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 ラヴァブルクが海から引き揚げられたのは、ソフィアが怒り狂ったグリエルモを鎮めてから間も無くの事だった。幸い命に別状は無く意識はしっかりしていたものの、両腕には爪によってつけられたと思われる深い傷を負い右腕は骨折していたため、すぐさま応急手当が施された。状況が状況だけに、治安機構が介入せざるを得ないような最悪の事態だけは免れたと、一同は安堵する。
「何なのかね、あの無礼で厚顔無恥な猿は! よりによって音楽家の喉を狙うとは!」
「はいはい、分かったから落ち着きなさい」
 グリエルモは姿こそ人間に戻ったものの、未だに怒りが収まり切らずソフィアは目を離せない状態だった。ソフィアの対応が早かったため港には目立った被害も無く、この騒ぎも街の方にはおそらく伝わってはいない。そのためか、ラヴァブルクが無事に引き揚げられたこととグリエルモが人間の姿へ戻ったことで、周囲の人間はひとまず騒ぎは決着したものと見方を示した。
「ソフィアさん? グリエルモさんなのですが、もう大丈夫でしょうか?」
「ああ、大丈夫大丈夫。それより、何か高いものとか壊してない? いや、壊したとしても悪いのはあっちだから、請求書は回さないでね。報酬と相殺とかも無しよ」
「その辺は御心配なく。ヴォンヴィダル家の不始末ですから、後は私の方で。ところで喉の怪我の方は?」
「これだけ騒いでるんだから大丈夫じゃない? ほらグリ、上向いて。喉のとこちゃんと見せてよ」
 ソフィアは乱暴な手つきで未だ憤慨しているグリエルモの顔を上へ向かせた。あまりに無造作な仕草にヴィレオンやエミリアルは表情を引きつらせるものの、当のグリエルモは怒りこそ収まらないもののソフィアのする事には素直に従っていた。
「この辺だったかな? なんか良く分からないけど、痕もないし、初めから刺さって無かったんじゃない?」
「ソフィー、喉はやめてよう。苦しいよう」
「何言ってるの。槍だって刺さらないくせに」
 ひとまず、グリエルモは無傷で、怒り狂ったのは単に狙われたくない箇所を狙われた事が理由だったようである。たまたま無傷だったから良かったものの、もしも僅かでも傷がついていたのなら、おそらくソフィアでも止めることが出来ず、島ごと地図から消されていたかもしれない。それが決して大げさな表現ではない事を、グリエルモの正体を間近で見て嫌と言うほど思い知らされた。
「トアラーッ! トアラはどこだ!?」
 その時、唐突に周囲に響き渡ったのはラヴァブルクの怒鳴り声だった。振り向くとラヴァブルクが手当てを終えたばかりの痛ましい姿で、足元をふらつかせながら猛り狂っていた。慌てて使用人達が押さえようとするものの、怪我をしている両腕を辺り構わず振り回すため、近づこうにもなかなか近づくことが出来なかった。
「どういう事だ!? 話が違うぞ! あれは竜殺しじゃなかったのか!? 出てこい、貴様!」
 その言葉にソフィアは怪訝な表情を浮かべトアラの姿を探す。
 トアラはヴィレオンのすぐ傍で堂々とくつろいでいた。ラヴァブルクを取り囲む人混みがうまく姿を遮っているためか、見つかる恐れなど微塵もない態度である。
 ラヴァブルクがグリエルモに対して勝利の自信を見せていたのは、竜を倒せる武器を持っていたからだということは分かった。しかしその出所はトアラからだったのだろうか。そうなると、またトアラの見方が変わってくる。ヴォンヴィダル家の後継者争いとは全く無縁ばかりか、初めから銀竜が目的だったようにすら思えてくる。
「やかましい!」
 その時、遂にたまりかねたヴォンヴィダル公がラヴァブルクの後頭部を殴打した。ラヴァブルクは白目をむきながらその場に崩れ落ち、ぴくりとも動かなくなる。
「さっさと病院なりに連れて行け! まったく、見苦しい。いきなり手の内を明かして挑み負けたばかりか、それを他人に転嫁するなどヴォンヴィダル家の風上にも置けぬ。体ばかり鍛えて脳を鍛えぬからそういう目に遭うのだ」
 打ち据えられ動かなくなったラヴァブルクをすぐさま使用人達が運んでいく。あの様子ではしばらく起き上がる事は出来ないだろうと、ヴォンヴィダル公らしい黙らせ方に苦笑する。
 周囲が静まりグリエルモが荒らした場所の片づけ作業が再開すると、ソフィアは尚も平然と構えるトアラを問いただした。
「ちょっとあんた。今言ってたのって本当?」
「ええ。この短剣、竜殺しをラヴァブルク氏に差し上げたのは私です。まあ、結果はこの通りですけどね」
 そう言って、いつの間にか拾っていたらしいあの短剣を取り出して見せる。その切っ先は見事に潰れ、そこがグリエルモの喉とぶつかった部分であることを窺わせる。
「あんたさ、諜報以外の目的あるんでしょ? 竜殺しなんて渡しといてさ、まさかグリを殺すつもりだったの? 頭のいいヴィレオンに見つけ出させ、腕っ節のあるラヴァブルクにやらせる、と。自分でやらないのは諜報員のモットー? それとも、公私混同にならないように気を使ったため?」
「さすがにいい線いってますよ。ほぼ正解です。まあそれ以上の事は、ここで話すのは不適当な内容ですから控えさせて貰いますけれど」
 その直後。おもむろに進み出たエミリアルは、右袖から銃口を滑り出させトアラのこめかみに突きつけた。この唐突な行動をヴィレオンは止めなかった。そればかりか、引き金に指をかけるエミリアル以上の凄味でトアラを見据える。
「いいえ、無理にでも話して頂きましょう。我がヴォンヴィダル家を何故利用したのか、あなたの目的も、残らず全て」
「仮にも名門ヴォンヴィダル家を走狗にした事は謝りますよ。ですが、こういうものを出すのは控えた方がいい。この大連星でこんなものを使ったと知れたら家名に取り返しの付かない傷がつきますよ。そんな状況で、これが何の脅しになりますか?」
「では、人目も届かない海上へお連れしましょう。私にそこまでさせなければ話せないのであれば、それで結構」
「本気で言っておられます?」
「無論。御希望なら、グリエルモさんに葬送曲を付けて頂きましょうか?」