BACK

 今朝方朝食を食べた場所とは思えないほど、ホールの状況は変わり果てていた。使用人の大半はどこかへ避難し未だ戻って来ていないのはともかく、部屋を彩っていた数々の調度品は先ほどの騒ぎに巻き込まれたため原型を留めないほど損壊、中央にある長テーブルは辛うじて無事ではあるものの瓦礫が盛大に積み上がっている有様、そして最も象徴的な存在だったはずのヴォンヴィダル公の椅子は不自然なほど見事に真っ二つに割れてしまっていた。
「まあ、休むぐらいは出来るであろう」
 ヴォンヴィダル公はこの惨状を前にも別段動揺する事も無く、清々しいとばかりに笑い手近にあった椅子に腰を下ろした。
「一応聞くけど、ちゃんと払うものはあるんでしょうね」
「そう心配するでない。船底には金庫があってな、少しくらい大砲を食らってもびくともせんわい」
「まあ、そうでしたの。さすが歴戦の将軍は持ち物も一流ですわね」
「お前さんのそういう所が末恐ろしいのう」
 グリエルモが落ち着いたところで事は一段落したという状況だったが、船の修理が済むまで当分はこの大連星に留まる事になる。しかし、客船ではなく戦艦を補修出来る職人が近くにどれだけいるかは疑問である。
 ヴォンヴィダル公は、ふと吹き付けてきた風に頭上を見上げる。このホールは船の中程に位置しているのだが、そこからは晴れた青空を覗く事が出来た。このホールだけでなく、同じ用な有様の部屋は他に幾つもある。原因は無論、グリエルモが景気良く暴れ回ったせいであるが、これまで敵軍の砲弾を何度も受けながらびくともしなかったこの船を、あんな短時間でこんな姿にしてしまう銀竜の恐ろしさを改めて痛感させられる。
「ふむ、これはなかなか良い服だね」
 皆から遅れて戻ってきたグリエルモは、御世辞にも欲しいとは思えないような服を着ていた。おそらくどこかのデザイナーが派手好きな貴族向けにデザインしたと思われるが、色使いといい刺繍のくどさといい、実に見事な失敗作である。
「本当に貰って良いのだね?」
「まあ、それが気に入ったのならのう」
 衣装部屋にある服をどれでも好きなものをやる、とは確かに言ったのだが、まさか一度も袖を通す気にならなかっただけでなく取引まで止めた所の服を選んでくるとは。ヴォンヴィダル公は考え直す事を進めようとしたが、下手な事を口にしてグリエルモを怒らせでもしたら船は今度こそ沈みソフィアからも幾らふんだくられるか分からない。
「ねえ、ソフィー。ご覧よ。なかなか良い服を持っていたよ」
「あら本当。生地も丈夫そうだし、これなら夜でもやたら目立っていいわ」
 そうソフィアに褒められ、更に機嫌を良くするグリエルモ。喜びのあまり即席の喜びの歌を唄い始め、周囲からひんしゅくを買った。
「今回の功労者への気遣い、といったところですか?」
「まさか。ああいう服なら人目を集めやすいから営業のウケがいいのよ。幾ら見た目が美形でも中身はバカなんだから、格好いい服なんて似合わないわ」
 やはりそんなところか。如何にもソフィアらしい返答にヴィレオンは苦笑する。しかし、一生着る機会が訪れない事を切に祈りたいこの服も、ソフィアにそう言われると不思議とグリエルモには似合っているように見えてきた。この三日間でグリエルモの扱いは随分身に付いたと思っていたが、やはり本家にはかなうものではない。
「さて、ヴィレオン」
 グリエルモが唄いながらどこかへ遠ざかり周囲が静かになると、突然ヴォンヴィダル公は改まって話を切り出し始めた。
「銀竜を見つけ連れてきた者を後継者とする、だったな。よくぞこの難題を成し遂げた。褒めて使わす」
「勿体無いお言葉です」
「約束通り、お前をヴォンヴィダル家の当主としよう。沙汰は後日正式に言い渡す。その時よりお前がヴォンヴィダル家を取り仕切れ。わしは十分満足したからのう、のんびり隠居させて貰う」
「はい、必ずや父上に恥じぬよう誠心誠意務めさせていただきます」
 普段軽薄な姿ばかり見ていたヴォンヴィダル公には、神妙な様子で受け答えるヴィレオンの姿が新鮮に見えた。ヴィレオンの軽薄さが演技である事は知っていたが、それ以外の顔を見せて貰う事が出来ないでいたヴォンヴィダル公にとってこの瞬間は、自分との距離が本来あるべきものへ戻ったことを確信させる喜びが溢れるものだった。随分と散財はさせられたものの、決して高いとは思わない。そんな気持ちを表に出すのは柄ではなく普段通り威厳を持って頷いたものの、ヴィレオンには明らかに普段よりも気持ちが浮ついていることが分かった。
「む、誰か戻ってきたようじゃの」
 その時、取れかけたホールのドアが外側からゆっくりと押し開かれた。一同がその耳障りな音に振り返り、現れた主へ視線を送る。
「ヴォンヴィダル公、御無事で何より」
「おお、何じゃお前か」
 ホールへやってきたのは一人の青年だった。見た目は非常に地味でどこにでもいそうな印象を受けるが、この状況に落ち着き払っている様子からすると単なる一般人ではなさそうである。
「紹介しよう、聖シグルス王国の諜報団のトアラだ」
「初めてですよ、一般人に紹介されたのは」
「おっと、国歌機密だったかな?」
「御心配なく。日常で使っても良い偽名ですから。それと、治安機構の方にはうまく根回しをしましたから、こちらも御心配なく」
「相変わらず気が利くのう」
 軍部筋での知り合いだろうか。
 金とは関係なさそうな人物にソフィアはそれ以上の興味を示さなかったが、ヴィレオンは密かに怪訝な表情を浮かべた。一体何故ここに彼が来るのか、個人的な理由で疑問を抱いたからである。
「今回はおかげで良い経験をさせて貰ったわい。竜と戦った人間なぞ、そうはおらんからの」
「父上、どういう御関係ですか?」
「実は跡継ぎを決める際の課題を決めかねていてな。そんな時、そこのトアラからたまたま銀竜の資料を貰ったのだ」
「じゃあアンタが炊き付けたの?」
「そう思ってくれて構わない」
「構わないって、そのせいでどれだけ迷惑したと思ってるのよ! 慰謝料払え!」
「でしたら、ヴォンヴィダル公へ御請求下さい」
「だって。ジジイ、迷惑料上乗せだからね」
「そうらしぞ、ヴィレオン。大変じゃのう」
 早速面倒ごとを押し付けてくるのか。そうヴィレオンは苦笑いを浮かべ肩をすくめる。しかし、問題は上乗せ率ではない。この青年が何故ヴォンヴィダル公に焚き付けたのか、その理由である。少なくとも、単なる好意での助言ならば、ヴォンヴィダル家の後継者争いにはそれ以上の接触をする必要性は無いのだ。
「ヴォンヴィダル公、そろそろ到着する頃ですよ」
「誰がじゃ?」
「長兄、ラヴァブルク殿です。先ほど、ヴォンヴィダル公の船が銀竜に襲われていると連絡しましたから。この国で合法的に武装するのは無理でしょうけど、後継者争いで抜きん出るには丁度良い好機ですからね。張り切っていると思いますよ」
「かと言って、今頃来てものう。後継者は決めてしまったところじゃ。最初に明言した通り、課題をクリアした者が後継者じゃからの」
「しかし、ラヴァブルク殿は納得するでしょうか? 理屈を抜いても心情的には難しいのでは」
「せんだろうな。課題を達成したのはヴィレオンだと分かっていても、自分の敗北は認められんじゃろう。あやつは頭も悪ければ往生際も悪い。引き際を知らんのじゃ。かと言って邪険にすると、思い余った行動に出るからのう。面倒な息子じゃ」
「なら、どうでしょう? 一つ、彼に納得するための機会を与えてやっては。ヴィレオン殿も同意していただけませんか?」
「え? 別に構いませんが……」
 そう答えるヴィレオンだったが、どこか引っかかりのある不自然さを口元に残した笑みだった。
 何故ラヴァブルクにも肩入れをするのだろうか? それとも、初めから三人共に? もしそうならば、明らかに後継者争いとは別な企みを持っている事になる。決して信用はならない。
 ヴィレオンは傍らのエミリアルに小声で囁いた。
「エミリー、まだ武器は持っているかい?」
「あの剣が最後で、もう刃物はありません。ですが、まだ奥の手がございます」
 エミリアルが周囲の目を一度確認しそっと袖から覗かせたのは、丁度指二本ほどの径のある鉄の筒の先。予想外の物にヴィレオンは一瞬驚きで目を大きく見開いた。
「スナップハンズとは驚いたね。それはこの国では持っているだけで死刑だよ」
「ですから、奥の手なのです」
「確かにその通りだ……。まあ、本当に君は頼もしいよ」
「光栄です」