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 グリエルモに付きっ切りのオーボルトを残しソフィアは部屋を後にする。
 もう少しオーボルトとは親交を深めたいとは思ったものの、グリエルモがあの調子ではそういった気分にはなれないらしく、しばらくは放っておく事にした。今思うと、自分もオーボルトを見習ってグリエルモの体調について真剣に考えるべきである。竜族は並外れて頑丈な生き物だから大した事は無いだろうと高をくくっていたが、同族であるオーボルトの動揺の仕方を見る限りあまり芳しい状況ではない。このまま自然に回復しないのであれば、何かしら対策を取る必要があるだろう。こればかりは自分がどう可愛がってやった所で回復するものではない。
 トアラは相変わらずテーブルに書類を広げぶつぶつと独り言を漏らしながら確認に余念が無い。時間の有効活用を徹底するのは諜報団の方針なのか、単なるトアラの生まれつきの性格か。とにかくトアラがどういう人物なのかを誰かに話すとしたら一番最初に口にするであろう姿だ。
「どうだった? 何やら妙案があったようだが」
「まあね。水被せて服を着替えさせてみたんだけど……」
 一息の沈黙。しかしその逡巡をすぐに振り払い自然さを意識しながら言葉をすぐに続ける。
「ま、残念ながらってとこね」
「そうか。なら仕方が無いな」
 トアラは振り向かずに淡々とした口調で答える。気づかれたかどうかは読み取れないものの、下手に勘繰った結果探られたくない腹を探られては意味が無い。ソフィアはいつもの事とばかりに何でもない反応を示す。
「黒鱗の三人から容疑は絞れないという訳か」
「大方、兄二人のどっちかじゃない? やたら好戦的だし」
「オーボルトは違うのか?」
「私が水差しを頭にぶつけても怒らないもの」
「なるほどな」
 そう言ってトアラは白紙のレポート用紙をめくると、そこに何かを走り書きする。おそらく今のオーボルトについてのメモだろう。
「ま、どうせ二人は政府に引き渡すんでしょ? それでいいんじゃないの」
「オーボルトは引き渡したくないと言いたそうだな」
「当然でしょ、私だって血も涙も無い訳じゃないんだから。悪者どころか、うちのグリを必死で看病してくれてるし。酷い扱いなんて出来る訳ないじゃない」
「意外と人情に厚い。資料通りだ」
「……ホント、腹立つ資料ね」
 普段通りの調子で言葉を交わしながらトアラのテーブルへ歩み寄ると、またしてもトアラはすぐにテーブルに並んだ書類を片付けてしまった。それほど見られるのが嫌ならば初めからこういう場所で広げなければいいものを。ソフィアはわざとらしく溜息をついてみせる。
「一応、はっきりさせておきたいんだけどさ」
「何をだ?」
「あんたが黒鱗を追う理由よ。正直さ、あんたが一体どういう理由で動いていて、どういう目的があって、これからどうするつもりなのか、そういうのを曖昧なままにしてこれ以上は続けたくないのよ。私はね、別に面白おかしく生きていければそれでいいだけで、別に国家機密なんて興味無いし他言するつもりもないし、特赦さえ貰えるなら他に興味なんかないわ」
「だからつまり、知っている事を全部話せと?」
「そういうこと」
「無理だな。機密事項があり過ぎる。現状ですらかなり際どい状態だ」
「やっぱりそういうこと言うのね」
 一変して寂しげな表情を作って見せる。しかしトアラは少しも動揺する仕草も無く、むしろこれで一区切りついたと言わんばかりの落ち着きで片付けた書類をカバンへ入れ鍵をかけた。さほど深刻に返答を要求している訳ではないものの一応真剣な素振りで質問したこちらに対し、それを片手間で対応するトアラの態度には苛立ちを否めない。
「何て言うかさ……少しくらい話してくれたっていいじゃない。知人の仇とか一言でさらっと言われても共感出来ないわよ」
「別に共感して貰う必要は無い。こちらの指示に従ってくれれば十分だ」
「そういう風に人を駒みたいに見てると、いつか足元すくわれるわよ」
「責任の分離だ。一生、誰かに監視されながら生活する事は耐えられないだろう?」
 あえて不必要な事を言わないのはトアラなりの配慮かもしれないが、これ以上周囲の思惑や感情を考えながら行動を選ぶ事には耐え切れない。苦痛を感じ始めると、人間は特別な事情や信念が無い限りはおざなりになるものだ。既に黒鱗を押さえているのだから早く終わりにして欲しいと何度思ったか分からない。だが、トアラは一度言った事を簡単に撤回するとも思えず、ひたすら不明確な事に付き合っている。
「せめて知人との関係ぐらい教えてくれたっていいのに」
「諜報団に骨を埋める覚悟があるなら話してもいい。資質は十分だから問題はないだろう」
「嫌よ。そんなの泥沼じゃない」
「なら、身内になるか?」
「は?」
「身内になるかと訊いたんだ。身内にも話せない事項はあるが、この程度なら問題はない」
 トアラから意外な切り返しを受けソフィアは思わず唖然とした表情を浮かべ硬直する。
 身内とは一体どういう区切りを差すのだろうか? ソフィアの脳裏を一番最初に過ぎったのはその疑問だった。身内になれば多少話せる事柄も幅が広がる。それは何故か。普通に考えれば管理の問題がクリアされるからだろう。何故クリアされるのか。普通に考えれば自ずと答えが見えてくる。
「え、あ、な、何を急に言うのよ!?」
 ソフィアは頬を赤らめ声を上げる。上擦った声は倉庫中に響き渡り、トアラは耳やかましそうに眉を顰める。
「あんたね、そういう事をいう時は、なんていうかさ、ほら、もっと、こう!」
「何を騒いでる。諜報団の下部組織でも不満か、と聞いているんだ。民間の組織だからお前の嫌いな宮仕えにはならないんだがな」
「ちょ、ちょっと、今、身内って」
「諜報団の一部業務を切り離すために作られた組織だからな。身内とは呼ばないのか?」
「呼ぶだろうけどさ……」
 今ひとつ納得がいかないのは、自分が圧倒的に勘違いしていたからだろうか。
 トアラから顔を背け腕を組み黙り込むソフィア。トアラは何故怒っているのか分からないといった表情で首を傾げたが、やがて何を思ったのか新しいレポート用紙になにやら書き込み始めた。
「ところでソフィア、一つ良い知らせがある」
「何よ」
「援軍が今日中に到着する。お前の拘束もそこまでだ」