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 定期船を乗り継ぐこと三度、大連星諸島を出発してから一週間後、二人は目的地であるメフィリナという大陸の港町へ到着した。
 メフィリナは観光と資源採掘で経済が成り立っているため、港には身なりの良い上流層の人間と着の身着のままで放浪しているような人間が共に見受けられた。
 ソフィアはグリエルモを連れ町の西側にある一軒のカフェへ入った。外観はそれほど悪くはないがあまり流行っていないらしく、外の喧噪に比べ店内は実に閑散としていた。カウンターには無愛想な店員が一人、客はざっと見ただけでも数えるほどもいなかった。音楽もなければ客同士の話し声も無く、外の喧噪が喧しいほどである。
 そのままソフィアは店の一番奥の席へと向かう。そこでは一人の青年が新聞に視線を落としながらコーヒーを飲んでいた。
「思ったよりも早かったな」
 新聞に視線を落としたまま、青年はまるで抑揚の感じられない声で話しかける。ソフィアは面白くなさそうに方眉をにじり上げ、青年と向かい合った席に座った。
「グリ、オレンジジュース頼んで来て。後は好きなの頼んでいいから」
「うん、分かった」
 体良くグリエルモを追い払うとソフィアは話を続ける。
「そっちこそ、ちゃんと待っててくれたのね。女性にはモテるタイプよ」
「そうか。そう言われたのは初めてだ」
「あら、御世辞とは縁が無かったの?」
 そう皮肉るソフィアにも青年はまるで動じず、まるで機械仕掛けのような動作でコーヒーを一定量含んだ。
 青年は大連星で別れたきりだったトアラだった。別れ際に件の取引で、応じるか否かの意思をこのメフィリナに来るかどうかで示すよう言われていたのである。
「ここに来たという事は、取引は成立と考えていいな?」
「その前に、私の父親が本当に生きているのか、それと本当に釈放出来るのかって証拠を見せてよ」
「そうだな」
 するとトアラは上着から二通の封筒を取り出すと、その内の一つをソフィアへ手渡した。訝しみながら封を空けると、中には一枚の便箋が丁寧に折り畳まれて入っていた。便箋には長い文章は無く、やや青味がかったインクで僅かな文字と半月前の日付が記されているだけだった。そしてソフィアはそこに綴られた文字と筆跡に思わず総毛立った。
「これ……」
「そうだ、お前の父親であるバジルの直筆だ。本当は最近の出来事でも書かせようと思ったが、自分の名しか書けなかったのでな」
「昔に書かせたって事もあるよね?」
「新品の便箋に書かせたんだがな。まあ、好きなだけ検証するといい」
 わざわざトアラに言われるまでもなく、ソフィアは僅かな違和感も逃さぬよう一言一句を慎重に見定める。途中、グリエルモの歌が聞こえてきたが気にも留めず便箋に集中する。そのまましばらく便箋と睨み合ったが、少しでも怪しい要素があればと隈なく探すもののどこをどう見ても違和感の欠片も見つからなかった。明らかにこれは、極最近に父親本人によって書かれたものに間違いない。
 まさかこんなにあっさりと父親の生存が確信出来るなんて。思わず拍子抜けしてしまったソフィアは喜びを噛み締めるタイミングを失ってしまった。
「これは分かったわ。で、釈放の保証は?」
「ここにあるこれがそうだ」
 トアラが指し示すのはもう一通の封筒。こちらの封筒は装飾が施され高級感のある外見になっている。
「これは政府最高裁判所の特赦証明書だ。これをバジルが服役している刑務所へ持っていけば、即日釈放が認められる。作業賞与金も支払われるだろう」
「そっちの中身も確認させてよ」
「それは出来ない。これは刑務所の上級管理職に相当する人間しか開封してはいけない決まりだ。それ以外の人間が開封した場合は厳罰に処せられ、この証明書自体の効力も失われる」
「じゃあ、本物かどうか確認のしようが無いじゃない」
「こればかりは信じてくれと言うしかないな」
「手紙を書かせた後に刑が執行されてないことも?」
「そうだ」
 これでは、保証されているようでその実何も保証されていないのと同じである。幾らトアラ自身が信用を求めた所で、信用するに足るような関係では無い以上は保証など成立しない。
 すると、
「大丈夫だよ、ソフィー」
 ようやく戻ってきたグリエルモが後ろから胸を張って主張する。
「良くは分からぬが、ソフィーに嘘をついた時は小生が半殺しで懲らしめてやろう。竜を騙すのは猿を騙すのとは訳が違うよ? だから、今の内に白状しておきたまえ。嘘なのか本当なのか」
「勿論事実だ。嘘は誓ってついていない。私は銀竜を敵に回すほど愚かではない。値千金と呼ばれる曲が聞けなくなるのは、あまりに大きな損失だ」
「ふむ、君はなかなか好感の持てる人物だ。嘘はついていないようだね」
 早速言いくるめられている。予想通りの結果にソフィアは呆れ溜息をつく。真偽の見分けの役には立たないが、抑止力という意味での防波堤代わりにはなる。それ以外では、むしろいない方が良さそうだ。
「で、私らは何をすればいいの?」
「このメフィリナのどこかに件の青年がいるという情報が入った。そこで君達には彼を探す手伝いをして貰う」
「具体的に言うと?」
「竜は人間の姿を借りて社会に溶け込んでいる。我々は竜と人間との区別はつけられない。それを君達がサポートするのだ」
「竜って前提なのね、その人」
「前提ではなく、そう認定している。人間から竜の姿に変貌した目撃例を幾つか確認しているからな。我々はその例を元に彼を黒鱗と呼んでいる」
「なによ、とっくにそいつが竜だって知ってたんじゃない」
「カードはその時の状況を考えた上で切るものだ」
 道理で竜殺しを持ち出してはあんな一連の騒動を起こした訳である。これでまた少し一連の背景についての疑問が解けた。
「で、そいつの手がかりは? 竜殺しが効く竜ってことだけ?」
「黒髪の青年だ。普段は善良だが、何らかの切っ掛けで豹変する。他にも細々した情報はあるが、ほとんどが未確認だ」
「だって。ねえ、グリ。あんた黒い竜の知り合いはいないの?」
「小生、美観にも拘りがあるのである。汚れの目立たない鱗の知り合いなど願い下げだよ」
 音楽しか興味のない者にしてみれば、そんなところだろう。
 今回もまた随分と難航しそうだ。ソフィアは再び溜息をついた。