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 程無く戻ってきたソフィアは、水差しとコップを携えていた。
「果物は無いってさ。保存があまり利かないからって」
「そうですか……。仕方ありませんね、では私がどこかへ飛んで採って参りましょう」
「いや、騒ぎになるからやめて。もう隠れ家は無いんだから」
 オーボルトは竜族であるから、本来の姿に戻れば空も飛べるし果物など簡単に集めてくる事が出来る。しかしそんな行動を取れば、当然だがあの騒ぎの後という事もあって街が再び大騒ぎになる。そうなればこの場所に留まる事も出来なくなり政府からの援軍との合流も出来なくなり、また事態がややこしくなって来る。面倒事は手早く片付け目当ての特赦状を手に入れたいソフィアとしては、これ以上状況を拗らせたくは無い。
「とりあえず水だけ持ってきたんだけど、ちょっとコップだと飲み難いかな」
「問題ありません。私が、その……口移しで」
「どこよ、口」
 一人でのろけるオーボルトを普段と同じ態度で流しながらベッドの方へ近づくソフィア。しかしその注意はベッドの方ではなく足元に向いていた。出来る限り不自然にならぬよう気を使いながらも、床の窪みの具合を確かめながら歩く。そしてオーボルトとの距離を慎重に計りながら、うまく探り当てた床の窪みにつま先を力一杯引っ掛けた。
「あっ!」
 普段の歩く速さでも、急激なブレーキには誰でも容易にバランスを崩す。普通なら反射的に受身の事を考えるこのタイミング、しかしソフィアは全く別な方へ意識を向けた。それは手にしていた水差しだった。元からあまり固く持っていなかった水差しを持つ手に力を加え、つんのめった勢いのまま水差しを放り投げる。宙を舞う水差しは、狙い済ました通りオーボルトの頭を直撃する。人間なら確実に怪我をする勢いでぶつかったのだが、竜であるオーボルトにはさほどの痛みも感じない。しかし水差しの中身まではそうもいかない。ぶつかった衝撃で外へ飛び出した水は、オーボルトの頭から全身に降りかかった。
「あ、ごめん! 転んじゃった! 痛くない!?」
「いえ……大丈夫、です……はい」
 すぐさまソフィアは大げさに慌ててオーボルトに謝り怪我が無いか気遣ってみせる。オーボルトは水差しが当たった事よりもいきなり水を被せられた事の方に驚いたらしく、呆然とした表情で目を大きく見開いていた。
「着替えある? ああ、そうだ。とりあえず私の服を使って」
「そんな、その、御迷惑をおかけする訳には……」
「いやいや、迷惑かけたのはこっちだからそれぐらいさせて」
「では、出来るだけ地味なもので……。そういった品の無い服は苦手で……」
 迷惑をかけたのはこっちだが、随分と心外な物言いである。そう眉をひそめるものの、ここまではうまくいったのだからと笑って済ます。
 早速ソフィアは自分のカバンを開けてオーボルトが気に入りそうな服を見繕う。オーボルトが言う品のある服は、今の服装からすると単に地味であれば良いように思う。ソフィアの感覚からするとオーボルトの服装は喪服にしか見えず趣味とは正反対なのだが、何とか近いものを探して幾つか並べてみる。
「まあ、こんなところかな。どう?」
「あ、はい……」
 オーボルトはタオルで濡れた髪を拭きながら並べた服を眺める。しかしどの服にも着るには躊躇いがあるらしく、不安そうに視線が右往左往している。そんなオーボルトの、濡れた髪で前屈みになりながら服を眺める仕草にソフィアは思わず舌打ちをしそうになった。俗に男達が求める女への色っぽさをそのまま表現したかのような姿そのもので、不覚にも羨望の視線でそれを見てしまったからだ。
「ほら、これなんてどう?」
「え……これは袖の面積がちょっと……」
「大丈夫大丈夫、これぐらい普通だって」
 とにかく脱がさない事には何も始まらない。ソフィアはここぞとばかりに服を推し進める。着せる服は何でも良く、要は脱がせれば事足りる。ソフィアは半ば強引にオーボルトの服を脱がせていった。オーボルトはよほど困惑しているのか無抵抗なまま面白いように服を脱がされていく。あっという間にオーボルトは地味な服の下に隠していた豊満な裸身を晒す。
「うわっ……」
「あの、何か?」
「別に」
 ソフィアはこちらの胸中を悟られまいと視線を逸らし再度服選びを始める。
 最初から思っていた事だが、オーボルトは顔の造形だけでなく体型すらも完璧としか言いようが無かった。そもそも容姿の美醜など主観と文化で如何様にも変わるものだと思ってはいるものの、それが単なる言い訳にしか聞こえなくなるほど敗北感を感じさせられる。幾ら仮初の体とは言っても人間の姿をしている時は完全に人間なのだから、人間として比較せざるを得ない。
「子供を産む時期になれば自然とこうなると思います……」
「だから何でもないって。ほら、これどう?」
 そう言ってソフィアはオーボルトに白いブラウスを強引に着せる。
「ちょっと、ボタンが最後までかからないじゃない。ここ収まらないの?」
「いえ、その、苦しいです……」
「もっとゆったりめのじゃなきゃ駄目ね。いっそ上着だけ着てみるか」
 間近で見ると尚更自分と比較してしまい苛立ちが込み上げる。その苛立ちには、グリエルモがよりによってこういうタイプになびいた事への心情も含まれている。今は体調が体調だけに許してやるものの、回復した際に事情を聞き、事と次第によってはまた殴りつけるかもしれない。
「大人用の普通の服があれば結構ですから」
「子供用の服なんか持ってないわよ。あんたの場合、ここが太り過ぎなの」
 ソフィアは眉をひそめながらオーボルトの胸を二度三度叩く。
「ん?」
 その時だった。ふと胸の間に何かを見つけたソフィアはそこを改めて見返す。
「これ何?」
「あ、いえ、その……」
 するとオーボルトはあまり見られたくないのか、ボタンの留まらないブラウスを無理やり合わせてそこを隠した。けれど、ほんの一瞬だったがソフィアはそれをはっきりと目撃した。胸の間にあったそれは明らかに傷痕である。オーボルトは肌が白いため特に目立つ上、しかも傷痕自体も決して浅く小さなものでは無い。
「ま、とりあえず別な服を合わせてみましょうか。それと、伸びちゃうからあんまり引っ張らないでよ」
「は、はい……すみません」
 おずおずと素直に謝るオーボルトだったが、やはり傷痕を見られぬよう手で胸を隠している。まさかトアラの知人の仇はオーボルトだったのだろうか? それに、しきりに傷を隠し口を閉ざす仕草も気になる。単に傷痕がみすぼらしいので見られたくないという理由が妥当だとは思う。けれど、仮にオーボルトが知人を殺した犯人として、まさかオーボルトもまた自分を探し狙っている人間がいるという自覚があったりはしないだろうか?