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 翌朝。身支度を整え降りてくると、既に起きていたトアラがテーブルに朝食の準備をしていた。いつの間にか火を使えるようにしていたらしく、温かいお茶のポットまでがあった。トアラとは思えぬ気遣いとばかりに、ソフィアは微苦笑しながら肩をすくめて見せる。
「昨夜は眠れたか?」
「ん? ああ、まあまあね」
「そうか。また居眠りをされると困るからな」
「はいはい、もうしません」
「分かったのなら食事にしよう」
 トアラの無表情の嫌味が以前に比べそれほど嫌味っぽく聞こえなくなっている。ソフィアは普段にも増して素っ気ない態度を取ってみたが、頑なになればなるほど不本意にも心が痛み、意にそぐわぬ行動を取る自分に疑問を持つ。
 その空気にもいい加減息が詰まってきた。そもそもトアラと二人きりで過ごさなければならない理由は無い。そう、トアラが銀竜はもう必要ないとしても自分にとって安心を得るためには必要なのだ。グリエルモには何が起ころうと裏切らない信頼感がある。
 朝食を黙々と終えた後、ソフィアは早速トアラへ切り出した。
「ねえ、ちょっと外出していい?」
「何の用事だ」
「グリが戻ってこないから探しに。またどこかで拗ねてると思うから」
「銀竜はそんな子供のような事をするのか。まあいいが、一時間置きには戻ってこい。あまりここから離れすぎるな」
 意外とあっさり承諾が得られ、ソフィアは早速町へと繰り出した。
 昨日の黒竜騒ぎも落ち着いたのか、町の至る所では復旧作業が始まっていた。時折、小綺麗な制服に身を包んだ者が聴取や観察を行っている様子が見受けられた。どうやら憲兵辺りが事件の調査に乗り出してきているようである。こういった事件の場合、真っ先に疑われるのは定住者ではない者だ。目を付けられぬように、ソフィアは出来るだけ目立たない場所を移動しながらグリエルモの姿を探す。
 グリエルモは人目を引きつける無駄な美形さと何かと奇行を繰り返しては目立つ事ばかりをする。探す方にしてみれば騒がしいところを探せばよいので好都合だが、それは憲兵にも見つかりやすいという危険もある。出来るだけ早く見つけなければならない。
「しかし、どこに行ったのやら」
 町の大通りを一通り巡ったソフィアだったが、未だグリエルモの姿を見つける事は出来なかった。時折町の人に銀髪の男を見なかったか訊ねてもみたが有力な情報は一つとして無い。復旧作業でそれどころではないという事もあるのだろうが、あれだけ目立つグリエルモを誰も見ていないというのはおかしいと思う。たとえ誰も見ていなくとも、いつもは自分がグリエルモの奇行を押さえているから、いざ一人となれば自分の歌いたいだけ歌っているものと踏んでいたのだが。こうもグリエルモの痕跡が無いとなると、もはやこの町にはいないのではないかとすら思えてくる。
 そろそろ一時間が経過する。一旦トアラの元に戻ろうか。そう思ったその時だった。
「だから、病人がいるんです! 静かにして下さい!」
「それは分かったから、早く医者に診せようって言ってるじゃないか。早く運ばないと手遅れになるかもしれないんだぞ」
「余計なお世話です! お引き取り下さい!」
「お引き取りって、ここはうちの宿なんだが……」
 通りの一角にある宿屋の正面口。そこで何やら数名の男女が口論しているようだった。
 宿の前に立ちはだかるのは一人の美しい女性。長く綺麗な黒髪に色白の肌、ソフィアが思わず舌打ちしたくなるようなスタイルの良さも兼ね備えている。対するのは、その宿屋の持ち主らしい者達。話の内容から察するに、この女性が宿の中に病人を休ませているが、医者に診せようと提案する主人達を頑なに拒んでいるようである。病人を休ませるのはともかく、何故医者を拒否するのだろうか。少なくとも主人達は勝手に宿を使われている事を責めている様子ではないのだが。
 しかし、
「とにかく、このままでは埒があかないから。俺らは医者を連れてくるから、あんたはここを通してくれ」
「この……いい加減物分かりの悪い猿め!」
 突然大声で怒鳴るその女性。主人達は予想外の声の大きさにその場にたじろぐ。そしてソフィアは、はっと息を飲んだ。言い放った言葉の語尾が、竜独特のしわがれた声に変わっていたからだ。ソフィアは近くの物陰に身を潜める。
「聞き分けのないなら、こちらにも考えがありますよ!?」
 更に怒鳴りつけるその女性。すると声を大砲のように放つと同時に、めきめきと音を立て女性の顔の骨格が変わっていった。驚くべきその光景に主人達は、あまりに現実離れしていた現実を受け入れられず呆然とその場に立ち尽くす。
「去りなさい! それとも私の手を煩わせますか!?」
 女性の顔は既にあの美しい顔ではなく、爬虫類を想像させる異形のものに変わり果てていた。そこでようやく主人達ははっきりと危険性を実感する。たちまち表情を青ざめさせ、悲鳴を上げながら一目散にその場を飛び出していった。
「あれ……どう見たって竜族じゃない」
 ソフィアは驚きに高鳴る胸を押さえながら、おそるおそる宿の方を改めて見やる。あの女性の顔は元の人間のものに戻っており、大声で怒鳴り散らしていたとは思えない楚々とした様子で佇んでいる。そしてすぐさま踵を返し宿の中へ戻っていった。
「なんか怪しいわね。こんなとこに竜がいるなんて」
 黒鱗は三人、そして今の竜族も黒髪だった。もしかすると彼女が最後の黒鱗なのかもしれない。だが行動が今一つ理解出来ない。黒鱗はグリエルモを殺すために人間社会へとやってきたはずである。兄弟二人はこちらで確保している以上、一体誰をあのようにかばい立てする必要があるのだろうか。
 真相はトアラや政府に任せておけば良い事である。しかし、あくまで直感ではあるのだが、このまま見過ごしてはいけないような気がしてならないのだ。
 グリエルモと合流してからでなければ危険だが、そのための時間も惜しい。意を決し、ソフィアは宿の裏口の方へと回った。