ただただ感激しているばかりですわ」
 自慢げに語るヴォンヴィダル公に対し、ソフィアはどこか自分のための報酬が無駄遣いされたような気持ちになり、理解し難いこの逸品に微苦笑する。男は時折、どれだけ危険な挑戦をしてどれだけの傷を負ったか、と自慢げに語るが、それはただの馬鹿さ比べにしか思えない。今のヴォンヴィダル公からもそれと同じものを感じる。
「さて、お嬢さん。わしは銀竜に勝てると思うかね?」
「勿論ですわ。ダンディでお強いですもの!」
「しかしだな、それは即ちお嬢さんの連れである銀竜を殺す事になるのだがね。それでも平気なのかね?」
「え? あ、いえ、その……」
「まあよい。世辞に突っ込むのは無粋であったな」
 自分にとってグリエルモがどういった存在であるのか、それをヴォンヴィダル公は見透かしている。見透かした上でこんな質問をして来たのかと思うと苛立ちの一つも覚えるのだが、結局の所はこの結末など簡単に想像できるいつもの事で、ここまで手の込んだお膳立てをしておきながら辿る末路にはむしろ同情さえしてしまう。
「何かね、その物憂げな視線は」
「いいえ、何も。ヴォンヴィダル公、御給金の件ですけれど恐縮ですが早めに戴きたいの。先祖の言い伝えで、午後の金には魔物が棲んでいるから触れてはいけない、とありますの。ですから午前中に」
「随分とおかしな言い伝えじゃな。まあよい、先祖は大事にせねばならん。おい、誰か。例の物をお嬢さんにくれてやれ」
 ヴォンヴィダル公の言いつけに、ただちに使用人の一人が一礼しホールを後にする。
 金が金を呼ぶのは事実だったんだ。そうソフィアは危うくいやらしい笑みを浮かべそうになる。
 趣味はともかく、所有物から考えてもヴォンヴィダル公は並の金持ちではない。小遣い程度でも相当な額になるだろう。それがきっちりと謝礼という形であれば、多少期待し過ぎても落胆はしないだろう。ソフィアは口元がゆるまぬよう注意するものの、指先は喜びと興奮に震えてうまくナイフの先が定まらなかった。
 程なくして、使用人がホールへ入ってくる。ソフィアの鼓動は遂に頂点を迎え、笑みへ無表情を強いる奇妙な表情でさも何気ない仕草かのようにその方向を見る。しかし使用人は手ぶらだった。
「ヴォンヴィダル公、ヴィレオン様とそのお連れ様が到着いたしました」
 なんだそっちか。そうソフィアは油断し大きな落胆の溜息をついた。それとは反対に喜びの息をもらしたのはヴォンヴィダル公だった。勢い余り、水の入ったグラスを強くテーブルへ置いたせいで亀裂が走る。
「良い、通せ。後は手筈通りにな」
「かしこまりました」
 不敵な笑みを浮かべたヴォンヴィダル公はおもむろに立ち上がると、鎖に固定された戦斧の元へ向かった。厳重に鎖で固定された戦斧の柄を掴むと、そのまま持ち上げようと強引に引っ張る。そのあまりの力に戦斧を固定していた鎖は悲鳴を上げながら次々と弾け飛び、やがて戦斧をヴォンヴィダル公へ渡してしまう。
「遂にこの時が来たか。我が一生の晴れ舞台よ!」
 それよりも、自分への支払いはどうなっているのだろうか。
 ソフィアは既にヴォンヴィダル公へ御世辞を使うのが面倒になっていた。