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「あ……はは」
 これまでにない凄まれ方を見せられ、ソフィアは思わず引きつった笑いを漏らしてしまった。
 表情は無くとも尋常ではない殺気の篭められた目に、ソフィアは思わず息を飲むばかりか窒息感すら覚えてしまう。生まれて初めて見た、本気で殺されると思ってしまうほどの真剣な表情。事が露見した際にトアラが怒る事ぐらいは想定していたが、まさかここまで露骨に殺気立たれるとは思ってもいなかった。
「あ、あの……もういいですよね? 話も終わったようですから」
 そんな場の空気などまるで構わずオーボルトが恐る恐る大胆な質問をその場に投げかける。トラウス准尉とリンクス曹長の二人は一旦訝しそうな視線を向けるもののすぐに打ち合わせに戻り、トアラの方は無表情ながらも風景が歪むほどの殺気を放つ。だが、それでもオーボルトは状況を良く理解していないらしく、何故誰も答えてくれないのかと困惑し小首を傾げるばかりだった。
「と、とにかくね。あんたは奥の部屋に戻りなさい」
 これ以上オーボルトをここへ置いておくのはまずい。いや、むしろ早急に遠ざけるべきだ。周囲からすればあまりに必然性が無く不自然極まりない行動ではあるものの、この状況下でソフィアが咄嗟に出来るのはその程度のものである。
「いや、待って下さい。黒鱗との交渉はまだ始まっていない」
「交渉は無し、よ。この子も忙しいんだから」
「それを決める権限が一般人にあるはずがないでしょうに」
「私は一般人じゃ無くなったからあるのよ」
 予想通り、すかさずトラウス准尉が止めに入るものの、ソフィアは条件反射で適当な言い訳でそれをはねのける。そのままオーボルトの手を強引に引き、奥の部屋へ向かおうとする。すると、
「この件は私に譲って貰いましょうか」
 突然進み出るトアラ。しかし立ちはだかるのはソフィアの前で、視線はその向こう側の二人へ向けられている。妙な構図だと思いつつも、それはこちらの行く手を阻むためだとすぐに気が付き身構える。
「それは越権行為に当たる。黒鱗の件に関しては既に」
「軍部に委譲したのだろう?」
「その通りだ。以後、竜族に関する全ての事柄は我々が取り仕切る」
「え、どういうこと?」
 すぐさまソフィアはトラウス准尉に向かって問いかける。だがトラウス准尉の視線は頭上を飛び越えたトアラの方に注がれ、ソフィアなど無関係か存在しないかのように一瞥もしない。代わりにトアラが口を開き質問に答える。
「諜報部が手を引いたという事だ。竜族はとても手には負えないと判断したのだろう。竜族の対応はもはや本来の業務からも逸脱している」
「逸脱って……」
「要するに、もはや竜族の対応は諜報の範囲ではなく軍事力を使わなければ制御出来ないという事だ」
 諜報部はあくまで情報収集が主な目的であり、竜とは対話以上の接触は範疇ではない。その後釜に軍部が据えられたのは、直接的な行動はもはや軍事でなくてはどうにもならないと判断、つまり竜族は人間にとって敵性種族と認定されたのである。当然黒鱗との交渉など建前でしかなくどういった末路を辿るかなど想像に難くない。そして銀竜を連れている自分の立場もそれ相応の目のつけられ方をする事になる。
「そこまで分かっているのなら話は早いですね。さあ、こちらに引き渡して戴きましょうか」
「何よ、私まで拉致する気?」
「あなたに関しては銀竜とのセットと決定されているので。銀竜がいない今回は留保しましょう。こちらも黒鱗の分しか移送手段を準備していない」
「はん、やっぱり私のこと知ってるじゃない」
 目をつけられるのが諜報部から軍部へ移った事がどれだけ生活に影響するのか。少なくともこれまでの生活では自分達の立場自体を知らなかったのだから、諜報部のスタンスは観察が優先なのだろう。しかし軍部なら直接的な手段に打って出てもおかしくはない。イメージが先行しているが、軍部の重鎮は強硬派と昔から相場は決まっているのだ。
「ともかく、ここからは軍部が仕切る。諜報部は黙って退いて貰おうか」
「いや、すぐには応じられない。こちらにも引継ぎの都合があるのでね」
「都合? 引継ぎに関しては既に諜報部から資料が提供されている。無闇に時間を引き延ばしこちらの任務を妨害するというのであれば、たとえ諜報部と言えども相応の処罰がある事を念頭に置き給え」
「軍部も腑抜けたものだな。今すぐ影響が及ばないもので一体何の交渉が出来る」
「何だと?」
 トアラの挑発的な言葉に、トラウス准尉とリンクス曹長は眉間に皺寄せいきり立つと、同じタイミングで上着の中へ手を入れる。先程の大型ナイフを取り出してくるつもりなのか。抵抗手段は無くともまずは身構えるソフィア、そしてその背中にすぐさまオーボルトは回り込んで隠れる。
 そんな緊迫した空気の中、おもむろにトアラはソフィアの前方へ歩み寄った。こちらは緊張とは無縁の自然体で、何一つ身構える様子が無い。
「最近の佐官は随分と短気なものだな」
「どういう意味だ」
「身分を偽るなら少しは考えて行うべきだ。竜族の機密情報は佐官までにしか公開権限は無い。たとえばソフィアの情報などな」
 唐突なその指摘が的を射ていたのか、いきり立っていたはずの二人は驚きその場に立ち竦む。トアラはその一瞬の隙を見逃さなかった。
 トアラは袖の中から黒い玉のようなものを滑らせて手にすると、それを立ち竦む二人の足元へ叩き付けた。直後、そこを中心に白い煙が瞬く間に立ち昇り周囲を包み込む。
 これはアヴィルドとヴェルバドを眠らせた催眠剤? 何故?
 驚くソフィアの手を背後のオーボルトも同じく驚きで強く握り締めた。