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 張り詰める緊張感に息を飲むソフィア。その中で尚も平然とした態度を取っているのはグリエルモとトアラの二人。グリエルモはいつも通り状況をあまり理解していないだけだが、トアラの様子はこういった状況に慣れ切っているように見受けられた。
「ヴィレオンさん、あなたは少し頭に血が昇っているようだ。何の得にもならない事をしているだけだと、わざわざ指摘しなくては理解出来ない訳ではないでしょうに」
「私とて面子や体面はある。これからは特にね。諜報部が相手であろうと、ここまでの越権行為が認められているとは思えません。そもそも、認められていないからこそこれまで単独で行動していたのではありませんか?」
「諜報部は一人立ちしていない烏合の衆ではないんだがね。まあ、そこは正解と認めよう」
「なら、多少の無茶は通用するね。エミリー、少し痛めつけてあげなさい」
「それは私の本分ではありませんが……」
 このままでは平行線を辿りそうである。ヴィレオンにしてみれば、それは避けたい状況だった。こうしてトアラを拘束しているからこその脅迫が出来るのであって、時間が経てばやがて人目にも触れトアラを半ば済し崩しに解放せざるを得なくなる。平行線とは五分という意味ではなく、実際はトアラにとって優位に働くという事だ。
 だが、今度はトアラの方から提案がなされた。
「まあ、このままでは腹の虫も収まらないでしょうし。こちらとしてもヴォンヴィダル家との関係を悪化させる事は避けたいですからね。ならば、今回の件に関係する範囲まではお話しましょう。それで納得して戴きたい」
「つまり、今回の事には機密事項が関わっているからそれで納得しろ、そういう事ですね? 当主さえ悪印象を持たれなければ構わないという腹積もりも含めて」
「有り体に言えばその通りです。私も色々制限がある立場なので」
 トアラの提案をどのように処するか。そうエミリアルが次の命令を求めヴィレオンへ視線を向ける。ヴィレオンはしばし考えた後、エミリアルへ銃を仕舞うよう合図を出した。
「結構。賢明な判断だ」
 トアラは唐突に雰囲気を変え、抑揚のない口調でヴィレオンを見上げる。その無機質な表情にヴィレオンは思わず小さく息を飲んだ。
「私の目的は銀竜を探し出すこと。そのためにヴォンヴィダル家を利用した事を認めよう」
「何故、ヴォンヴィダル家を利用する手間が必要だったのですか? 諜報部の人脈を使えば良いだけのはずでは」
「銀竜の情報は一つではない。日々新しいものが入ってくる。それを同時に調査するには人手が必要だが、それには正当な業務理由が必要になる」
「つまり、銀竜を探していたのは私事だったからということですね」
 トアラは諜報員としてでなく、あくまで個人として活動していたという事だった。確かに私事に諜報部を使う訳にもいかず、代替え手段として別の組織や団体を使うのは現実的な手段である。
 次の疑問は、私事で銀竜を探していた理由になる。ソフィアも二人のやり取りに当事者として割り込んだ。
「うちのグリに何か用事でもあったの? 随分回りくどいことをしたのを見ると、単なるファンとかじゃないよね」
「本人には残念だろうが音楽を嗜む趣味はない。私が銀竜を探していたのは、私の知り合いの死に関わりがあったからだ」
「関わりってどういうこと?」
「ここから先は機密事項だ。ヴォンヴィダル家の方々には話せるのはここまでだ。お前には銀竜の関係者として聞く権利はあるが、墓まで持っていく覚悟が必要だ」
 肝心である事の真相が聞けないと分かり、エミリアルはヴィレオンに確認の視線を投げかける。ヴィレオンは未だ釈然としない表情を浮かべてはいたが、ここまでの事情で察したのか溜息混じりに首を横に振った。
「それでは、我々は現ヴォンヴィダル公のお相手をすることにいたしましょうか。それではごゆっくり」
 ヴィレオンはエミリアルと共に一礼し、この場から立ち去っていった。あれだけ強硬な態度を取っていた割にやけにあっさりと退いたものだ、とソフィアは不思議そうに首を傾げ二人を見送った。知り合いの生き死にが関係しているという部分に配慮したようにも見えるが、もしかするとここまで分かれば後は独自に調べを付けられる伝があるのかも知れない。
「さて、ここからが大事な話になる。銀竜殿にもちゃんと聞いて貰いたいのだが」
「分かったわ。グリ、ふらふらしてないでこっち来なさい!」
 ソフィアに呼ばれすぐさま駆けつけるグリエルモ。しかし、そのトアラへ向ける視線は珍しく非常に猜疑的だった。トアラが渡した短剣で自分は喉を狙われた、ということだけを要約して把握しているためである。
「まず、本題に入る前に背景から説明しよう。今、この世界にはおよそ六百ほどの危険因子と呼ばれるものが点在している。認定理由は様々だがその大半が、反政府的な思想、大量破壊殺人を目的とした活動家、純粋な快楽殺人者といったところで想像はつくだろう。これらには、ギルドのような組織を作らず個人で活動して、尚且つ政府との密約も無いことが共通している。つまり政府にとっては純粋な厄介者という事だ」
「要は凶悪な犯罪者が野放しになってるって事でしょ。さっさと捕まえたらいいのに」
「努力はしている。だが、毎年の駆逐数を増加数が上回っているのが現状だ。最近では、むしろこういった存在を表沙汰にしない配慮に尽力する方が多い」
「配慮、ね。知らぬが何とやら。そのための諜報員?」
「否定はしない。一端は担っているからな」
 明らかに一般人は知らない方が、後々に守秘義務を背負うという意味では幸せだったとソフィアは思う。気の触れた犯罪者が社会に紛れ込んでいる事など、今更知った所でどうということはない。それよりも、政府がその事実を認めるだけでなく管理などをしているという裏側を知ってしまう事のほうが問題だ。
 聞く権利があると言われ思わず続けさせてしまったものの、こんな前提があるなら無視を決め込んだ方が良かったかもしれない。そう後悔を始めたその頃、遂に話は銀竜との関連について始まった。
「では本題に入ろう。数居る危険因子だが、その中にかれこれ五十年以上は存在を認められながら詳細な情報をほとんど把握出来ていない奇妙な人物がいる。危険因子の中で最も古株でありながら、最も謎の多い人物だ」
「へえ。どんな人?」
「普段は善良な青年で、一カ所に定住せず世界中を放浪してはいるものの破壊行為も殺人も行わない、ごく普通の一般市民だ。しかし時折何らかの理由で、隠蔽工作が不可能なほどの大規模な活動を行う。その手段や理由目的もまるで分かっていないが、少なくともこれまで彼へ送られた処刑人は百を優に超え、ほとんどが戻って来ていない」
「ちょっと待って。五十年以上って言ったよね? なのに、何で青年なの?」
「最後の目撃報告がそうだったからだ。体を若いままに保つ魔術を施しているという説もある。魔術ならば大規模な破壊活動も容易だろうからな」
 まるでどこかで聞いたことのあるような人物である。
 確かに、グリエルモは普段なら一般人と見られてもおかしくはなく、善良かそうでないかと訊ねられればまだ善良な部類に入る。そして自分が面白くないと感じればすぐに実力行使へ出るのだが、その基準は竜としての価値観の違いから人間には理解し難い部分がある。見た目も、青年の風貌は仮の姿であり人間よりも遙かに寿命が長いため、いつまでも若いままのように見えるだろう。
 しかし、グリエルモは人間を殺すだろうか? 自分が襲われたのならばともかく、自分の不快感だけを理由にする事は有り得るだろうか? 少なくとも自分と関わってからは一人も殺してはいない。だが、それよりも前のことまでは聞いたこともなく全く知らない。そして何より、グリエルモ自身が人間を遙か格下に見ている事実がある。
「どうしてその青年が竜だと思ったの?」
「とある処刑人が瀕死ながら本土へ戻って来た事がある。彼が言い残した言葉は二つ、竜と竜殺し、だった。彼の手には竜殺しが握り締められていた。あの短剣と同じ年式のものだ。これだけの状況証拠があるなら、調査する価値はある」
「なるほどね。で、その処刑人があんたの知り合いだったり?」
「そうだ。しかし青年の方は、今回の件で状況が少し変わった。処刑人の竜殺しからは全く未知の血液が採取されている。それはつまり、竜殺しは彼に通用したという事だ。だから私は銀竜がそうだと睨み確認の意味で今回の一連を画策したのだが、結果はこの通り。どうやら本物の竜には、竜殺しは通用しないようだ」
 言われてみれば、確かにグリエルモには竜殺しは効かなかった。ならば、少なくともその青年がグリエルモだという可能性は無いだろう。
 自分らとは無関係という事が分かり安堵するのも束の間、ソフィアはその青年の正体について興味がわいてきた。グリエルモほど自分勝手で出鱈目な生き方を貫いている者はいないだろうと思っていたが、その青年も同じような印象を感じる。どちらかと言えば興味本意なのだが、一度実際に見て確かめたい誘惑に駆られる。
「グリエルモさん、一つ訊ねたい。あなたは竜の中でも特別硬い竜なのか?」
「小生、竜ではないよ?」
「グリ、いいから答えなさい」
「……猿なんかどうだっていいではないか」
 ソフィアの拳骨がグリエルモの頭に降る。それでグリエルモは渋々口を開いた。
「よく分からないけど、小生は生まれてこの方、怪我なんてしたことは無いよ。弱い竜は知らないけど」
「ならばもう一つ。あの竜殺しが通用する竜もいると思うか?」
「知らないよ。爪にも牙にも鱗にも、確実に優劣は存在するだけで。竜はそこまで確かめたりしないから」
 質問が悪いのか、グリエルモの返答は今一つ要領を得ない。しかし、グリエルモは危険因子と認定こそされてはいないが、政府が動向を着目する銀竜本人である。トアラにしてみれば、これほど重要な手がかりは他にはない。
 そしてトアラはしばし考え込んだ後、今度はソフィアに向かって問い訊ねた。
「ソフィア、君に良い取引があるのだが聞いて貰えるか?」
「聞くだけならタダだけど、まさかその青年を探すのを手伝えって言わないよね? 嫌よ。幾ら積まれたって御免だわ」
「金以外の報酬でも構わないがな。そう、本来なら金で何とか出来るはずのない事でもだ」
「何か言いたそうね。はっきり言ったら? 回りくどいのは嫌いだって、資料に書いてない?」
「なら単刀直入に言おう。お前の父親、死刑囚バジルの刑は未だ執行されていない。そこで私に協力するならば、執行を取りやめるだけでなく特赦を与え釈放してやろう。これなら把握して貰えるか?」