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 ソフィアの主張した意見がよほど予想外だったのか、トアラは驚きも露に目を見開き口元に油断の緩みを見せた。少なくとも一蹴するような反応ではない。ソフィアは確信を得、説明を続ける。
「元々あんたの知人が黒鱗に襲われたってのも、状況証拠だけだったんでしょ? たまたま黒鱗に関わる任務中で、たまたま竜殺しにそれらしい血液が付いていたってだけで。それなら、他の人間が手引きした可能性だって出てくる」
「馬鹿な。有り得ない。一体どこの誰がそんな手間のかかりリスクも大きい工作をするという? それに今際の際に黒鱗の特徴を残している」
「言葉として、でしょ? それが本当に黒鱗かなんて限らないじゃない。単なる思い込みで繋げて解釈しちゃったんじゃないの? 黒鱗が三つ子だった事だって知らなかったじゃない」
「なら、初めから黒鱗と思わされて全く別のものを監視していたというのか? そんな馬鹿な話があってたまるか」
「でもさ、現にオーボルトと証言が食い違ってるけど。まさか竜族に諜報員も騙くらかす嘘がつけるなんて思ってないよね?」
「嘘をついていないにしろ、正確に状況を把握していたかには疑問がある。仮にコミュニケーションに失敗したとして、オーボルトは応戦しなかったのか?」
「どうなの? やり返してやった?」
「い、いえ……私はグリエルモ様にお会いするまでは騒ぎを起こしてはならないと思っていたので……避難を」
「尻尾巻いてさっさと逃げたってよ。ま、性格見れば分かるよね」
「しかし……そもそも、襲った人間の特徴を確認すれば済む事だ。そうだ、今すぐ顔を思い出し特徴を言え。それだけで判断出来る」
「竜族が人間の区別なんてつけられると思う? ましてや一度会ったきりの人間の顔が。あんたは野良犬の顔まで区別がつくの?」
 オーボルトに襲われたという事実は確信するに十分と思っていただけに、見る見る浮き彫りになっていく歪みがトアラを困惑させた。オーボルトこそ探し求めていた仇敵に他なら無いはずだったが自分の知らぬ第三者の介入した可能性が濃厚になることで、そもそもの前提が大きく崩れる。トアラはこれまで自分が信じてやまなかった認識が全て覆されたように思え、途方もない脱力感に見舞われた。
「私には未だ信じられない……。何故そんな手の込んだ事をする必要がある? まるで謀殺だ……それもまるで意味も無い」
「本当に無意味? でも普通に考えたら組織ぐるみでの陰謀か策略かって所よね。それに巻き込まれたか、スケープゴートにされたか。言葉巧みにオーボルトを襲わせて、意気揚々と帰ってきたところを後ろからズブリ。割とありがちよね」
「身内が黒幕とでも言いたいのか? だがそんなことをして何のメリットがある。あえて身内を手に掛ける必要性が分からない」
「そこまでは私も分からないけどさ、その事件でどこが一番得したのかって考えれば自ずと見えてくるんじゃないの? まさか酔狂でこんな謀なんかしないでしょ」
 トアラはおもむろに口を閉じて視線を落とし長考へ入った。何か心当たりでもあるのか、どこを見ている訳でもない視線をくゆらせながら細々と口元を動かす。集中している時に出る、自分にも覚えのある無意識の仕草。けれど、トアラがこんな人間らしい姿を見せる事は不思議と新鮮に思え、面白半分にその様を観察する。
「そうか、特殊武器開発局……」
「特殊武器開発局?」
「以前、予算の削減を受け閉鎖の危機に陥った事がある。だがある時を境に潤沢な予算が割り当てられるようになった……っと、これは機密事項だ。他言無用で頼む」
 これまでは機密機密とうるさかったトアラとは思えない迂闊な発言である。しかし心当たりがあるというなら、あながち自分の説は間違っていないとソフィアは思った。ほとんどが推測の域を出ていなかったものの、根拠が後付けでも出てトアラの意識が変わった事でひとまずはオーボルトの安全は確保できた事は十分な成果である。
「そうだ、軍部なら開発局とは繋がりがある。元は軍部から分局した所だからな。出向している人間も少なくない」
「軍部、ねえ」
 おもむろに視線を落とすソフィア。その先には、足下に転がっている本来の身分は佐官クラスだという二人の姿。軍籍でありながら階級を偽るという不可解な言動は、案外トアラの推察が正解である事を示しているように思える。その一方で、一般人ならまず一生縁の無いであろう裏の裏に片足を突っ込んでしまったという危機感も感じていた。今後自分に対する監視の目が一層強まり迂闊な行動が取れなくなるのではないか、そんな真綿で首を絞められる心境だった。トアラも心中穏やかではないと言いたげな表情だが、こちらも別な意味で心中は穏やかではない。
「まさか、諜報部には連絡が届いていないのか……?」
「どうしてよ?」
「竜族に関する管轄が軍部に移ったこと自体が嘘かも知れないという事だ。こちらの連絡先を一時的に押さえられたか、盗聴の可能性も出てきた」
「じゃあ、軍部は黒鱗を持ち帰る事が目的ってこと?」
「恐らくは。考えたくは無いが、諜報部にも内通者がいると考えた方が自然だろう。そうなると、まさか本当に謀殺だったというのか……」
 トアラの心中は察したいが、これ以上直接関わりの無い自分が首を突っ込むのも憚られる。むしろ、ここから先は自分は係わり合いになりたくは無い。
 状況が状況だけに言い出し辛いが、このままではずるずると巻き込まれ深みに嵌り抜け出せなくなってしまいかねない。そうなる前に早く特赦状を貰いグリエルモとついでにオーボルトも連れて逃げなければ。
 トアラは状況の把握と推測に追われているのか周囲があまり良く見えていない様子だった。今ならば口八丁で何とか特赦状を貰い受ける事が出来るのではないだろうか。そう考えたソフィアは早速トアラを畳み掛けにかかろうとする。だが、
「猿共、お話は済みましたか?」
 不意に聞こえてきたもう一人の別な声。
 声にはソフィアだけでなくトアラまでもが反応し背筋を小さく驚きに震わせた。その声は黒鱗を収容していたあの檻の方から聞こえてきたからである。