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 本来、竜族とは思っているほど頭が悪い訳ではないのだろうか。たまたま基準になっていたのがグリエルモだっただけで。
「お茶をもう一杯貰いましょうか。そうだ、ついでに何かお茶請けになるものも。蒸し饅頭などどうです?」
「ふむ、この鮫饅頭というのがいいね。鮫肉山盛りで頼むよ」
「グリエルモ、それは決して鮫が入っている訳ではありませんよ」
 アヴィルドとの合流まではまだ時間のかかる想定なのだろう。ヴェルバドは余裕に満ちた振る舞いで店員を呼び注文をする。そして、またしても状況を把握していないのか話すら聞く気もないのか、グリエルモはヴェルバドに追随して気楽に食事を満喫する姿勢である。もっとも、グリエルモに物事を判断させるのが不可能だから自分がここにいるのだが。
 果たして、トアラは今時分無事でいるのだろうか。
 アヴィルドが尾行に気づいている事をトアラは知らない。作戦ではトアラを人目のつかぬ場所まで誘き寄せ事を起こすというものだが、さすがに諜報員であるトアラは誘き寄せられている事に気づかない事は無いだろう。だが仮にそうだとして、突然向かってきたアヴィルドと真っ向からやりあったところでも相手は竜、所詮は人間であるトアラに勝ち目は無い。
 どう考えても、トアラが五体満足で戻って来るとは考え難い。なら発想を柔軟にし、特赦の件は思い切って諦めた方が良いだろう。己の命の引き換えるようなものでも無く、生きている事が分かればいずれ他の手段が見つかるかもしれないからだ。そして今回の件からはきっぱり手を引き、再びこれまで通りの放浪の生活へ戻るのである。トアラは最初からいなかった事にして。秘密主義の諜報員ならそれで本望だろう。
 となると、後の問題はこの黒鱗兄弟である。二人はグリエルモの命を、使命と私怨との両方から狙っている。これを振り切って逃げるには何か一工夫が必要だ。
「お待たせしました。さあ、どうぞ」
 そう思い悩んでいたその時、店員の料理を運んできた声でソフィアはふと我に返る。テーブルに並べられたのは何種類かの蒸し饅頭と新しいお茶のポット。さすがに食欲は無かったものの何かしていれば気が紛れる事もあって、ソフィアは飲みたくも無いお茶へ手をつける。
「ふむ、このモチモチとした感触はさすが鮫肉だね。中の甘味も上品でよろしい」
「……まあ、鮫肉ではないので美味しいんですけどね」
「この豆のようなものは、もしやはらわたかね」
 さて、ここから先はどうするか。
 とりあえず、苦手な腹芸で下手を打つよりもトアラは既に死んだものとしているのだから、多少強引にヴェルバドを追い払ってその隙に逃げるのが無難だろうか。そして最悪の場合にはグリエルモ頼りの最終手段もやむなしである。
「ねえ、ヴェルバド」
「僕の事は憧憬の念を持ってヴェルと呼んで下さい」
「じゃあヴェル。あなたはグリに何か因縁あるんでしょ? アヴィと同じで」
「勿論。僕が生まれて初めて自分で作ったギターを奪われた挙句、それを粉々に壊されて。ああ、くそ。この忌々しい俗竜ガ……ッ、塩漬ケニシテヤロウカ……!」
「ああ、分かったから落ち着いて。素顔出さない。で、グリには不意打ちでも仕掛けるんでしょ? 人間に紛れて」
「なっ……! どこでそれを!」
「アヴィが自分で言ってたわよ。そりゃもう自信満々で。それ以前に、本人の前で話してる時点で破綻じゃない。ね、グリ?」
「何だい、ソフィー? あ、そうか。小生の愛の詩が欲しいんだね」
 それは要らない、とグリエルモを押し退ける。
 しかし、ここで驚くヴェルバドも大概間が抜けている。これなら大人すら騙すのを得意とする自分にしてみれば、まさに赤子の手を捻るようなものである。いい加減に思えていた自分の作戦に力強い自信が付く。
「とにかく、グリは確かに人間なんか見分けつかないけど私は人の顔は大抵忘れないわ。その作戦は通用しないわよ」
「鬱陶シイ雌猿メ……」
「何か言った?」
「い、いえ、何も」
「おかしいわね、何か私を罵るような声が聞こえたんだけど。悪い言葉は自分の音楽性を汚すわよ?」
「えっ!? いや、勿論それは知っていますよ。そもそも竜とは温厚な生き物ですから、雌猿などとそんな罵詈雑言など」
 竜が温厚だという言い訳はどこかで聞き覚えがある。そういった白々しい言い訳は竜族の遺伝的な特徴なのか。
「ところでね、私は食べる目的以外の殺生も音楽性を汚すと思うのよ。そこ、どう思う?」
「場合によりけりではないでしょうか。害になる生き物を殺すのは当然でしょう」
「古豪の作曲家は、むしろそういう所から新しい曲のヒントを得ていたものだけど」
「そ、そうなんですか? いや、前から僕もそう思ってたんですよ」
「じゃあさ、私のもう一人の連れの件なんだけど。今すぐアヴィのとこ行ってやめるように説得して来てよ」
「それは出来ません。誰しも生理的嫌悪というものがありましてね、僕も兄も身の程知らずというものはどうしても嫌いなんですよ」
「身の程知らずが嫌いなのは同族嫌悪じゃなくて? グリに勝てなかったんでしょ? これまで一度も」
「な……今、何ト言ッタ?」
 よほど痛い所を突かれたのか、ヴェルバドの顔が一瞬で爬虫類のような険しい形相に変形する。こんな姿を見られでもすれば余計な騒ぎが起こるのは明らかであるが、しかしソフィアは慌てず次の言葉を続ける。
「まあ、無理よね。うん、無理な話だった。私が最も尊敬する偉大な音楽家サリストザードは生涯一度の殺生もしなかったっていうけど。まあ、好き嫌いで殺生するような人に音楽も無理なんだろうね。そりゃギターも壊され楽譜も破かれるわ」
「……くっ、黙っていれば」
 するとヴェルバドは大きく息を吸い込んで人相を元に戻すと、ぎりぎりと歯軋りしながら勢い良く立ち上がった。
「よし、今から兄を止めてこようではないか。そうしたら今の竜族を侮辱するような発言を撤回しろ……って下さい!」
 そして返答も待たずヴェルバドは店を飛び出して行った。その騒ぎに周囲の席にいた客達は訝しげに首を傾げていたが、さほど気に留めるほどでもないと思ったのかすぐに視線を戻し食事を再開する。
「扱い易いわね。竜ってみんなああなのかしら」
 そしてソフィアは一仕事終えた優越感に浸るかのように、カップの中身をゆっくりと飲み干す。
「さ、グリ。さっさと逃げるわよ。宿に寄って荷物を取って来なくちゃ」
「逃げるってどこへだい? 僕らには逃げる理由など無いよ。逃げるのは敗者がする事だよ」
「あーもう……そう、私達の楽園よ! 私達だけで幸せに暮らせるところよ!」
「うむ、それなら急ごう! 急いで逃げよう!」