BACK

「グリエルモさん、くれぐれも冷静に願います」
「大丈夫、小生はまだソフィーの言いつけを守っているからね。ヒック!」
 グリエルモとヴィレオンは使用人に案内された休憩室にてヴォンヴィダル公の準備を待っていた。一体何の準備かまでは知らされていなかったものの、使用人の話ではとにかくすぐには会えないという事でこの部屋へ通された。
 ヴォンヴィダル公の戦艦に乗ったのは数年ぶりだったが、如何にも本人の趣味があちこちへちりばめられている感覚が未だ好きにはなれなかった。軍人の家系に生まれながらその方向には興味を持たなかった自分だからそう思うのかも知れない。だからこそ、本当はこんな後継者争いには関わりたくはなかったのだ。今思えば、もっと露骨ではっきりとした形で決別しておくのだったと後悔する。
「ああ、ソフィーの匂いがする。ここには間違いなくソフィーがいるよ。ヴィレオン君、いつまで待たなければいけないのかね? ヒック! そろそろこの趣味の悪い部屋も風通しを良くしてやりたいんだが。ヒック!」
「もうしばらく辛抱して下さい。とにかくヴォンヴィダル公へお会いするまでは何とも出来ません。まずは心意をお伺いしなければ」
「隠居する老人は、まともに考えられなくなったから隠居するのだよ。聞くだけ無駄であろうに。ヒック!」
「グリエルモさんはそれで良くとも、私はそれで済まされません。これは一族そのものの問題にすらなりかねない事なのですから」
「猿の家系など興味無いのだがね。ヒック!」
 ヴォンヴィダル公の謎の行動は、幾ら考えても憶測しか生まない。わざわざエミリアル達の居場所を突き止めて連れだし、自分達をここまでおびき寄せる事に何の意味があるのか。何もしなくとも、午後になればここに兄達共々やってくるというのに。それとも、わざわざ自分達だけおびき出さなくてはいけない理由でもあるのだろうか。
「『血祭り血祭り楽しいな、今宵は愚図共の生皮剥ぎ』ヒック!」
 しかも、あえて怒り心頭の銀竜を。
 いつにもまして血なまぐさい歌詞の歌を唄うグリエルモに不安をよぎらせながらしばし待ち続け、ようやく使用人がヴォンヴィダル公が謁見の準備が整った事を知らせに現れる。それから案内されたのは、どういう訳かホールや謁見の間ではなく甲板だった。何故上へ向かうのか、何か間違っているのではないかと使用人には再三確認したが、確かにヴォンヴィダル公からは甲板へ案内するよう言いつけられているらしく、それ以上の事は何も知らない様子だった。
 甲板にて語らいたいとでも言うのだろうか。しかしこの船は元は戦艦、甲板には無粋極まりない大砲の砲身がそのまま残っている。しかも潮風が強く、とても落ち着いて話すどころではない。まさか遥々こんな僻地までやってきて大人気ないスキンシップという訳でもあるまい。これはむしろ、こちらの思惑とは遥かにかけ離れた事が待っているぐらいの覚悟は必要だろう。
 定例の謁見とはまた異なった緊張感を抱きながら甲板へと上がる。戦艦の中でも指折りの大きさを持つこの船だけに、甲板は見渡すほどの広さがあった。しかし手すりや床は剥き出しの金属のままで、無機質な配色が目に痛かった。その上、嫌でも視界に入ってくる主砲等の砲身が、つくづく自分とは無縁の場所だとヴィレオンを落ち込ませる。
「久しぶりだな、ヴィレオン! ようやく来たか!」
 潮風を物ともせぬ豪快な大声が飛んでくる。視線を向けた先には、しばらくぶりに見るヴォンヴィダル公の顔と、そこから少し離れてエミリアルとソフィアの姿があった。だが、異様なのは普段周囲に控えているはずの使用人の姿はなく、代わりに甲冑と槍で武装した男達がいることだった。とても謁見とは思えない物々しい雰囲気に、ヴィレオンは落胆に似た表情を浮かべる。
「ヴォンヴィダル公……」
「父で良いぞ」
「ならば父上、その出で立ちは何でしょうか?」
 そうヴィレオンが指摘するヴォンヴィダル公の姿も、全身をきらびやかな鎧に包み片手には戦斧という、この国なら歩いただけで終身刑なるようなものだった。
 若い頃は最前線で自ら切り込み役を望んで引き受けていたという血気盛んなヴォンヴィダル公だったが、まるでその当時を彷彿とさせる姿。ヴィレオンはこれまでの回りくどい経緯が不思議でならなかったが、この瞬間にようやく全てを理解した。そして次に口をついたのは、ヴォンヴィダル公の勝手を咎める言葉ではなく、呆れ果てた披露の溜息だった。
「父上……いい歳なんですから自重して下さい」
「まだ自重する歳ではない! さあ、そこの銀竜グリエルモ! わしがヴォンヴィダル家が当主、ハルトバルト=ラヴァーバート=ヴォンヴィダルである!」
 戦斧を振り回し高らかと名乗りを上げるヴォンヴィダル公。それをヴィレオンは見てられぬとばかりに頭を振り溜息をつき、当のグリエルモは、
「ソフィー! 寂しかったかい? ヒック!」
「ああ、寂しい寂しい。特に懐が」
「それはいけない! 小生が元気になる歌を唄ってあげよう! ヒック!」
 初めからソフィア以外に興味はなく、ヴォンヴィダル公などまるで気に留めずつかつかとソフィアの方へ駆け出した。
「ふむ……やはり盛り上げが足らぬか」
 グリエルモの素振りに肩をすくめ、おもむろに片手を上げ合図を送る。すると周囲に控えていた槍兵が一斉にグリエルモの前へ立ちはだかり壁を作った。
「何のつもりかね。人の恋路を邪魔する者は苦しんで死ねという格言を知らぬのか。ヒック!」
 意図はともかく自分を邪魔しようとしている事にグリエルモは、たちまち機嫌を悪くし表情を骨格ごと軋ませ始めた。それを見た槍兵の何人かは、やはり本物の竜なのだと背筋を凍らせたが、ヴォンヴィダル公の命令に逆らう事は出来ずその場に固まる。
「知らんのう。そもそもお前は人じゃないからの」
 すると唐突にヴォンヴィダル公はソフィアを自分の手元へ引き寄せると、馴れ馴れしく頬を摺り寄せた。
「化け物にはもったいないからの、この娘もわしが貰うことにするわい」
「な、なっ、おっ、猿っ、ヒック!」
 これほど誰かに馬鹿にされたのは初めてのことだったのかもしれない。グリエルモは怒りを放つのもつまづくほど慌て、言葉よりしゃっくりを繰り返しながら目を白黒させる。その様子にヴォンヴィダル公は、追い打ちとばかりにせせら笑いを浮かべる。
「ちょっと! 勝手に触らないでっていうか鎧が痛い! あとコロンの趣味が悪い!」
「まあまあ、あと一押しなんじゃ。協力してくれまいか」
「嫌よ。それより早くお金頂戴。グリがああなったら、この戦艦ごと沈められるわよ。サルベージって高いんだから」
「ほほう、それは凄い凄い」
「ほほうじゃなくて。真面目に聞いてってば。貰うものを貰う前に死なれると困るんだから」
「ところでお嬢ちゃん、ダイヤはどんなものが好きかね?」
「は? カット、大きさ、透明度が良ければ何でもいいけど。あー、あんま黄色いのは駄目よ」
「ならとっておきのをボーナスでやろう。十年前に愛人にあげそびれた奴だが。これなら分かるかね?」
「ええ、とても良く分かりましたわ」
 するとソフィアは急に表情をすまし大きく息を吸い込んだ。グリエルモは未だ突然過ぎる怒りに慌てたままで、中途半端に両方の輪郭を残したまましゃっくりとうなり声を上げ続けている。そこへソフィアが大声で叫んだ。
「グリー! このジジイ殺して! 私、汚されちゃった!」
 唐突に飛び出した衝撃の言葉。その直後、呼吸が出来なくなるほど場の空気が凍り付いた。
 いきなり強く怒りすぎてあたふたしていたグリエルモは、一瞬動きを止め我に返ったかのような素振りを見せる。しかし、すぐさま両手を広げ天を仰ぎ獣のような咆哮をあげるや否や、体中が服を引き裂きながら凄まじい勢いで膨れ上がり、瞬く間に銀色の竜へと変貌する。
 銀竜は細長い瞳孔でじろりとヴォンヴィダル公を睨みつける。そして怒りも露わに再び咆哮を上げると、たまたま手元にあった副座の砲身を掴み、腹立ち紛れにとチーズのように縦に引き裂いた。
「銀竜は……こんなでかかったのか」
「そうよ。後はごゆっくり。ヤバくなったら言ってね。格安で止めてあげる」