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「コノ猿風情ガ! オ前如キマデ僕ヲ馬鹿ニスルノカ!?」
 興奮するアヴィルドは、みしみしと音を立てながら顔の骨格を軋ませる。既に喉元まで黒い鱗が登り、声が人間のものとは思えないしわがれた声になっている。顔の輪郭も大きく歪み爬虫類の雰囲気が全面に出て来た。服も内側から押し上げられ、今にも生地が弾け飛びそうである。
 黒鱗は理不尽な理由で町を滅ぼした事もある。トアラから聞いたその情報を思い出し、ソフィアは背筋が凍るような思いだった。こんな事で政府に一生目をつけられるような事になっては困るからだ。
「待って、落ち着いて! 怒りは自らの音楽性を汚してしまうわ!」
 グリエルモを黙らせるのには最適な、心にも無いその言葉。しかしアヴィルドは体をびくっと震わせ動きを止める。
「ほら、穏やかに穏やかに、心穏やかに。音楽とは綺麗な心でこそ奏でられるものよ。荒れた気持ちでは荒れた曲しか書けないわ」
「穏やかな……心」
 徐々にアヴィルドが落ち着きを取り戻すに従って、膨張した体がしぼみ顔の骨格も元の端正な形へ整っていく。更にソフィアに深呼吸を促され顔の赤みも静めた。
「ああ、僕とした事が……もう少しで愚かな真似をするところでした」
 落ち着きを取り戻したアヴィルドは、一転して頭を抱え自己嫌悪を始める。とりあえず町を巻き込むような騒ぎは回避できたようなので、ソフィアも安堵する。
 しかし、音楽を志す竜というのはみんな、何かに付け音楽性や歌唱力といった関わりのあるものを比較対象にする価値観を持っているのだろうか? そもそも竜の世界では、音楽に傾倒する時点で異端なのかもしれない。
「落ち着いたならいいけど、もう町中で興奮しちゃ駄目よ?」
「はい、猿如きに言われずとも心得ます」
 今更心得るなんて、五十年も人間社会で何を見てきたのだろうか。そう疑問が浮かぶものの、竜にしてみればそれは大した時間でも無く、未だ理解するに至っていないだけかもしれない。
「とりあえず、立ち話もなんだから、どこかで朝御飯にしましょうか」
 三人は連れだって近くのカフェへ場所を移す。
 朝食を取りながら、ソフィアはさりげなくアヴィルドを観察する。アヴィルドは別段変わった仕草もなく、非常におとなしい様子でサンドイッチを摘んでいる。グリエルモより遙かに人間社会に解け込んでいるように思う。にも関わらず、アヴィルドの方が政府の監視対象となっているのだから不思議なものである。
 反対にグリエルモと共通するのは、改めて見るアヴィルドの容姿である。グリエルモにも負けず劣らずの美形で、まるで絵画や彫刻のような一種の芸術性すら感じる。黒い髪は一見地味に見えるが、良く見れば光の加減で様々な輝きを放つ艶があり、長さを感じさせないほど軽やかで動きがある。肌も驚くほど肌理細やかで、爪に至っては赤ん坊のような丸みを帯びている。
 竜は人間の姿を借りる時はどうしてこう美形を好むのだろうか? 多少の問題も外見の良さでカバーする。そんな理由がありそうに思うが、竜の性格を考える限りさほど考えていないかもしれない。
「ねえ、アヴィはグリのことを探しているの?」
「はい。ですが、なかなか手がかりも掴めず途方に暮れ、もうどうでも良くなっていました」
「どうでも良い?」
「どうせ僕なんて……何をやらせても……」
 そうがっくりと肩を落とすアヴィルド。思わず励ましの言葉をかけようとし、しかしソフィアは躊躇する。迂闊な言葉で先ほどのよう激昂されては困るからだ。
「と、とにかくね、一度会ってみればいいよ」
「そうですね……会えるならそれで」
 まるで上の空で答えるアヴィルド。すっかり湯気の立たなくなった温いコーヒーに口をつけ、再び溜息。ソフィアはアヴィルドのこれら仕草に自分が苦手とする面倒な人物像を嗅ぎ取った。何かにつけて人の言葉に左右されるだけでなく、如何にも構って欲しいと言わんばかりの態度、どれもこちらに行動を極端に選ばせることを強要する、言わば脅迫的なものだ。グリエルモも気を使う必要があるという点では同じだが、少なくとも暗に何かを強要するような陰湿な態度は取らない。まだ会ったばかりで人と形はそれほど分かってはいないけれど、どういう形にせよ交友を継続するほど好きになれるタイプではない。これでトアラとの取引がなければ、進んで関係する事など有り得なかっただろう。
「ところで、グリに会ってどうするの?」
 まさか復讐じゃないだろうか?
 考えるまでもないことだが、面と向かって訊ねては角が立ちまた面倒な事になりかねない。ソフィアは遠回しな表現を心がけ訊ねる。すると、
「僕がグリエルモに仕返しをしようとしている、と考えていませんか?」
 アヴィルドは突然こちらを試すような態度で訊ね返してきた。
「私には分かりかねるわ。それよりも、グリとはケンカしないで欲しいけど」
「ケンカなんかしませんよ。竜は穏やかで寛大な存在です。戦争ばかりの猿とは比べないで下さいね」
「うん、そうね。寛大よね。それで? グリを五十年も探してたのはどうして?」
「ちょっとね」
 そう言ってアヴィルドは急に周囲を気にし始め、小声でソフィアに囁いた。
「実は長老の命令で、竜の島へ連れ戻しに来たんです」
「何で小声なの?」
「長老は悪口以外も良く聞こえるからです。それで、念のため」
「でもさ、グリは音楽で成功するまで帰らないって言うと思うけど。どうするの?」
「嫌がったところで関係はありません。腕ずくでも連れ戻しますから」
「そうよね、寛大よね」