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 グリエルモを引き連れ部屋へ戻って来たソフィアは、まずはグリエルモを椅子に座らせマンドリンを取り上げる。さすがにグリエルモは多少反抗を試みるものの二人の力関係を覆す事は出来ず、結局うなだれながらソフィアに従う。
 精霊には身の危険を知らされているものの、明らかにグリエルモは危機感が欠落している。グリエルモだけに限れば、大概の相手は物の数にもならず勝ち負けは元より傷一つつく事はない。そのため、これまではグリエルモの安全よりも今後自分にとって面倒な遺恨を残さない事を第一に考えていたが、今回ばかりはさすがにグリエルモを放っておく訳にはいかない。人間はどう逆立ちしても竜であるグリエルモには勝てない。しかし同じ竜なら万が一ということも有り得る。その上、グリエルモに個人的な恨みもあるのだから、さまざまな状況を想定しておく必要があるのだ。
「ねえ、ソフィー。急に神妙になって一体どうしたんだい? あー、ステンドグラスが如き我が心の臓は、氷柱を突っ込まれたが如く、まさに百舌の早贄が如く」
「大事な話があるのよ。真面目に聞きなさい」
 くどいセリフ回しの歌詞は聞かなかった事にし、ソフィアは普段とは一変した雰囲気を持ってグリエルモを鎮まらせる。
「グリはアヴィルドって知ってる?」
「なんだい、それは? 未開人の呪文かね?」
「違うわよ。名前よ、人の」
「猿の名前など、大体区別出来れば覚えなくとも良いのでは?」
「猿じゃなくて、竜の名前よ。あんたの同郷」
「竜! 雌かね?」
「雄よ。グリと同じぐらいの歳で、趣味も同じく音楽」
 案の定であるが、この様子ではグリエルモはアヴィルドの事は覚えていないようである。そもそもこれでは、初めから認識していたかさえ疑わしい。
「ソ、ソフィ!?」
「何よ急に」
「もしかして、小生のこと飽きちゃった? 他に好きな男が出来たの!? 嫌だよう、捨てないでよう」
 本当に捨ててやろうか。
 鬱陶しさをこれでもかと見せつけているかのようなグリエルモの様子に、思わずそんな事を考えてしまう。しかし冗談でも程度というものはあり、それを弁えない訳でもないから笑ってその冗談は飲み込む。
「別れ話じゃないわ。捨てたりしないから。ちゃんと言うこと聞きなさい」
「うん、分かったよソフィー」
「じゃ、話を戻すけど。その様子だとアヴィルドが誰か知らないようね」
「記憶に無いなあ。きっと大した重要な者ではないから覚えてないのだろう」
 この発言を聞いたらきっと、アヴィルドは烈火の如く激怒するだろう。しかし、グリエルモは本当に興味のあるものしか覚えられないのだから仕方のないことなのだが。
「アヴィルドはね、昔グリに苛められた事があって、その復讐のためにわざわざ竜の島から探しに来たの。トアラが言ってた黒鱗、もう覚えてないだろうけど、アヴィルドがその黒鱗なの。だからこの問題はグリだけでなく、私にとっても重要な事なの。分かる?」
「うん。つまり、その猿を捕まえればいいんだね」
「……もう一度最初から」
 都合三度説明を繰り返し、ようやく事のあらましを理解したグリエルモ。今からこの調子では先行きが案じられるというものだが、そもそもグリエルモを一人で野に放つような危険行為は元から控えているため、理解は大まかでも何とかなるだろう。普段とは違う特殊な問題が起こっている状況なのだと、そのぐらいの空気を読んで貰えれば儲けものだ。
「ところで、もしもアヴィルドと戦わなくちゃいけなくなったら、グリは勝てるの?」
「小生が非暴力主義を覆す事は有り得ないがね、負ける事はそれと同じくらい有り得ないよ」
 それだと随分不利な数字になるな。
 そんな自分の主観は捨てグリエルモの立場から考えれば、自分の負けは天地が引っ繰り返っても有り得ないという事だろう。確かに竜族をまとめて敵に回しても平然としているような男なのだから、昔苛めていた事すら覚えていないような存在など物の数にも入らないのだ。普通に考えて確かにそれはその通りなのだけど、その認識はアヴィルドにしても同じなのだ。にも関わらず挑もうというのだから、少なからずの警戒は持っておくに越した事は無い。
「しかし、昔ちょっと小突かれたからってわざわざ探しに出てくるとは、随分暇な竜もいたものだね」
 そう暢気に笑うグリエルモ。アヴィルドの存在は元より、自分が竜族からどう扱われ今はどう思われているのかなど、微塵も知らないから出て来る笑いだ。
 もし、グリエルモが本当の事を知ったらどう思うのだろう?
 ソフィアはやるせない気持ちになり口を閉ざした。