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「報告には黒鱗を捕獲したとありますが」
「どうぞ、そちらです。御確認下さい」
 トアラに促され檻に近づく二人。警戒心からか一度懐に触れ何かがある事を確かめ、恐る恐る檻の中を覗く。檻の中には薬で眠らされた黒鱗の内、アヴィルドとヴェルバドの二人が無造作に転がっている。意識は完全に無く、煮ようが焼こうが目を覚ます事は無い。
「これが黒鱗という証拠は?」
「手配書の特徴と照合させて下さい。手っ取り早く確認するのであれば、矢なり刃物なり打ち込めば十分でしょう」
「ならば、念のため」
 早速トアラは檻の鍵を開け中から二人を引き摺り出す。するとトラウス准尉は上着の中から一振りの大きなナイフを取り出した。まるで戦地にでも赴くかのような見事な機能美を追求した造形のナイフで、まず一般人には必要の無い代物だ。
 まずトラウス准尉はアヴィルドの腕を取り肘近くの皮膚を軽く刃先で擦る。少しずつ力を込め何度か擦り傷がつかないことを確認すると、今度は大きく振りかぶり力一杯腕にナイフを振り下ろす。だが激しい金属音と共にナイフは弾かれ、トラウス准尉は眉間に皺を寄せ反動で痺れた手を押さえる。
「確かに本物のようです。こんな感触、普通の人間ならまず有り得ない」
 納得しナイフを仕舞うトラウス准尉。リンクス曹長は興味深げに見ていたものの、今のやり取りにはさほど驚きも無く表情の変化が窺えなかった。まるでトアラのような仕草だとソフィアは思う。
 淡々と確認作業をこなす彼らのやり取りに、ソフィアはまるで悪質なジョークを見せられているような気分になった。何故、竜なんて普通では信じ難いものを目の当たりにしたにも関わらずこうも冷静でいられるのか。それは逆に考えれば、政府では竜の存在はそれほど珍しくは無くなっているのではないだろうかと推測出来る。予測は出来ても決して歓迎出来ない事ではあるが。
「報告では黒鱗は三名とありますが、残る一名は?」
「奥の部屋にいます。少々デリケートな気質であるため、無闇に刺激せぬよう注意して頂きたいのですが」
「分かりました。とりあえず面会したいのですが呼んで貰えますか?」
 すかさずソフィアはそこへ割って入る。
「あ、はい! 今すぐに連れて来ますね!」
 あまりに不自然なタイミングで入ってきたソフィアに二人は訝しげな表情を浮かべ困惑するものの、質問の余地も与えず素早くソフィアは奥の部屋へ向かう。奥の部屋を詮索されるのはグリエルモを見られる事に繋がるため、自分以外は極力近づけさせない方が良いからだ。
「ちょっと、オーボルト。こっち来てくれないかな」
 少しだけ扉を開け、そこから中を覗き込むように声をかける。部屋の中ではオーボルトは相変わらずグリエルモの傍で看病を続けていた。
「え……? いえ、私はグリエルモ様と一緒にいますので」
「いや、そうじゃなくてさ。ほら、例のが来ているから」
「そう仰られましても、良くは分かりませんし……」
「ああもう、分からない奴ね」
 竜族に腹芸は通用しない。改めて込み入った話をする際の難しさを痛感するが、今はそんな事を省みている状況ではない。ソフィアは少しトーンを変えオーボルトを睨みつける。
「いいからさっさと来なさい。それともここから放り出されたいの?」
「え? いえ、それは困ります……」
「分かったら早くする」
 そうソフィアにきつく言いつけられ、オーボルトは慌てて立ち上がると、最後にもう一度グリエルモの様子を窺う。そして顔の辺りに手を触れ色気を出した表情で見つめ初め覗き込もうとし、そのタイミングでソフィアは最後の警告とばかりにわざとらしく扉を力一杯音を立てて閉めた。
「お待たせしました、間も無く来ますので」
 扉の向こう側を向いていた時とは一変して朗らかな表情と口調。そのギャップにトラウス准尉とリンクス曹長は更に訝しむ。
「三人目は神経質では無かったのかな?」
「これぐらいはいつもですよ。こうでも言わないと言う事を聞きませんから。どうぞ御気になさらず。良くは分かりませんがお仕事も忙しく時間はあまり無いでしょうし」
 ソフィアとしては完璧に取り繕ったつもりだったが、二人は納得がいかないのか小声で何かを打ち合わせ始めた。極めて有り触れた無難な言葉を使ったつもりだったのだが、何が気になるのだろうか。ソフィアは小首を傾げる。
「お、お待たせ……しました」
 ほどなく奥の部屋の扉が少しずつ開かれ、中からオーボルトがびくびくしながら現れる。トラウス准尉とリンクス曹長はオーボルトが女性だと知らされていなかったのか、予想外の物を見たかのように一瞬その場に硬直する。それでも表情を変えない点が如何にも専門職らしい。
「君は黒鱗の一人だそうだが、事実かな?」
「え? 言っている事が分からないのですが……」
 早速質問を切り出してくるトラウス准尉、しかしオーボルトは怯えた表情ですぐさま後退り、ソフィアを盾にしながら背中側へ隠れる。
「君の正体は黒い竜なのかという事だ。ここ十数年、世界各国の街や村に現れては様々事件を起こしているようだが」
「良くは分かりませんし、私は竜ではなく人間ですけど……犯人はきっと黒い兄の竜だと思います……。自分勝手で我が侭で気に入らないことがあるとすぐ暴れ出すので……」
 グリエルモと随分似ているなと思うソフィア。その一方でトラウス准尉は、今の発言からオーボルトが黒鱗であると確信したのか、リンクス曹長に何やら指示を下した。何やらきな臭い空気を感じ取ったソフィアは、不測の状況にも対応出来るよう背中でおどおどとしているオーボルトに声を潜めながら小突く。
「ちょっと、隠れてないで前に出なさいよ」
「いえ……その、あの人達……怖い」
「は? 竜が人間怖がってどうするのよ」
 オーボルトが隠れているのは人見知りをする性格だからと思っていたが、まさか本当に怖がっているだけだとは。
 例え女性だろうと、竜族が人間を怖がるなんて無意味な事は無い。ソフィアはオーボルトを前に立たせて二人を追い返そうと、怯えるオーボルトの袖を掴み無理やり引っ張る。しかしオーボルトは頑としてそれに抵抗しソフィアの背中から離れようとしない。
「いい加減にしなさいよ。いざとなったら追い返していいって言ったじゃない。ほら、私にしたみたいにさ」
「そ、それは……でも、怖くて……」
「大丈夫だって。どうせ鈍らしか持ってないんだから」
「その……なんとなくですが……前にああいう猿に襲われて、それで怪我をさせられた事があって……その」
「怪……我?」
 予想していなかったオーボルトの言葉に思わず息を飲むソフィア。次の瞬間、自分の背中に冷たいものが走り総毛立つのが分かった。理屈よりも先に、それは自分以外に聞かれてはいけない言葉だと気づいていた。けれど、それは余計な詮索を生むだけの行為だと分かっていたのに、ついトアラの方を見てしまった。
 うわ……。
 トアラもまたこちらを見ていた。表情は相変わらず無表情なままだったが、かち合った視線の先では瞳孔が不気味に開いている。明らかに感づいたというサインだ。