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「そう申されても私には何の事やら……」
「しらばっくれないでよ! っていうか、あんたグリを殺しに竜の島から来た連中でしょうが! グリに手を出したら許さないわよ!」
 どういった事情かは分からないが、グリエルモがこの部屋にいる。それも、よりによってグリエルモの命を狙っているであろう他の竜族と同じ部屋にだ。
 その状況をソフィア自身に置き換えれば、裸で変質者と同じ部屋へ放り込まれるのと同じぐらいの危険さであると容易に想像がついた。トアラと交わした一時間に一度の帰還の約束や竜族を無闇に刺激する危険性などより、とにかくドアの向こう側にいる竜族の女性を抑える方が遥かに重要な急務である。ソフィアは柄にも無く激情にあえて火を点け、まるで後先考えずとにかく怒鳴り散らした。
「ちょっとあんたどういう関係よ! とにかく表出ろ! 話はそれからだ!」
「そ、その……ひ、人っ! 人を呼びますよ!」
「その人はさっき追い返したばっかりじゃない! 竜の不細工な面晒しといてさ!」
「そ、そのようなことは決して……それに、その、呼べば別な人がすぐに駆けつけてくるはずです」
「誰が来て私をどうするって言うのよ。なんとかやり込めようなんて思わない事ね。竜族が人間社会に疎い上に学習能力が低い事ぐらい知ってるんだから」
「な……それは、その……」
「いいから、さっさとここを開けなさい! どうせ考えたって無駄よ! グリ、聞こえてるんでしょ! 私よ! 返事して! ついでにこのバカを取り除いて!」
 普段は面倒ごとを極力避けるため口にする言葉は出来るだけ選ぶソフィアだが、攻撃に打って出る時は罵詈雑言の数々が湯水のように湧き出ては口から飛び出す。元々喋りが苦手のように思えるドアの向こうの女性には一切の意見主張をさせず、とても年端も行かない少女とは思えぬ威圧感で圧倒してしまった。腕っ節はどうであろうと、一度相手が弱気になればひたすら強気に出れば間違いは無い。それから屈服させた所で自分にとって有利な和解を持ちかける、そんな老獪な算段を激情の裏で立てていた。
「あ、いや……ちょっとこの人間! グリエルモ様を気安く呼ばないで下さい!」
「はあ? 認めたな、お前! 今更開き直って凄むな!」
「に、人間風情が無礼です! 曲がりなりにも竜に向かって!」
「その竜がドアの向こう側からこそこそ凄んでんじゃないわよ! 陰気なのは色素だけにして貰える!?」
「この、人間め……いい加減にしないと」
「しないと? 何するってのよ。またそんなこと言って―――ん?」
 その時、不意に口調が神妙になったと思うなりドアの向こう側からパキパキと枯れ枝を踏み折ったような音が聞こえてきた。だがすぐに音の正体に気づいたソフィアは、反射的に後方へ跳び退りドアとの距離を取る。
「うわっと」
 直後、部屋の中から黒い生き物の腕が壁を突き破って飛び出すと、先ほどまでソフィアが怒鳴っていた辺りをドアごと真横に引き裂いた。まるで紙のように真っ二つになり落ちる木製のドア、そこへ抉られた壁の破片がばらばらと崩れ落ちていった。
「避けましたね。どうして逃げるんですか」
「竜の考える事なんか大体想像がつくからよ」
 締め切った廊下内に削り取られた壁の粉塵が飛散する。ソフィアは口元を押さえつつ身をかがめ向こうの様子を窺った。女性は右手だけを竜に戻したまま、元の立ち位置で周囲の様子を窺っている。この粉塵のせいでこちらを見失ってしまい、匂いもよくたどれてはいないようである。カッとなって手を出したものの後の事まで気が回っていなかったという、実に竜らしい行動だとソフィアはほくそえんだ。
「分かりました、でしたらこちらに来て下さい。グリエルモ様を軽々しく呼び捨てた事を反省して戴きます」
 しかしソフィアが身を屈めながら向かったのは、抉られて出来た壁の隙間だった。女性はドアの無くなった出入り口ばかりを気にしているため立ち位置を変えておらず、侵入させまいという注意がそこにしか向いていないからだ。
「あなたは何故グリエルモ様がここにいらっしゃる事を知っているのですか? いえ、そもそもグリエルモ様の御名前を知っているという事は、まさか弟子入り志願者? それならば御引き取りください。人間如きにグリエルモ様の音楽は崇高過ぎます」
 相変わらずズレた事をぐちぐちと言っているものだ。
 そうソフィアは苦笑いしながら壁の隙間を経て室内へと侵入する。しかし竜は耳が良いため音にも敏感であり、ソフィアの足音が室内で聞こえた瞬間女性もすぐさまソフィアの居場所に気がついた。
「人間! いつの間に入ったのですか!? まさかグリエルモ様に嫌らしい狼藉を!」
 どこまでずれているのか。
 構わずソフィアは部屋の一番奥へと一気に駆けた。薄闇でも僅かにベッドの形とそこの上に乗っている影ぐらいは認識出来る。ソフィアははっきりと部屋の様子を確認すべくまずは締め切った雨戸を開放した。
「グリ、こんなとこ居たら危ないじゃない! さあ帰るわよ!」
 外から差し込んでくる強い日差しに目を細めながらベッドを探す。しかし、そこに横たわっていたのはソフィアの想像とは異なる姿のグリエルモだった。
「え……グリ? グリなの?」
「うーん、天使が呼んでいる。遂にお迎えかー」
 ベッドの上に横たわっていたのは、これまで見たことも無ければ例える言葉にも困窮するような異形だった。大まかなシルエットは人間の四肢らしきものがあるため人間に近いものの背骨の延長線上には尻尾が生えのた打ち回り、首は異様に長く伸び見たことも無い生物の頭がその先に乗っている。服を着ていない全裸姿は、銀色の鱗と皮膚の斑模様に彩られ不気味としか言いようが無かった。それでも緊張感の無い呻き声は確かにグリエルモのものであり、この異形は確かにグリエルモの変わり果てた姿なのだとソフィアは思わざるを得なかった。
「ちょっと、どうしたのよ一体。なんでまたこんな気持ち悪い姿に……」
 猛毒すら味わって飲むあのグリエルモが、何らかの理由で体に変調を来たしている。ソフィアは信じられないといった表情で恐る恐るグリエルモの顔に手を伸ばした。
「グリエルモ様に触らないで!」
 途端にあの女性が悲鳴のような声を上げると、すかさず二人の間に割って入りソフィアを遠ざけた。
「グリエルモ様は病気なの! ああ、きっと人間の国に長くいたせいで病気になったんだわ」
「病気? まさか。私は随分と一緒にいたけど、グリが病気になった事なんか無いわよ? 拾い食いをしたって食中りにもならないんだから」
「一緒って……あなたは一体どこの誰なのですか? グリエルモ様を軽々しく呼び捨てるなんて無礼にも程があります」
「私の名前はソフィア。グリとはここ何年か一緒に旅芸人してるの」
「ソフィア……あなたがまさか、あの」
 そう言いかけ、唐突にその女性は言葉を飲み込んだ。明らかに自分に聞かれたくない言葉を言いかけたな、とソフィアは訝しげに女性の態度を見つめる。
「うーん、ソフィー……どこにいるのかね、謝るから許してよー」
 うなされながら呟くグリエルモ。高い熱があるのか、眠っているのか起きているのかも分からないほど意識が混濁しているようである。ソフィアは再びグリエルモの傍らに近づいて屈み込むと、そっと手を握り締める。
「グリ、私はここよ」
「うーん、それでは小生の新曲を聴いて下さい」
 うなされながらそう呟くなり、途端にグリエルモは静かになったかと思うとすやすやと安らかな寝息を立て始めた。思わず隣の女性と顔を見合わせ安堵の溜息をつきあうものの、すぐにその女性の方から視線を逸らされてしまった。彼女がグリエルモとはどういった関係なのかは分からないが、とりあえずわざわざ様と付けて敬う態度を見る限り少なくともグリエルモの敵ではなさそうである。
「とりあえず、場所を移りましょう。さっきのせいでここに憲兵が来るわよ」
「あの、どこへ移すのでしょう? 私、あまりこの町には詳しくなくて、その……」
「いい場所を一つ、知ってるの。あなたはグリを背負って連れてくれればいいわ」