BACK

 翌朝、ソフィアが目を覚ますとグリエルモの姿は既にベッドから消えていた。
 普段は寝付きが良い割に寝起きは悪いグリエルモが、自分より早く起きる事など滅多に無い。これは何かあるかと思いベッドから出ると、丁度部屋のドアが外からノックされた。
「どちら?」
「私だ」
 聞こえてきたのはトアラの声だった。朝から既に普段の無機質な口調になっている。
「ああ、あんたね。こんな早くから何かやるの?」
「いや、そうじゃないが、ちょっと面倒な事になりそうでな」
「何かあったの?」
「グリエルモが中央広場で演奏会をやっているようだ。見物人も集まり始めている」
 その言葉にソフィアは思わず脱力し肩をがっくりと下ろす。
 なるほど、早くからいなくなったのは、単に手にしたばかりのマンドリンを弾きたいだけだったのか。新しい玩具を買い与えられた子供と同じ行動である。
「勝手に目立たれるのは困る。早く連れ戻せ」
「はいはい、今行きます。レディは支度に時間がかかるんだから」
「レディ?」
「殴るわよ」
 言われるまでもなく、ソフィアはすぐさま外に出られる程度に身支度を整える。グリエルモを一人で外に出すなど、幼児に預金を下ろさせてくるのと同じ行為である。時間が経てば経つほど危険だ。
 部屋から出るとトアラは廊下で待っていて、早速共に連れ立って宿を後にした。律儀に同行する辺りを見ると、一応当事者意識はあるようである。
「ところで、あんたもそう考えてるみたいね」
「何がだ?」
「黒鱗が誰かを探してるって、昨日私が言ったこと。それって、もしかしてグリなんじゃない?」
「あるいはな。だが、考えられる話だ。銀竜が初めて確認されたのも黒鱗と同じぐらいの時期だった」
「でも、グリって友達いなかったみたいよ?」
「なら少々厄介だな。敵対的な目的でグリエルモを探している可能性が出て来る」
「そうよね。グリって空気読まないから、悪気無く恨み買っちゃうし」
「仲裁が必要になれば、お前の出番だ」
「グリを蹴ればいいんでしょ」
 中央広場へ近づくと、人の集まりと弦楽器の音ですぐに居場所は分かった。何事かと興味本意で人だかりが出来ているようだが、意外にも歌声は聞こえて来ない。
「ねえ、本当にここ?」
「そうだが」
「あれ、マンドリンの音じゃないんだけど」
「そうなのか?」
 白々しく首を傾げるトアラ。不審に思い人混みの隙間を縫って演奏手を確認すると、中心に立っていたのは黒髪の青年だった。明らかにグリエルモとは別人である。
「む、あれは黒鱗だ」
「ウソっ、本当に?」
「間違い無い。昨夜、酒場に来ていた」
「ならいいけどさ、演奏会やってたのは銀竜だったんじゃないの? 違いは一目瞭然なんだけど」
「面目ない。風聞だけで判断した」
 朝も早くから町中で楽器を鳴らすようなのは銀竜ぐらいだと、そう判断したのだろう。一般人なら無理もないが、諜報員が憶測で動いて貰っては困る。好機とばかりに失策をなじる様な視線を向けてみるが、トアラは相変わらずの無表情でそれを平然と受け流す。価値観の違いなのか、グリエルモに負けず劣らずの厚顔だとソフィアは思った。
 人だかりの中、黒髪の青年は一心不乱にギターを弾いていた。その演奏に集まった者達は、聞き入るどころか常軌を逸し弾き鳴らす青年に怪訝な視線を向けている。演奏の技術はあるものの、それほどに青年の姿はあまりに異様だった。
「なんかあれ……凄く同類の匂いを感じるわ」
「そうか、やはり黒鱗に間違い無さそうだな」
「無さそう? 特徴は押さえてたんじゃなかったの?」
「しかし、完全な確証は得ていなかった。そのためにお前がいる」
「んっとさ、もしかして昨夜みたいな調査を当たるまで延々と繰り返すつもりだったの? グリや私に吟味させてさ」
「そうだ。一番効率的だ」
「見つかって驚いた、って言ったのも嘘?」
「答える必要は無い」
 この男は真に受けるだけ無駄だ。ソフィアはトアラを問い詰めるのを意識的に止める。
「で、どうするの?」
「接触する。後続のためにも、まずは少しでも情報を得ることが重要だ」
「死ぬ時は一人で死んでよね」
 そして二人は怪訝な周囲を尻目につかつかと青年の元へ歩み寄った。突然の行動に周囲の人間はざわめき立つ暇も無く、すぐさまそそくさとその場を後にし散っていった。まるで怖いもの見たさに眺めていた蜂の巣に人が近づいて行ったかのような反応である。
 まずは自分が話をしてみると、ソフィアが青年の真正面へ近づいた。ソフィアの接近に気づいた青年は、はっと我に帰り演奏を止める。
「あら、続けてて良かったのよ」
「いえ……」
 笑みを浮かべるソフィアに対し、控えめに頷く。そして黒髪の青年はいきなりソフィアに顔を近づけた。
「グリエルモの匂いがする」
「昨夜、向こうの酒場で会わなかったかしら?」
「グリエルモは見たけれど、後は覚えていません。猿の顔はみんな同じに見えるから」
 グリエルモの名を知っている事といい、この物言いといい、もはやグリエルモに見せるまでもない。彼は間違いなく竜だ。
 ソフィアは一度トアラに視線で合図を送り、更に質問を続ける。
「私はソフィア。グリエルモの相方よ。あなたは?」
「アヴィルド。恭しく敬意を込めて、アヴィと呼んで下さい」
「じゃあ、アヴィ。今日はここで何してるの?」
「見つけたはずのグリエルモの匂いを今朝になって見失ってしまいました。グリエルモは賑やかな所を好むから、こうして楽しげな音楽を鳴らして寄って来るのを待っていたけれど、一向に現れてくれなくて困っています。今、グリエルモはどこにいるのでしょう?」
「さあ? どこかへふらっと行ったみたいだけど。まあ、その内戻ってくるわよ」
「そうですか。では、少しでも早く戻ってくるよう、この場を盛り上げています。グリエルモならきっと聞きつけてくるはずだから」
「ねえ、アヴィ。だったらもう少し楽しそうにやろうよ。曲調だけ楽しくしても、奏者がそれじゃ駄目よ」
「これは……グリエルモとの思い出の曲だから」
「そうなんだ。でも、だったら尚更楽しくやらなくちゃ。グリなんていつも楽しそうにやってるわよ? だから聞く人はみんな楽しくなるもの」
 その言葉にアヴィルドが肩を僅かに震わせる。
「僕はあの日、五年かけて作ったギターとこの曲譜を、事もあろうに腕ずくでグリエルモに取り上げられたんだ……。うん、そう。確かに抵抗はしたんだよ。けれどグリエルモには腕力でかなう筈も無かった……。今でも忘れはしない、グリエルモは僕を踏みつけながら出来たばかりの曲を、酷く、それは酷く下品に弾きながら、あの蛮声を上げたんだ……。その上、飽きたからとゴミの様に投げ捨てて……」
 肩を震わせたまま声をくぐもらせるアヴィルド。相当根深い部分に触れてしまったのか、あまりに悲壮に満ちた様子にソフィアも動揺の色を浮かべる。
「ごめんなさい、そういう思い出とは知らなくて。それにしてもグリには随分酷い事をされたのね。分かるわ、大切なものを蔑ろにされた気持ち。良かったら私が謝らせてあげるわよ? こういうことはけじめだもんね」
「……要りません。もう昔の事だから」
「遠慮しなくてもいいのに」
「遠慮ではありません……これは僕自身の自己完結というか……」
「大丈夫、グリなら私の言う事だけは聞くから。ね?」
 すると、
「お前に何が分かる! そうか、お前も僕を笑い者にしたいんだな!」
 突然アヴィルドは声を荒げた。今までうつむき加減だったため分かりにくかった左右対称の端正な顔を真っ赤に染め、口の端からは鋭い牙を覗かせ叫ぶアヴィルド。その竜独特の人間離れした強い語気と迫力にソフィアはたじろぐ。
 そんな時、背後でトアラは涼しい顔でアドバイスを送る。
「黒鱗は被害妄想が強く繊細だ。気を付けて接しろ」
「何でそういう大事な事は先に言わないかな……!」