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 きっと自分は疲れているのだ。ソフィアは地下室にて着替えながら、しきりにそう言い聞かせていた。
 何故、トアラがこういう形で気になるのか。そもそも、対等の友人としてすら好意を抱ける要素など何一つなかったはずなのに。それとも、ただこれまでの態度に腹を立ててばかりいたから、ささいな優しさにうっかり感動しているだけだとも考えられる。どのみち、それ以上の感情は一切あり得ない。もし自分が心底惚れるような男がいるとするなら、それは干渉的ではなく無尽蔵に自分の我が侭を聞き入れてくれるような超人以外考えられない。
 まだこの先も長くなりそうなのだから、余計な事は考えず今夜は早く寝てしまおう。そう自分にたたみかけ、ソフィアは地上階へと上がる。
「終わったよ。ここ、蓋しとくね」
「ああ」
 いつも通りの素っ気ないトアラの返答へ軽く苛立つ自分に安堵するのも束の間。トアラはテーブルの上で刀身がやや長めの短剣を、小さな砥石らしきもので磨いていた。僅かな光を集め刃を注意深く見定めるその姿に、ソフィアは不覚な印象を再び抱いてしまう。変に意識をし過ぎているから逆の事を思ってしまうのだと改めて自分に言い聞かせ、余計な事を考えないようにと視線をそらす。
「ん? これ、どうしたの?」
 視線をそらしたその先で見たのは、檻から出され柱に縛り直されたアヴィルドとヴェルバドの姿だった。例の薬が未だに効いているため意識は無く全身から力の抜けた見っとも無い姿のままだったが、その薬自体実際に効果の持続する時間を計った訳でもない代物であるためいつ目を覚ましてもおかしくはなく、もし目を覚ましてしまえば柱に縛りつけようと檻の中へ放り込もうと全く意味を成さない。
「問題無い。先ほど新たに嗅がせたばかりだ」
「今更だけどさ、いい神経してるわね。諜報員って仕事柄のせいかしら。それで、そんなの砥いじゃってどうするの?」
「これが私に支給されている竜殺しだ」
「へえ、それがね。普通の砥石で磨くんだ。早速拷問でもするつもり? 意識無いのに」
「いや、念のためだ。調べる事には変わりないが、拷問ではない」
「どういう事?」
「これから始めよう」
 トアラは竜殺しの刀身を布で慎重に拭い鞘へ収めると、椅子から立ち上がり縛り付けている二人の下へ向かう。そしておもむろにアヴィルドの両腕を掴み上げると、上へ引っ張り無理やり膝立ちの姿勢を取らせる。
「ソフィア、服を脱がせろ」
「は? 何言ってるのよ」
「傷跡が無いかを調べる。竜殺しで付けられた傷は決して浅くは無い、だから傷跡の有無で真犯人が誰かを特定する」
「なるほどね。まあ、いいんじゃないの」
 ソフィアは軽く方をすくめ小首を傾げて見せると、ひとまずアヴィルドのベルトに手をかけた。
「思ったより、男の服を脱がす事に抵抗感はないようだな」
「あーら、ごめんなさいね。はしたない女で」
 そもそも、こういう事を女の自分に頼む方がどうかしていると思う。普通は男だけでやるようなものだ。幾ら相手が竜とは言え姿形は今のところ人間なのだから、そういう配慮はして当然である。現実主義の諜報員だからこそ、そういう配慮が無いのだとは思うが。
 程無く全裸姿にされたアヴィルドの体が床に横たわらせられる。早速トアラはその体をまじまじと顔を近づけて調べ始めた。事情の知らない人間が見れば特殊な性癖を持った人間の異常行動とも取られるな、とソフィアは苦笑いしながらその様子を眺めていた。本人ははぐらかし続けてはいるが、よほど親しかったであろう人物の仇を討とうとしている訳だから、必死になるのは当然といえば当然である。それを抜きにしても人目を気にしない部分はトアラらしいといえばらしい。
 同じようにしてヴェルバドの全身も調べ上げた後、再び服を着せて檻の中へ戻す。二人はぴくりとも動かなかったものの、念のためという事で鼻の下に薬を塗り直す。人間の感覚からすると死にたくなるような屈辱的な行為を受けたのだから、かえって意識がない分救われるだろうとソフィアは思った。
「ねえ、傷跡は見つかったの?」
「いや、まったくだ。まるで作り物のように整い過ぎた造形だという事ぐらいだな、分かったのは」
「竜って人間の姿に化けると無駄に美形になるのかしらね。でもさ、ちょっと思ったんだけど。竜ってそもそも傷跡なんか残るの? 人間なら普通の事でも竜だと分からないわよ。そもそも怪我どころか猛毒も病気も効かないような連中なんだから。どんな大怪我をしても、一晩寝れば綺麗サッパリ無くなりそうじゃない?」
「それは、銀竜がそうだったからか?」
「単なる想像よ。グリは生まれてから一度も怪我なんてした事無かったみたいだし」
「確かにそうも考えられるな。犯人の特定はひとまず別な方法を考える事にしよう」
 そしてトアラは椅子に戻り何やら手帳のようなものを取り出すと、そこに今の調査で分かったらしき事を書き留め始めた。相変わらずマメな事だと、ソフィアは傍らでオレンジの缶詰を手に取る。しかし缶切りで蓋を切ろうとするもののなかなか上手く切る事が出来ず、イライラしながら格闘を続け蓋を開け終わる頃にはすっかり食い気を失ってしまっていた。
 まさか缶詰にこれほど手間取るなんて。今まで缶詰はどうやって食べていたのだろう、とソフィアは思い返すと、缶詰は全てグリエルモに爪で切ってもらっていた事に気がつく。
 そういえばグリエルモは未だに自分の居場所を嗅ぎつけて来ない。いつも鬱陶しくなるほど傍にくっついているグリエルモが、何の用事も無くこれほど長い間離れているのは珍しい事である。
 何かグリエルモの身にあったのだろうか?
 そう考えたソフィアだったが、すぐにそれが実に愚かな発想である事に気づき思い直す。グリエルモを初めとする竜族をどうにか出来なくて、今まさに政府が頭を悩ませているからだ。