BACK

 アヴィルドに案内されたのは、どこにでも良くある大衆食堂だった。客の入りはほどほどで自分達の来店もあまり目立たない雰囲気である。
 奥の比較的目立たない席に案内され着席する三人。メニューから適当に選び、ソフィアは早々に二人と周囲の警戒を始める。店内の客は大半が地元の勤め人で、旅人らしいのが幾つか。特に怪しい雰囲気や異質な者は見当たらず、本当にどこにでも良くある店内の風景である。その普通さが逆におかしいと疑う事も考えはしたが、それでは幾ら疑っても切りが無く、それ以上まで注意網を広げる事はしなかった。
「うむ、この豚肉の甘酢漬けというものが旨そうだ。小生はこれにしよう」
「それでは僕は、白身魚のフライを」
「君はこっちにしたまえ。デビルフィッシュのぶつ切り揚げだそうだ」
「いえ、僕は……」
「食わず嫌いはいけないよ。どれ、早速注文してやろう」
 グリエルモに勝手に注文を決められるアヴィルド。おそらく自分が食べたいのか単なる興味本位かのどちらかだろう。どの道、グリエルモの都合に変わりは無いのだが。
 勝手に注文を決められた事でアヴィルドはぶつぶつと小声で恨み言を呟いている。しかしグリエルモは相変わらず気づいていない様子で、きょろきょろと周囲のメニューを見渡しては落ち着きが無い。こんなペースを続けていれば、いずれはアヴィルドの理性に限界が訪れてグリエルモに襲い掛かってもおかしくはない。だがグリエルモは空気も読まずそれを散々に打ちのめしてしまうだろう。悪循環である。
 やがて料理が運ばれて来る。グリエルモは機嫌良く愚にもつかぬ解説をいちいち挟み、あっと言う間に料理を平らげてしまう。アヴィルドは自分が望んだものではなかったものの思っていたより旨かったのか表情に少なからず精神的な余裕が生まれている。二人の様子をいちいち気にしているソフィアは、とても食べることになど集中出来ずほとんど味わう余裕などなかった。
 空いた皿を下げられ、食後のお茶となる。グリエルモがどうでも良い評論を述べアヴィルドがそれに付き合わされる構図は相変わらずで、いたって平穏そのものである。
 しかし、いつになったらアヴィルドは仕掛けてくるのだろうか?
 あれほど自分だけでやると言っていたのだから、この店に誘ったのも偶然とは考えにくい。何かしら計画はあってしかるべきだが、一体グリエルモに対して何を狙っているのか全く見えては来ない。これでは本当に単なる食事である。実の所、全てはただの思い過ごしで、アヴィルドは本当はグリエルモと仲良く食事が取りたいだけだった。もしも本当にそうだったのなら、この件の解決は非常に楽なものになりそうなものだが。
 そんな中、ふとアヴィルドがソフィアの方へ視線を向ける。人の視線に反射的に営業用の笑顔を返すソフィア。しかしアヴィルドは自分から視線を向けたというのに小首を傾げる。
「えーと、君は何という雌猿でしたっけ?」
「……ソフィアよ」
「そうでした、そんな感じでしたね」
「そんな感じじゃなくてさ。ソフィアよ、ソフィア。名前ぐらいちゃんと覚えなさい」
「それよりも、あなたの連れはどうしました?」
「連れ? グリならそこにいるじゃない」
「グリエルモではなく、もう一人の方ですよ。昨日も僕の後をつけていたようですけど」
 思わぬ指摘にソフィアはしばし動きを止める。
 トアラの姿は最初の接触の際に見られてはいるだろうが、尾行のことまで知っているとは。それも驚くところだが、何よりも竜がトアラをその他大勢とは別に区別出来ている事があまりに意外だった。
「さあ、途中で別れちゃったから分からないわ。そもそも、そんなに親しくないし」
「惚けなくても結構ですよ。僕はちゃんと知っていますから」
「知ってる? 何を?」
 すると、アヴィルドは何か思わせぶりな笑みを浮かべた。
 竜族お得意の知ったかぶりだろうか。
 そう怪訝な表情をするソフィアに対し、アヴィルドはさも自分は見透かしていると言わんばかりの態度でわざとらしいため息をついた。
「まだ気づいていないようですね」
「何のこと?」
「僕は君にはきちんと、初めまして、と言ったはずですよ」
「言ってないわよ。それに、人間の顔は同じに見えるからそう思うだけでしょ?」
「見えますよ。でも、竜は鼻が利きますから。あなたは独特の香油を使っている。猿の特定ぐらい、それだけで十分です」
 グリエルモとは違い注意力はあるということを主張しているのだろう。しかしわざわざそんな事を打ち明けて、一体何を言いたいのだろうか? ただのハッタリか? しかしそこには何か言いしれぬ違和感がある。そう思った瞬間、ソフィアはその根拠を見抜き反射的に疑問系で口にする。
「あなた誰?」
「僕はアヴィルドの弟で、ヴェルバドと言います」
「まさか、双子?」
「御明察、その通りです」
「初めからわざとアヴィルドの振りをしてたのね」
「君が勝手に勘違いしたから合わせていただけですよ。それに相変わらずグリエルモは僕達兄弟の事など微塵の興味も持っていない」
 まさか黒鱗が双子だったなんて。
 初めから二人一組で行動していたのか、今日はたまたま一緒だったのか。ともかく、一人と思っていた相手が実は二人で、こちらが相手は一人と思い込んでいたというこの状況は非常にまずい。トアラはこの事を知っているのだろうか。知っていたにも関わらず黙っていたというのなら、これはかなりの大問題である。伏兵が意外であればあるほど、危険な目に遭いやすくなるのは情報を持っていないこちらなのだ。その危険すら折り込み済みで情報を渡さなかったというのなら、もはや信用の問題になってくる。
「じゃあ、アヴィルドはどこに行ったの?」
「先ほども言いましたが、また最近になって鬱陶しい猿が嗅ぎ回り始めたので、それの始末に。僕は代わりとしてここへ来ました。まあ僕もグリエルモには恨みはあるので」
「始末って、まさか」
「勿論、猿語でも同じ意味ですよ」
 トアラはアヴィルドに尾行を行っているが、アヴィルドはトアラの存在はともかく尾行という行為そのものまで把握しているという事になる。トアラも尾行している相手がまさか自分を始末しようと考えているとは夢にも思っていないに違いない。アヴィルドは素知らぬ顔で始末しやすい場所へ誘い込める、非常に危険な状況だ。もしかすると歴代の諜報員も、このようにして次々と始末されていったのかもしれない。
「とにかく、今あれに死なれちゃ困るから、早くやめさせてくれないかしら」
「それは出来ない相談ですね」
「何故?」
「僕も兄も、グリエルモ以上にこの猿共が嫌いで、中でもああいう身の程知らずが一番嫌いなんです。興味本意で竜に近づこうなんて無知無謀、生物としての格が知れますね」
 そうヴェルバドは含み笑った。グリエルモとは明らかに違う、爬虫類らしさが残虐性を演出しているかのような凄惨な笑みである。
「まあ、兄とはこの店で合流する約束になっていますから。このまま待っていれば、連れの猿と合流出来るかもしれませんよ? どうなっているかは知りませんけどね」