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「父上、御無事で!?」
 開口一番、そう叫びながら馬車を飛び降りたラヴァブルク。その衣服は式典用の礼装だったが、手には身の丈ほどもある鉄杖が握られている。続いて後方の馬車からも次々と同じように鉄杖を持った男達が飛び出しラヴァブルクの後ろへ整列する。
 そんな物々しい雰囲気で港に現れた彼らが目にしたのは、報告とは打って変わった和やかな光景だった。
「ふーん、エミリアルって包丁も上手ね」
「ええ、刃物全般は得意ですから」
「ちなみに私はリンゴの皮も剥けないよ。まあ、貴族とはそのような事とは無縁だからね」
「ねえ、おじいちゃん。あんたの跡継ぎって生活力無いんじゃない?」
「なあに、わしもそんなものだ。リンゴの木を倒すのは得意じゃがのう」
「貴族って使用人いないと何も出来ないのね」
 港の一角にある休憩所、そこにはヴォンヴィダル公を筆頭に、今回の後継者争いに関与した数名と僅かな使用人が集まっていた。港には見るも無残な姿に変わり果てたヴォンヴィダル公の戦艦が停泊し、使用人達が一時しのぎの幌を張っている。報告通り、確かに銀竜は戦艦で暴れたようであるが、その当事者達は異様なほど和やかだった。
「おお、ラヴァブルクか。久しぶりだな。丁度良い、そこに石を並べろ」
「は? 石ですか?」
「昔教えたじゃろう。釜を作るのだよ。野営用の」
「何故ここで釜が必要なのですか? そもそもお体は御無事で?」
「空腹で物分かりの悪い息子に軽く苛立っとるよ。いいから早く作れ。突っ立ってる後ろのもだ。昼食が始まらんぞ」
 そうヴォンヴィダル公に命令され、いまいち状況が把握できていないながらもラヴァブルクの部下達は早速作業へ取りかかった。いずれも軍務経験があるのか、すぐさま役割分担を決め淀み無く作業へ取りかかった。
 刃物や火器を持ち込めないこの大連星、それでも荒れ狂う銀竜へ命がけの戦いを挑む覚悟でやってきたラヴァブルクは、ただただ首を傾げるだけだった。治安機構もどういう訳かこの騒ぎには関与する様子もなく、周囲も銀竜と一戦を交えたような素振りではない。自分が到着するまでの間、一体何が起こったのか予想すらつかなかった。
「父上、一体何があったというのですか? 私は、銀竜が父上の戦艦で狼藉を、いえもはや戦闘行為とも呼べる行為に出たと聞いて、こうして駆けつけたのですが」
「ああ、あれはもう終わったのだよ。ほれ、そこの御嬢ちゃんが高額で仲裁してくれての。で、もうじき昼時だが着替えようにも船があれではそれもままならんし、この格好で入れてくれる店は無いからのう。それでこうして昼食の準備をしておったのじゃ。この港の持ち主は漁師も副業でやっていての、魚介類には困らんでな」
 確かに、見ると幾人かは水を引いたまな板の上で魚をさばいている。他にも食器や席を準備している者もあり、ヴォンヴィダル公の言う通りこれから昼食が始まるような様子である。
「しかしですね、銀竜が攻撃を仕掛けてきたとあっては昼食どころでは」
「その銀竜が、腹が減ったとうるさいんじゃ。まあたまには手の掛からない粗食も良かろう」
 お互いの会話がまるで噛み合っておらず、論点がずれたまま平行線を辿る。ヴォンヴィダル公は終始穏やかで、どこか満足感すらあるような落ち着いた様子だったが、ラヴァブルクは状況が理解出来ないだけでなく会話すらままならない事に酷く焦燥に駆られていた。
「やあ、平面顔の君。今日は良い天気だね」
 そんなラヴァブルクに不意に話しかけて来たのは、日差しを浴びて銀髪をきらめかせるグリエルモだった。しかしその衣装は以前に見た物とは異なり、正視し難いほど珍妙なものに変わっている。右手には自前のマンドリン、左手には海水の滴る魚を担ぐという、より珍妙な組み合わせだった。
「御老人、これは人食い鮫ではないかね?」
「いや、これはカジキじゃな。鮫と言えば、わしは若い頃にこれほどの鮫と漁船で格闘した事があるぞ。ほれ、ここに咬まれた痕もある」
「その程度を食べた鮫でも、やはり人食い鮫と呼ばれるのかね?」
「人食い鮫とは種の名前ではないからのう。比較的人間を襲いやすい鮫は皆そう呼ばれておるわい」
 意外なほど親しげに会話を交わす両者に、ラヴァブルクは驚きを隠せなかった。本当に戦艦をあそこまで破壊した当事者同士なのだろうか、敵対というより親密な関係にあるようにしか見えない。
「銀竜……貴様、父上に狼藉を働いたそうだな」
「何の話かね? 実は小生、義あって銀竜候補を名乗りはしたが、本当は竜ではないよ。銀竜の偽物である。だから襲ってないよ」
「寝惚けた事を。今までも、まるで隠そうとすらしていなかったではないか」
「あれは演技だよ。小生は何をやらせても一流である。そういう星の下に生まれたのだ。『これがうんーめいー』」
 そこにヴィレオンが一言口を挟む。
「グリエルモさん、まだネタ明かししちゃ駄目ですよ」
「おお、それは失敬。如何にも小生が銀竜であるが、何か用かね?」
「……もういい。お前と話をしていると胃に穴が開きそうだ」
 グリエルモのペースに付き合えば必ずろくな事にならない。それは重々思い知らされている。
 とにかく、両者は既に和解している。その過程は納得のいかない事ばかりだが、現状がそうである以上は認識しなくてはいけない。そうなると、次に重要な問題は必然的にこれとなる。
「父上、もしや後継者の件はお決めになられたのでしょうか?」
「そうだ。わしの課題をこなしたのはヴィレオンだったからのう、約束通りヴィレオンに家督を譲る。じゃが、お前にはチャンスをやろうと思ってな。このままでも納得せんだろう?」
「無論です。私には不可解な事が多過ぎますから」
 ある程度覚悟はしていたものの、どうやら寸出の所で首の皮一枚繋がったようである。
 ふと、視界の隅に使用人に混ざって昼食の準備をするトアラの姿を見つけた。トアラはこちらの視線に気づき軽く首を傾げて見せる。この意向は彼の口添えによるものだと直感的に感じたラヴァブルクは、同じように僅かに首を傾げて応える。
「では、そこの銀竜グリエルモ殿に挑戦し倒してみよ。それなりに善戦すれば良い。うっかり伝説の竜を倒してしまえば、武人の家系であるヴォンヴィダル家にこれほど名誉は無いからのう」
「銀竜と、ですか……」
 本性ならともかく、人間の姿ならば何とか対等に戦えるように一見すると思える。だが銀竜は銀竜、人間の姿をしていても生物的な特性はそのままである。見た目通りのつもりで挑みかかっては返り討ちに遭う。けれど、油断無く万全の体勢で挑んだとしても返り討ちには遭う。つまり、どう足掻いた所で銀竜と善戦など出来るはずもない。
 しかしラヴァブルクは、先ほどのトアラとのやり取りである事を思い出した。つい昨日、自分はトアラからこういう事態に備えたものを受け取っているのである。
 なるほど、そこまで考えてわざわざ根回ししてくれたのか。
 ラヴァブルクの表情が僅かに緩んだ。