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「銀竜、覚悟はいいな。行くぞ」
「早くしたまえ、平面顔」
 短剣を構えグリエルモへ向かっていくラヴァブルク。しかし一同が想像したものとは違い、猛然と突進するのではなく悠然と歩んでいく穏やかな攻勢だった。逞しい体格のラヴァブルクが短剣を構えるのも不吊り合いだが、あの銀竜を前に余裕すら感じる不可解な行動。何か必勝の策でもあるのかと注目が集まる。
「そんなもので一体何をするつもりなのかね? 竜相手ならともかく、子供ですら殺せんよ」
「なら教えてやろう。いいか、銀竜。これは対竜用に作られた特殊な短剣だ。余裕でいられるのも今の内だ」
 そう言い終わるや否や、ラヴァブルクは短剣をグリエルモの喉元へ真っ直ぐ突き入れた。
「グリッ!?」
 直後、血相を変えてソフィアが叫ぶ。
 普段なら、グリエルモの肌に触れた刃は金切り声を上げて削れるか、中央から二つに折れてしまうか、返ってきた衝撃で手を痺れさせるか、いずれかである。だが今回は、耳障りな音も無く短剣も折れずしっかりと持ったままでいる。それはこれまでに一度も無かった反応だった。
「どうだ、銀竜? 人間に斬られた感想は」
 グリエルモは大きく目を見開いたまま微動だにしない。普段のような、何事も無かったような飄々とした振る舞いが無いのだ。
「このままとどめを刺してくれる」
 グリエルモの反応を好機と見たラヴァブルクは、短剣を持つ手に力を込め喉を深く抉りにかかる。
「やめて! 死んじゃうじゃない!」
 思わず飛び出そうとするソフィアだったが、すぐさまヴィレオンに制止される。しかしそれでもソフィアは止まろうとせず、手足を滅茶苦茶に動かし必死で抵抗する。
「いけませんソフィアさん、危険です! 大兄上も、もうよろしいでしょう! 勝負はついたんですから!」
「離せってば! エミリアル、その銃よこしなさい!」
 二人のやり取りに、どう動いていいのか分からず右往左往するエミリアル。そしてトアラは、そんな彼らを特に気に留める事もなくじっと戦況を見つめている。
「き、貴様……」
 目を見開き硬直していたグリエルモだったが、ようやく細々とした声を振り絞りラヴァブルクを睨んだ。
「声が震えているぞ。悔しいのか?」
 そう悠然と笑みを浮かべながら、これまでグリエルモに散々振り回され親戚も切り崩された恨みを込めながら、短剣を押し込む手に一層の力を入れる。
 しかし、ふとラヴァブルクは疑問を抱いた。何故、喉を潰すだけでこれだけの労力がいるのだろうか、と。そして、竜を殺せるはずの短剣でありながら、未だ銀竜は膝を崩すどころか血の一滴も垂らしていない。
 本当に短剣は刺さっているのだろうか?
 気にはなるものの、それを確かめようとするだけの度胸が、何故か今のラヴァブルクにはなかった。圧倒的に優位な立場にいながら、不思議と竜の尻尾を踏んだかのような恐怖が頭の隅から広がり始めたのである。
「おのれ……」
 やがて、グリエルモの手がおもむろにラヴァブルクの腕を掴んだ。腕を締め付ける予想外の力にぎょっとするも、締め付けは急速的に強まる一方で、このままでは危険だと直感的に察知する。しかしグリエルモに両腕をそれぞれ掴み取られ、進むことも退くことも出来なかった。
 グリエルモの様子がおかしい。
 暴れ回っていたソフィアもようやくその異変に気づく。心なしかグリエルモの体が二周りほど大きくなってはいないだろうか。数名がそんな事を思い始めた時、ソフィアが小さな声でつぶやいた。
「あ、マズイかも」
 直後、
『オノレェッ! コノ猿ガ!』
 まるで大砲のような絶叫がグリエルモから上がる。それを合図にグリエルモの体は、着ていた珍妙な服を引き裂き一瞬で倍以上に膨れ上がった。みしみしと若木を捻るのに似た音を立て、グリエルモの骨格が組み替えられる。生白い肌も波が流れるように次々と銀色の鱗が立っていった。
『音楽家ノ喉ヲ狙ウトハ! コノ外道メ!』
 あっという間に竜の姿へ変貌したグリエルモは、掴んでいたラヴァブルクの腕をそのまま持ち体を吊し上げる。ラヴァブルクは生まれて初めて見る人外の生物に自失し、短剣の事などすっかり忘れ呆然としていた。
『音楽史ノ至宝ヲ傷ツケルトハ! 音楽ヲ理解セヌ猿ハ死スベシ!』
 そう叫び体を捻るグリエルモ。誰かの制止する声も聞こえたような気がしたが、グリエルモの耳には届いていないのか動きを止める事はなかった。
 そしてラヴァブルクは、全身の血が片側へ偏るような瞬間的な強い圧力を感じたと思いきや、そのまま宙へ放り出された。
 自分が飛んでいる事に驚きを感じるよりも先に、背中側には停泊するヴォンヴィダル公の戦艦が見えた。続いて連想したのは、ヴォンヴィダル公に初めて武芸を習った際に教えて貰った安全な受け身の方法だった。