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 奥の部屋へ意味も無く息を潜めながら入る。
 一番奥まった片隅に申し訳程度に置かれた古びた小さなベッド。昨日ソフィアはそこで一晩を過ごした訳だが、今はそこにグリエルモが変わり果てた姿で横たわっている。よくよく見てみると、丁度人間と竜の中間のような姿になっているような雰囲気がある。人間も熱が上がれば真っ直ぐ歩けなくなるのと同じように、竜も体調を崩せば自律が利かなくなるのだろうか。
 オーボルトはグリエルモの傍らに方膝を付き様子を窺っている。どこから見つけてきたのか洗面器に水を張り、白いハンカチをしきりに水で絞ってはグリエルモの額らしい部分から首筋にかけてを拭う。それが病気の快方に役立つかはともかく、こうも懸命に看病をしている様を見ると何もしない自分がまるでグリエルモを何とも思っていない非常な人物のように思えてくる。考えてみれば、これまでグリエルモの健康など考えた事も無かった。剣で斬られようと金槌で殴られようと、怪我をするどころか行為そのものすら理解出来ないほど頑丈なグリエルモ。そんな彼が平常を失う事態などとても想像が出来ず、普通の生物とは違い常に常である摂理のような存在とすら思えた。しかし体調を崩した姿を見せられた事で、種族は違っても同じ生物なのだと気がつかされる。
「どう? って見た通りか」
「はい。あの、ところで。先ほど何か怒鳴られていたようですが……」
「ああ、トアラの奴がさ私が桃好きなの知ってて缶詰食べちゃって」
「そうですか。さも無い事で大変ですね」
 にっこりと微笑み答えるオーボルト。その人当たりの良い仕草に似つかわしくない棘のある言葉にソフィアは戸惑った。竜族には高度な皮肉を言えるほど上等なセンスは無い。グリエルモと同様、悪気無く思ったままの言葉を口にしただけなのだろう。これまでそういう喋り方をするのはグリエルモの性格だと思っていたが、悪気が無いのは竜族共通なのかもしれない。
「あの、遅れましたがこのような隠れ家をお貸しいただきありがとうございました」
「いいのよ。どうせグリは私の連れだし」
「はあ……」
 連れ、という言葉に露骨に表情を曇らせるオーボルト。どうやらあまり自分とグリエルモとの関係を快く思ってはいないようである。竜族が他の種族を見下している傾向にあるのは知っているが、自分のつがいとまで公言したグリエルモと仲良くしている事が気に入らないと思うのは当然だろう。自分より格下と思っている存在に、恋人にちょっかいを出されるのは良い気分ではないものだ。
 しかし、オーボルトはグリエルモとつがいだと言っていたが本当のところはどうなのだろうか。
 自分にとってグリエルモはペットのようなものだが、勝手に所帯を持たれたりするのは旅をする上で非常に困る。今更一人旅など出来るはずも無く、グリエルモは護衛としても荷物持ちとしても最高の人材なのだから、それを簡単に手放すわけにはいかない。けれど、もしグリエルモ自身の意思で所帯を持とうとするのならば、さすがにそこまで干渉は出来ない。何もそんな深い部分まで縛るほど独占欲は強くは無い。
 グリエルモが自分以外の女性にうつつを抜かす様はとても想像がつかないが、オーボルトは同性の目から見てもかなり魅力的だとは思う。病気の時に甲斐甲斐しく世話してくれるだけでも心がときめくだろうし、竜族が人間の姿の時は皆美形になるのはともかく、スタイルまでもが妙に良く如何にも男好きそうな雰囲気である。こういう肉感的なのがグリエルモの趣味であれば、少しこれまでとは見方が異なってきそうだ。
「何か?」
「別に」
「大丈夫です、発育不良は病気では無いと思います……」
「余計なお世話よ」
 こちらの視線に気付いたのか怪訝な表情を浮かべるオーボルト。だが予想通り勘は悪く、全く意図に気付いた様子はない。
 しかし、オーボルトの体に傷跡などあるのだろうか?
 トアラの知り合いが古い竜殺しで戦ったという事は、向こうから襲ってきたからだろう。だがこのオーボルトは、こちらから仕掛けない限りは何もしない穏やかな性格に見受けられる。兄二人はともかく、とても人間を積極的に襲うようには見えない。やはり犯人は兄達のどちらかで、負傷した所もすぐに治ってしまって傷跡など出来なかったに違いない。そうなるとわざわざオーボルトの裸を確かめるなど無駄な事のように思えてくるが、一応引き受けた手前完了する義理はあるし、何よりトアラが覗き行為をするのは何故か無性に腹立たしい。
 ひとまず現実的な所としては、一緒に着替えをする時ぐらいが確認のチャンスだろう。ここには風呂やサウナは無いのだから、それぐらいしか自然に服を脱がせる方法は無い。となると就寝前という事になるが、わざわざ同じ場所で着替えようとするのも不自然ではないだろうか。
「あ……そうだ」
「何かしましたか?」
「いや、グリにさ果物でも切ってあげた方がいいかなって。水分も取れるし、何も食べないのもかえって悪くなるでしょ」
「そうですね。何か戴けたらお願いします。缶詰ではなく新鮮な採れたてのものを」
「無茶言わないでよ」
 ふとその時、ソフィアの脳裏にある考えが浮かんだ。ごく自然にオーボルトの服を脱がせられ警戒もされない名案である。それを実行するためには事前に用意するものがある。ソフィアはその準備のため早速部屋を後にした。