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「でも、どうして連れ戻さなきゃならないの? 長老の命令って事でも、何か理由はあるんでしょ」
「割と単純なものです。グリエルモが掟に背いたためです」
「掟? どんな掟?」
「『汝、乱りに竜の島を離れず』、竜族は特別な理由が無い限り竜の島を出てはいけないのです。にも関わらず、グリエルモは無断で島を出て行きました。これは到底許されない事です」
「本人は音楽の勉強のためとか言ってたけど、さすがにそういう理由じゃね」
 すると、不意にテーブルの下でトアラがソフィアの足を軽く小突き合図を送ってきた。言われるまでもないと、ソフィアは睨むような視線をトアラへそっと向ける。
「確かに掟を破るのは悪い事だわ。それじゃあ、私も協力しましょう」
「ありがとうございます。ですが、猿の助けは要りませんのでお断りいたします」
「は? い、いえ。別に私はアヴィの邪魔をするつもりはないのよ?」
「やれやれ、分からない猿ですね。では、馬鹿にでも分かりやすいように言いましょうか」
 そうわざとらしい溜息をついて首を振ってみせるアヴィルド。それからコーヒーを飲み干し、店員を呼び止めておかわりを貰いそれを一口含む。
 分からないも何も、自分は魔法使いではないから何でも分かる訳ではないのだが。しかし竜相手に正論を突きつけるのも大人げない。
「長老は掟に背いたからと言っておられますけど、本当の事を言うと我々竜族は誰一人としてグリエルモには戻って来て貰いたいなんて思っていないんですよ」
「戻って来て貰いたくないって、どうして? 家族もそう思ってるの?」
「とっくに縁は切られてますよ。御存知ですか? グリエルモが竜の島にいた頃は、どれだけ悪行の数々を重ねてきたのか」
 前にグリエルモから、音楽に出会う前の自分は信じられないほど乱暴だったという話は聞いた事がある。しかしそれは、どこにもガキ大将がいるのと同じでグリエルモもそういうタイプだった程度にしか思っていなかった。まさかそれが、家族からも縁を切られるほど酷いものだったとは、ただひたすら驚くばかりである。
「グリエルモに海の精霊を会わせ音楽を覚えさせたのは長老の御意向でした。もしかすると暴力をやめる切っ掛けになるかと考えたのです。それは見事的中し、グリエルモは途端に音楽へのめり込むようになって暴力は一切奮わなくなりました。しかしここで、新たな問題が浮上しました」
「歌と歌詞があまりに酷過ぎる」
「その通り。あれは公害以外の何物でもありません。ひとたびグリエルモが唄い始めれば、子供は泣き叫び老人は引き付けを起こし若者も欝や不眠の症状を訴えるようになりました。歌をやめるよう説得することも考えたましたが、グリエルモの性格上簡単にやめるはずも無く、仮にやめたところで元の乱暴者に戻るだけです。そこで長老はグリエルモを人間界へ追いやる事を考えました」
「竜の島には優れた音楽家はいないが人間社会には何人もいるぞ、って噂を流すとか? そうすればグリエルモが自ずと島から出て行くと」
「御明察。その通りです」
 グリエルモは全て自分の都合の良いように解釈はしているが、結局のところ体良く厄介払いをされただけにしか過ぎない。自業自得とは言え家族にすら見放されたという事を思うと、グリエルモが少々不憫に思えてきた。
「追い出した経緯は分かったけど、じゃあ今度はどうするつもりなの? 連れ戻す振りはしてるけど本当は違う目的があるっておかしいわよ」
「有体に言いますと、連れ戻そうとしたけれど連れ戻せなかったという結果が欲しいんですね。それも、誰もが納得するような理由で」
「連れ戻せなかった結果?」
「たとえば、見つけたものの既に死んでいた。そういう事です」
「そんな回りくどい事をしてまで、どうして連れ戻さなきゃいけないのよ。存在が迷惑なら迷惑で、放っておけばいいじゃない」
「それがそうもいかないんですよ。竜族は満場一致でグリエルモは放っておくことに賛成ですが、問題は海の精霊です。海の精霊が、グリエルモを追い出した竜族のやり方に不信感のようなものを表し始めたのです。竜の島は周囲が海に囲まれているため、海の精霊を敵に回すという事は死活問題にもなりかねません。なので、それなりに納得させる結果が必要なのです」
 自称生物の頂点が、海の精霊の御機嫌を窺うとは。身勝手な竜族の考えに皮肉の一つも言ってやりたかったが、アヴィルドと仲違いをすると困るのは自分であるため堪える。
「でもさ、グリエルモは竜族で一番強いんでしょ? 島のみんなが逆らえなかったんだから、僅差とかじゃなく相当のものよね。それをどうやって仕留めるつもりなの?」
 そもそもアヴィは過去にグリエルモに虐められていたではないか。そんな疑問すら思い浮かべるが、これまで通りあえて口に出すような事は避ける。だが、
「僕がグリエルモより弱いと思っていますね?」
 突然アヴィルドが聞き覚えのあるフレーズで訊ね返してきた。また竜化するのではないかと思わず緊張するソフィアだったが、しかしアヴィルドはいたって冷静な様子だった。
「分かっています。確かに僕はグリエルモには腕っ節では劣ります。ですが、それは真っ向から戦った場合の話です。頭の出来なら僕の方が遙かに上です」
「奇襲作戦でもあるのかしら?」
「人間界では必ずしも竜の姿をする必要はありませんからね。グリエルモも猿の見分けなどつかないでしょうから、油断するでしょう。そこを狙って不意打ちを仕掛けるのです」
 人間の姿は必ずするべきと思うが。それよりも、自慢げに語ってはいるが不意打ちなんて簡単な作戦で倒せるなら、竜の島でとっくに成功しているはずである。そもそも、不意打ちの作戦を素性も良く確かめない相手に自慢げに語っている時点で、あまり頭は良くないように思う。
「猿には竜の鱗には無力です。しかし、この世には唯一竜の鱗を傷つける事が出来るものがあるのですよ。それは、竜の爪と牙です。これにかなうものなど存在はしません」
 アヴィルドが目の前に右手をかざし少しだけ竜の爪を出してみせる。幾筋も黒い帯が走った鋭い爪は人間の刀剣には無い迫力と美しさがあった。生まれながらに体の一部としてこれを与えられたのなら、他の種族に自慢したくなる気持ちも分かる。
 だが、理屈ではその通りでも、それを持った竜族全員でグリエルモにかなわなかったため竜の島から追い出したという経緯を忘れてはいないだろうか? しかもそれらの武器はグリエルモも持っているというのに。
 話せば話すほど、ソフィアの目にはアヴィルドの姿がグリエルモと重なって見えた。同族ならこれまでで一番面倒な相手となるはずだが、グリエルモと同レベルなら案外何とかなるようにさえ思える。
「何はともあれ。今ちょっと思ったんだけどさ。これって、私ら人間に言っちゃまずい内容なんじゃない? 長老にバレたりしたら大丈夫?」
 すると、アヴィルドは図星とばかりに驚愕の表情で息を飲み凝固する。そして周囲を恐々と用心深く見回して確認した後、
「という本を、この間に読んだという話でした」