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「これは随分な有様ね……」
 到着するなり目に飛び込んできた、すっかり変わり果てた港町の姿。ここで起こった出来事の一端に関わっているという事実を改めて噛み締めさせられたソフィアは深く沈痛な溜息をつかずにはいられなかった。
「どうした。早く行くぞ」
 いわゆる人道的な観点に立って考えようと柄にも無く思い始めたソフィアを他所に、トアラはただ機械的にスケジュールの事だけを口にする。トアラは自分が引き起こしたこの状況にまるで悪びれた様子は無い。直接的な責任は自分に無いにも関わらず罪悪感を覚えるソフィアにとって、トアラのあくまで決まった作業を企画的にこなす姿勢は苛立ちを超え嫌悪感すら抱き始めていた。そもそも諜報員とは、真っ当な人の心を持っていては出来ない仕事なんだと、そう割り切った方が楽そうである。
「で、これからどうするの?」
「この町に諜報団用のセーフハウスがある。そこにこれを招待し本国へ連絡、本隊が到着するまで尋問しつつ待機となる」
「もう一人はいいの? こいつら、三つ子って言ってたのに」
「そこは本国の判断を仰ぐ。少なくとも、私ひとりでは三人目の黒鱗まで手には負えない」
 確かにせっかく二人を無力化したのだから、これ以上無理に能動的な行動に出る必要性は無い。三人目の黒鱗は気になるものの、悪い言い方をすれば人質はこちらにあるのだから、全く無視を決め込むようなことは無いと考えてもいいだろう。それよりかは、無力化したアヴィルドとヴェルバドを尋問し何かしら有用な情報を聞き出した方が効率的である。
 トアラの後を付いて歩くソフィア。トアラは相変わらず縛り上げたアヴィルドとヴェルバドを縄で引き摺っている。傍から見れば裏社会の制裁の一環とも取れるような光景なのだが、幸いにも今の港町は先程の騒ぎのせいで混乱したままであるため気に留める者は一人もいなかった。むしろ自分達のように落ち着いている方が例外的だ。
「ねえ、そのセーフハウスって私みたいな一般人を案内していいの?」
「一般人? そうか、まだそのつもりだったのだな」
「どういう事よ」
「お前は銀竜に命令出来る唯一の人間だ。政府がそれを気にも留めていないとでも思ったか?」
「……何かしらのリストには上がってるってことね」
「そういう事だ。そもそも、私と取引を成立させた時点で無関係という訳にはいくはずもないだろう」
 単なる特殊な労働と割り切っていたつもりだったが、払わされた代償は予想外に大きい。今回の件もどういった形に落ち着くかはともかく、ソフィアという人間は政府には協力的である、という不本意な結果が残ってしまい、それが後々にも再び面倒事を引き寄せる要因にもなりかねない。その危惧が生涯続くとなっては、あの報酬は割に合わないのではとさえ思えてくる。
「ねえ、ちょっと思ったんだけどさ。これってプライベートだったんじゃなかった? 私事では本隊を動かせないから、個人的な調査で知り合いの仇を探してるって言ったよね。それが何で本国に連絡するの?」
「休暇中に偶然危険リストの一つを見つけ拘束したのだから、連絡は当然だろう。確かに特赦状の件は突き詰められるといささか危険ではあるが」
「いや、そういう業務的な話じゃなくて。正直さ、ムカついてたりとかあるんじゃないの? だって、わざわざ休暇潰してまで探すような犯人なんだから、よっぽど大切な知り合いだったんでしょ? それを規則だからってあっさり引き渡すことないじゃない。竜殺し持ってるんだから、それでサクッとやって埋めてしまえば終わりでしょ」
「私の探す仇とは、あくまで一人だ。黒鱗が三つ子と分かった以上は、無関係な二人まで手にかけようとは思わない」
「ふーん、やっぱり一人はかけるつもりだったのね。やる気満々じゃない」
「そちらも、人治主義者だったとは初耳だ。レポートに加えておこう」
「勝手な拡大解釈はやめてくれるかな」
 さすがに免責が認められている立場といえども、目的のためなら無差別に手に掛けるという訳ではないらしい。だが、そんな当たり前の事でさえトアラの事となれば新鮮味が感じられる。
 ふとソフィアは、トアラがただの仕事人間以外の別の顔を持っているのではという事を考え始めた。これまでの行動を見る限り、如何にも上から見下ろした役人的な発想が目立っていたが、そもそもトアラがここへ何をしに来たのか、これまでも何のために私的に様々な暗躍を続けていたのか、それらを念頭に置く事をすっかり忘れていた。トアラは知り合いの仇を取るためにわざわざプライベートな時間を使って竜を調査しているのだ。それだけでも十分人間的だと呼べる行為である。理屈では分かっていても感情ではなかなか割り切れず、周囲からすれば無意味とも取れる行動に出るのが普通の人間だ。
 やがてトアラは、港外れの一軒の倉庫の中へと入っていった。使われなくなってから随分と時間が経過しているような寂れた状況だったが、奥の部屋や地下室は多少埃は被っているものの緊急の避難場所には十分な設備が整っていた。町はああいった状況だが、数日身を置くなら支障はなさそうである。
 トアラは引き摺ってきたアヴィルドとヴェルバドを倉庫内の片隅にあった猛獣の移送用らしき頑丈な檻へと放り込んだ。二人とも未だ例の薬が効いているらしく、それだけ乱暴な扱いをされながらも目を開けるどころかぴくりとも動かない。
「さて、ソフィア。私はこれから本国との連絡を取る。戻って来るまで留守を預かって貰う」
「はいはい、分かりましたよ。とりあえず戻る時にでいいから、当分の食料を調達して来て」
「この薬の予備も渡しておこう。念のため、一時間置きに鼻の下に塗り込め。人間に害は無いが終わった後は手を洗浄する事だ」
「人の話、聞いてる?」
 相変わらずの一方通行な会話。トアラは必要な事だけを言い残し、そそくさと倉庫を後にしてしまった。こんな状況下で一体どうやって本国と連絡を取るのか興味はあったものの、たとえ問い訊ねてもトアラの性格上打ち明けてくれる事はないだろう。
 倉庫内にあった古びたソファーに腰を落ち着けるソフィア。急に座ったせいか殊更強く疲労感がのしかかってきた。この件に関わってまだ三日たらずというのに、疲労の度合いがあまりに激しい。しばらくは金に物を言わせたのんびりとした生活を送っていただけに体がなまっているせいもあるのだろうが、日頃はまず関わり合う事のない政府筋や竜族のいざこざに巻き込まれたため精神的にも疲弊はしているだろう。そして何より衝撃的なのは、死んだとばかり思っていた父親の事だ。
「やれやれ……予想はしていたけど随分面倒な事になったなあ」
 元々深く考え込まない性質ではあるものの、俄に受け入れるには事の数も規模も大き過ぎる。とてもじゃないが、こんな状況は早く片付けてしまわなければ精神が一週間も持たないだろう。
「お父さん、今頃どうしてるんだろ……」
 数年ぶりのその言葉を口にしてしまったソフィアは胸を締め付けられるような気持ちに苛まれ、思わず両腕でぎゅっと自分の体を抱き締めた。