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「え、それじゃあ予定が繰り上がったんだ?」
「そういう事だ。正直な所、丸腰で竜を確保し続けるのも不安だったからな。私にしてもありがたい事だ」
 明日明後日ぐらいまではこんな生活が続くものだと思っていただけに、トアラの朗報にはソフィアも満面の笑みを浮かべる。一週間にも一ヶ月にも感じられるような、無駄に密度のある生活も今日で終わるとあっては喜ばない理由は無かった。穏やかな日常を送る事を強く望むソフィアにとって自由を制限される非日常は一秒でも短かいに越した事は無く、同じ拷問なら早く終わる方が良い。
「そうなると、後の問題はグリね。ねえ、医者とか呼べないの?」
「知り合いに竜の医者はいない。獣医ならこの町には一人ヤブがいるそうだが」
「獣医、ねえ。診せて分かるかしら?」
「無理だろう。竜の生態など政府ですらようやく初期段階に移行したレベルだからな。気休めぐらいにはなるかもしれないが、その後の口止めが面倒だな」
「だよねえ。一体どうしたものか……。あ、そうだ。黒鱗の引渡しってどこでするの? 政府の連中にグリなんか見られたらマズイと思うんだけど」
「私も政府の人間だ」
「あんたの事は信用してるもの。銀竜は別に今回の件には関係ないんでしょ? そこはきっちり切り分けるでしょうし」
「正当な評価だ」
 とは言っても、必ずしも全面的に信頼している訳ではなく、後から意見を翻されないとも限らない、というぐらいの警戒心は持っている。トアラには自分と違い、どこかで感情ではなく理屈を優先して動くのではないかという危惧感がある。そういう意味では自分との間に一枚壁があるのだが、その壁の向こう側が気になって気になって仕方が無い自分がいるのも憎らしい。
「政府もこの場所は当然把握しているのだから合流地点もここだ。もっとも、銀竜については奥の部屋に置いておけば気づかれる事もないだろうし、たとえ気づかれたとしても任務の範囲外だ。お前が想像しているような、強引に連行するなんて事態は有り得ないだろう。そもそも政府は、私が銀竜と接触している事を認知していない」
「ま、あんたがこっそりそれを伝えていないって信じておきましょ。それで、オーボルトの事はどう扱うの?」
「今回の任務は黒鱗の連行だ。黒鱗が三つ子ならば、当然オーボルトも対象になる」
「仇云々じゃなくて、政府として黒鱗そのものに用があるってことね」
「もっとも、仇ではないという確証が無い以上は私も完全に目を離すつもりは無いがな。ひとまずアヴィルドとヴェルバドは現状のまま、オーボルトも形式的にはそのまま引き渡すつもりだ」
「形式的に?」
「交渉に応ずるかどうか、どういった態度を取るのかは彼女次第という事だ。拒否されたらそれまで、強硬手段に発展すれば私も協力せざるを得ないが、きっと成すすべなくやられてしまうだろう」
 トアラの意外な言葉にソフィアは思わず感激し両手を打ち鳴らした。
「驚いた! あんたって、そういうところもあったんだ!」
「何の事を言っているのか分からないが、私はそもそも非戦闘員だ。オーボルトと戦って勝てる訳が無いだろう」
「うんうん、いいってば。私、そういう人には好感持てるわ」
 と言った直後、ソフィアは自分の言葉にハッと息を飲み慌てて弁解する。
「あのね、今のは好きとかそういう特別な感情の事を言ってる訳じゃないのよ?」
「何の事だ?」
 普段の無表情で返すトアラ。果たして気づいていながら惚けているのか、本当に気づいていないだけなのか、どちらにしても余計な弁解だったかとソフィアは思う。
 とりあえず、オーボルトの事は放っておいても問題はなさそうである。あまりに逼迫した時だけ自分が仲介に入ればいいのだ。その時はまた面倒なリストに乗ってしまいそうだが、少なくとも政府の暗殺リストに乗るよりかはマシなリストになるだろう。
「ところで、前から気になっていたのだが」
「何?」
「プライベートを詮索しても?」
「訊くだけならいいわよ。答えられたら答えるから」
 そうか、とまるで独り言のような小さな声でぽつりと答え、トアラはイスに座ったままソフィアの方へ向き直った。
「この先はどういう生活を考えている?」
「この先? そうね、お父さん引き取ってどっか定住出来る土地を探して、そこで何か商売でもしようかしら。小金もあるし、融資のツテもあるからね。何とかなるでしょ」
「では、その時は銀竜はどうする?」
「グリも一緒よ。多分、向こうも離れたがらないだろうし。それが?」
 グリエルモについては今更語るまでもないはず。トアラがそんな分かり切った質問をするのも意外だと思いソフィアは小首を傾げる。しかし、その返答を受けたトアラは無表情なりに深刻の色を浮かべていた。
「政府の見解では、竜族は重犯罪者と同じ括りに属している。重犯罪者は処刑、もしくは生涯の全てを政府が管理する方針だ。しかし竜族は、処刑するにもそれだけの武器は無く死ぬまで管理するにしてもあまりに寿命が長く管理コストも馬鹿にならない。よって、人間社会からは徹底排除というのが各国の合意になっている」
「急に難しい話をしたと思ったら、今度は何の脅迫? それでも銀竜を手元に置くつもりかって?」
「そう受け取ってくれて構わない」
「構わないっていうなら率直に言わせて貰うけどさ。合意って、そもそも何が出来る訳? これまでだって竜相手に何も出来なかったじゃない」
「搦め手が通用すると思っていなかったからな。だが、少なくとも銀竜には効果はあるだろう。人道的に問題のある手段だろうがな」
「そもそも、竜族はそんなレベルでどうにかなる相手じゃないじゃない。政府が大痛手を負ってまで、私一人なんかの人生破滅させてどうするのよ」
「逆に訊ねるが、果たして竜族は自分の人生を引き替えにしてでも守るほどのものか?」
「私ね、そういう選択を制限して質問されるのは大ッ嫌いなの。素直に言えばいいんじゃないの? 竜を追い出すためなら、形振り構ってられないって」
「綺麗事で秩序は守れない。竜族のような手のつけられない存在は人間社会に置いておけない。どうだ、これでいいのか?」
「何よ、その開き直った言い草は」
 そこで互いの間に流れる空気が悪くなってきたと悟り、ソフィアは口にしかけた次の言葉を飲み込んだ。
 トアラとは意見は対立する事がほとんどだったが、これほどはっきり決裂した事は初めてだった。ある程度の妥協点や落とし所があり、そこに泣く泣く落ち着きながらこれまではやってきていたけれど、こうも感情的になり低レベルな相手の非難にまで発展するなど有り得なかった事だ。気に入らない言動は今になって始まった事ではない、何をそんなにむきになっているのだ。そう自らに言い聞かせ自分を落ち着かせるソフィア。それはトアラの方も同じ思いだったのか、トアラもまた軽く目を瞑り深呼吸とも違う深く長い呼吸を三度繰り返していた。
「銀竜を竜の島へ返す事は出来ないのか? お前なら説得出来ると思うのだが」
「説得、ね……」
 グリエルモは竜の島から追放されたような身の上である。説得しようがするまいが、グリエルモが竜の島へ帰る事など有り得ない。それに、何も知らないグリエルモに対してそんな残酷な事などそもそも出来るはずがない。
「人間は竜族と共存出来ない、ってのが政府の結論ってこと?」
「個人的な意見を付け加えれば、『その上私は竜が嫌い』だ。理由は今更言わなくても分かるだろう。それに、人間には人間の、竜には竜の領分というものがある。共存出来ない事が分からないはずはないだろう? にも関わらず、今のような竜を連れた逃亡者の生活を続けるのは、お前自身のためにもならない。竜と関わるのはやめるべきだ」
 人間との生活と竜との生活をどちらか選択するという考えは、これまでほとんど持ったことはなかった。グリエルモが問題を起こすのは当たり前のことであって、それを自分が適度に管理すれば何となくどっちつかずの関係が続くものだと思っており、事実それは今日まで続いた。トアラは単に極論で自分に選択を迫っているにしか過ぎない。言われた通り選んだ所で何が得られるかなど甚だ疑問であって、むしろ自ら政府の盤面に上がる行為にも等しい。
 共存がどうという議論には、ソフィアは少しの感慨も抱かなかった。政府の主観で生活が楽しくなる保証も無ければ前例も無い。むしろ、それを知っていながら自ら従い人にまで押しつけてくるような人間は軽蔑どころか憎悪にも値する。
「ハッ、何説教たれてんだか。とりあえず、一つだけはっきり分かった。色々あったけど、やっぱりあんたの事は嫌いだわ」
 そう吐き捨て、ソフィアは再び奥の部屋へと戻った。
 やはりオーボルトの傷跡の事を言わなくて良かった。憎々しげにソフィアはそう思った。