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 突然不調を訴えたアヴィルドとヴェルバドは、膝から崩れ落ちていきながらそのまま地面へと突っ伏した。痛みを伴うようなものではなさそうだったが全身に思うように力が入らないらしく、唸りながらしきりに指やつま先を震わせている。
「な、何よこれ?」
「バラ科の植物に品種改良を幾度も重ね、採取した花粉を高圧ガスで瞬間的に散布する、現時点で竜に唯一通用する薬物兵器だ。粘膜を通して吸収され神経系に作用、伝達物質を阻害する事で行動を制限する。竜には一瞬触れただけで効果を及ぼすが、人間を初めとする他の動物には一切の効果は無い。推定効果時間はおよそ二十八時間、少なくとも明日の朝まではまともに身動きが取れない」
 人間なら致死量に相当する毒物でさえ紅茶感覚で飲んでしまう竜族に、殺傷とまではいかなくともここまで効果を及ぼす薬物が存在するとは。これまでの常識を覆すような代物だけにソフィアは驚きを隠せなかったが、トアラは得意がることも無く普段通りの無表情でしれっと言い放つ。
「隠していたのも機密事項だから?」
「そういう事だ」
 そしてトアラは上着の中から鋼線で編んだらしいロープを取り出すと、地面に突っ伏し時折痙攣する二人を一カ所にまとめロープで背中合わせに束ねる。まるで毛布の荷造りのようだった。
「これで一網打尽だな。想定外の出来事も多かったが、当初の目的は達成出来そうだ。さて、ゆっくりと尋問へ入る事にしよう」
 満足げに頷きながら、珍しく口元を僅かに綻ばせるトアラ。だがソフィアにしてみれば心中穏やかではない。
「竜にしか効かない薬があるなら、初めから私らなんて必要無かったじゃない。片っ端から撒いて歩けばすぐ見つかったじゃないの」
「万が一、という事もある。私も自分の命が惜しくない訳ではない」
「要するに、初めから用心棒させるつもりだったのね。竜殺し持ってるクセに」
「同族なら近寄って来るだろうという、まあ釣り餌の意図もあったがな。黒鱗が銀竜に私怨があって助かった。もっとも、ああもあっさり用心棒に裏切られるとは思っていなかったがな」
「自業自得よ。そっちが私を信用してないんじゃ、私だってそっちを信用なんか出来ないわ」
「なるほど。後学のため覚えておこう」
 そんな当たり前の人間関係、わざわざ覚えておくほどの事でもない。初め皮肉かとも思ったが、トアラではあながちそうとも言い切れないと思い、とりあえずそれは聞き流す事にする。
「こいつらどうするの? 知り合いの仇なんでしょ。首でもはねる?」
「協定を結ぶよう説得するだけだ」
「さっき尋問って言ったじゃん」
「ともかく、お前の役目はこれで終わりだ」
 そう言ってトアラは、上着から特赦証明書の入った封筒を取り出す。思わず視線を向けてしまうソフィアだったが、自分はこれを餌に使われてこんな状況になってしまったことを思い出し、すぐさま視線をそらす。物欲しそうに見ていては、またトアラに何かしら面倒事をふっかけられるかもしれないからだ。
 だが、
「どうした? 約束の報酬だ」
 トアラが首を傾げながら封筒を改めて差し出す。あまりに意外なほどあっさり差し伸べてきた事に、ソフィアは一度自らを落ち着け良く状況を考える。
「それ、本物?」
「勿論だ」
「中身もちゃんと入ってるわよね?」
「随分疑り深いな。そんなに信用ならないか?」
「勿論よ」
 苦笑いを浮かべるトアラ。この青年にしては珍しく人間味のある表情だが、これも計算の内であるかもしれない。
 とにかく、銀竜を敵に回したくは無いという言葉を信じ受け取っておくことにしよう。ソフィアは細かい質問をやめて素直に封筒を受け取る事に決め手を差し伸べる。
「ふっ、馬鹿な猿共め」
 その時、不意に口を開いたのはヴェルバドだった。縛られた手足は未だ細かく痙攣を続け自由を取り戻すには至っていない様子である。
「量が足りなかったのか? もう少し吸わせるとしようか」
 トアラが上着から小瓶を取り出し蓋を開けようとする。だがソフィアはそれを制止した。
「何? その強がり、言っちゃ悪いけど負け惜しみにしか聞こえないんだけど」
「全く愚かな猿ですね。まさか僕達が双子だと思ったのですか?」
「その通りって言ってたじゃん。違うの?」
「今頃、末竜がにっくきグリエルモに天誅を下しているでしょう。はっはっは、我ら竜族の新星トリオ、この究極の三重奏に酔い痴れるがいい、未熟な猿め! あっ……」
 興奮した様子で一気に捲くし立て始めたヴェルバドの鼻に、トアラが小瓶の中身を一滴垂らす。ヴェルバドは驚きの声を上げた直後、がっくりと力を無くし完全に意識を消失する。
「どうやら、まだ終わりではないようだ」
 トアラは憮然とした表情で小瓶と封筒を再び上着の中へ仕舞い込む。ソフィアはいかにも面倒臭そうな表情でわざとらしく溜息をついた。
「黒鱗が三つ子だったとはな。これはさすがに予測出来なかった。あらかじめ伏兵として潜ませていたのか、それとも別な意図があったのか。何にせよ、当初の通り黒鱗がグリエルモを狙っているのに変わりは無い」
「とりあえず呼んでみましょうか。一旦事情を整理しとかないと」
「ここからでも来るのか?」
「私の声なら、別な大陸からでもすぐに来るわよ」
 ソフィアは大きく息を吸い込む。
「グリー、お風呂入ろう!」
 港町の方へ向かって力一杯叫ぶソフィア。しかし、そのまま数分間グリエルモがやって来るのを待ったが一向に現れる気配は無く、銀竜が飛んでくるどころか風の一つも吹いて来ない。
 いい加減無言の空気が居辛いと思い始めた頃、トアラは溜息一つもつかず無表情で口を開く。
「さて、ひとまず港に戻り本部へ連絡するとしよう。その間に銀竜を探すといい」
「少しはフォローしなさいよ」
 恥ずかし紛れに地面を蹴り吐き捨てると、歩き出したトアラの後ろに追随していく。トアラは手足を縛ったアヴィルドとヴェルバドをずるずると引き摺りながら港町へと向かって歩いている。最強であるはずの種族が、まさか人間如きに手荷物以下の扱いを受けるとは想像もしていなかっただろう。私怨のためやって来たという経緯もあり、ほんの少し同情の念が沸き起こった。
 そんな時、ふとソフィアは一つ疑問に思った。
 黒鱗が私怨なら、トアラも私怨で今回の作戦を行っている。黒鱗のターゲットはグリエルモ一人だが、黒鱗が三兄弟、ならばトアラの仇はどの竜なのだろうか?