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 この光景にはトアラもよほど驚いたらしく、表情こそいつもの無表情ではあったが明らかに驚きで凝固していた。
 ソフィアが倉庫へ二人を連れて戻ってくると、丁度トアラは何かの資料を広げ確認をしている最中だった。この面子には驚きを隠せないらしく、二の句に困っているのが良く分かった。ふと我に帰り慌てて資料を片付ける様は思わず吹き出しそうになる。
「あー、えっと。とりあえず自己紹介して」
 慌ただしく佇まいを整えたトアラはソフィアにそう促されると、一つ咳払いをつきすました顔で二人の方を向く。
「私はトアラだ。政府関係の仕事をしている」
「初めましてトアラさん。私はオーボルトです。その、竜族ですので、本来とは発音が若干異なりますけれど」
「こちらこそ。諸事情により本名で名乗れないのが残念だ」
「私は物覚えが悪いのでお気になさらず」
 オーボルトと名乗ったその女性は、初対面の人間は苦手とばかりにソフィアの時とはまるで別人のようにしおらしい態度で挨拶を交わす。トアラは普段と変わらぬ表情で同じように挨拶をこなすため、その様子からオーボルトが竜族であることに驚いているのかどうかは窺い知れなかった。
「とりあえずグリは奥に。小さいけどベッドがあるから」
「はい、ありがとうございます。さあ、グリエルモ様」
「うーん、我が楽器はどこぞ、我が楽器は」
 オーボルトは変わり果てた姿のグリエルモを背負ったまま奥の部屋へと慎重に運んでいく。グリエルモは移動でまた熱が上がったのか、運ばれる間も終始うなり続けている。人間も熱にうなされると取り留めの無い言葉を口走ったりするものだが、グリエルモの場合は普段からそんな傾向であるためあまり変わらないものだとソフィアは思った。
「銀竜はどうしたんだ?」
「なんか病気でああなっちゃったみたい」
「竜族が病気にかかるなど聞いたことがないな。後ほど血液サンプルを採取してみよう」
「刺さる注射針があればね」
 程なく奥の部屋からオーボルトが戻ってきた。寝かせてきたグリエルモの様子がよほど気になるのか、執拗に部屋の方を何度も振り向いては陰鬱な表情を浮かべている。竜族が病気になるような事が前代未聞だからなのか、それとも純粋に好きな人の安否を案じているのか。何にしても腹芸の苦手な竜族が巧妙な演技をしているとは考え難い。
「御迷惑をおかけします、トアラさん」
「いや、大したことはない。それよりも、君が竜族というのは本当かな? ここに匿う以上、身元は明らかにしておきたいのだが」
「はい、私は確かに竜族です。竜の島より、長老からある命を受けやって参りました」
「ある命とは?」
「それは掟により話す事は出来ません」
 トアラが傍らのソフィアに確認の視線を向け、ソフィアはそれに頷く。二人のやり取りをオーボルトは不思議そうに見ていたが、またすぐに視線は奥の部屋へ向けた。
「君には兄が二人いると思うのだが」
「ええ。普段は優しい兄達ですが、私とは意見があまり合わなくて」
 そこでトアラが視線をオーボルトの背後へ意味ありげに向ける。振り返ったオーボルトの目に飛び込んできたのは、黒鱗の二人を閉じこめた檻だった。幾らなんでも唐突過ぎやしないだろうか、とソフィアは険しい視線をトアラに向ける。だがいつの間にか右手には例の竜族専用の麻痺薬を構えていたため、不穏当な態度はともかくとりあえずはこのまま任せようと諦め気味に頭を振った。
「彼らは少々攻撃的過ぎてね、人間社会でのルールから大きく逸脱してしまったのだよ。だから当分の間は身柄を拘束し、しかるべき処罰を受けて貰うつもりなんだが」
「構いません。どうせグリエルモ様を理解出来ない愚かな兄達ですから、いっそそうして貰った方が手間が省けます」
 外見こそ大人しく楚々とした振る舞いだが、予想外の返答を見せた事にトアラは軽く眉を持ち上げた。オーボルトは同族であり親族でもある兄達が人間に拘束されてしまった事態に、驚くほど冷淡な態度でさも無い事とばかりに受け流してしまう。右手の麻痺薬が無用と判断するや否や、トアラは傍らのソフィアにそっと耳打ちした。
「竜族は兄弟の情に薄いのか?」
「単にグリにぞっこんなだけよ」
 そうか、とトアラは短く頷きオーボルトの方へ向き直る。ソフィアは冗談のつもりで言ったのだが、トアラがどう受け止めたかは相変わらず知る由もない。
「君とグリエルモ殿はどういった関係かな?」
「その……つがい、です……」
 頬を赤らめ恥じ入りながらも嬉しそうに答えるオーボルト。それを無表情に見るトアラとの温度差が急激に激しくなった。
「だ、そうだ」
「知らないわよ、私。そもそも竜って昨日の今日でつがっちゃうもんなんじゃないの?」
「とりあえず、三人目の黒鱗ではあるが銀竜の敵ではなさそうだな」
 無表情のまま安堵の溜息らしい息を吐くトアラ。ならもっとそれらしい顔をしろとばかりに、ソフィアもその溜息にわざとらしく続いた。
「一旦昼食にして一息つこうか。大したものは無いが準備しよう」
「私はグリエルモ様の様子を見て参ります」
 そう言ってオーボルトは今出てきたばかりの奥の部屋へと駆けていく。そんなオーボルトの姿にソフィアは、グリエルモにこうも甲斐甲斐しく接する竜もいるのだと幾分か安堵した。オーボルトが一体グリエルモのどこに惚れ込んだのかはともかく、一族の誰からも疎まれている訳ではない事実が自分の事のように嬉しく思えた。
「私もちょっと見てこようかな。水ぐらいあげた方がいいよね」
 そうソフィアがオーボルトの後を追おうとしたその時だった。いきなりトアラに腕を掴まれその場に制止させられる。
「ちょ、ちょっと何よ。馴れ馴れしく触らないでよ」
「何を慌てている? とにかく妙な声を出すな」
「出してないって。で、何よ一体」
「適当に何か話をでっち上げ、オーボルトの裸を確認して来い」
「は?」
「裸だ。出来る限り全身をくまなく隅々まで」
 言っている内容はとても正気とは思えなかったが、トアラの表情は極めて真剣そのものだった。いや、元々表情に乏しいためそう見えるだけなのかもしれない。まさかトアラがそういう冗談を言うなんて。ソフィアは急に腹が立ち、とりあえず脛でも蹴ってやろうという衝動に駆られる。だが、
「あのさ、何でそんな変態みたいな真似をしなくちゃ―――あ」
 ふと、ソフィアの脳裏に以前トアラの言った言葉が蘇る。
 トアラの知人は死ぬ前に黒鱗に竜殺しで一矢報いたのだった。もしかすると黒鱗の三兄弟の誰かには、その時の傷跡が残っている可能性がある。もし残っていれば、それはトアラの捜し求めた仇敵の証になる。トアラの一番の目的はそれを突き止める事なのだ。そういった事情ならば協力してやらない訳にはいくまい。ソフィアは考えを改める。
「分かったわよ。でも女同士でも裸になるっての難しいんだからね」
「無理なら私が確認する。お前は服を脱がさせればいい」
「馬鹿ッ、死ね!」