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「ドウダ、コノ愚妹ガ! 兄ノ偉大サヲ思イ知ッタカ!」
「オ前如キデハ偉大ナ兄ニナド到底カナウハズガナイ!」
 意気揚々と高笑いする声が部屋の外から聞こえてくる。その声のしわがれ方を聞く限りでは二人とも半分以上竜の姿に戻っているようである。
「ちょっとオーボルト、大丈夫?」
「感性ノ劣悪ナ低脳共メ、今日コソ縊リ殺シテヤル! ソノ生キ血ヲグリエルモ様ノ精力剤ニシテクレル! イヤ、馬鹿ガ感染ルカラ駄目ダ」
 訊ねるソフィアには耳も貸さずオーボルトはすぐに立ち上がると部屋の外へ飛び出して行った。すぐさま鈍く深い打音と金属を引っかく甲高い音が幾つも聞こえてくる。相当激しくやり合っているのか建物の揺れも徐々に大きさを増し、屋根や壁が抜けてしまうのも時間の問題と思われる。
「竜同士の戦いは興味があったのだが残念だ。さあ、早く逃げるぞ。二対一では分が悪い」
「あ、ああ、うん。でもオーボルトは大丈夫かしら?」
「どの道、今は出来るだけ早く逃げる事が重要だ。せっかくの奮闘を無駄にする理由は無い」
 アヴィルドとヴェルバドがああもあっさりオーボルトを殴ってしまった事が気になったものの、かといって加勢するだけの力は自分には無い。確かにトアラの言うとおりオーボルトの奮闘は有効に使うべきだ。
 ソフィアはトアラの言う事に従い、もう一度包装したグリエルモを持ち上げると避難に取り掛かった。裏口から建物を抜け出すと、そのまま裏通りを経由し街の中心へと向かう。まだ人通りもまばらな時間帯ではあるものの、幸いにもすれ違うような人は無く誰にも見られずに済んだ。仮に見られたとしても、今は平常時ではないため明らかに人の入っている毛布を担いで走る二人の姿も目立つ心配は無いのだが。
「で、どこに行ったらいいの? 他にセーフハウスぐらいあるんでしょ」
「いや、この付近には無い。ひとまず身を隠せる無人の建物があればいいんだが」
「そう都合良くあればいいんだけどね。それっぽい所を片っ端から当たってみる?」
「運に見放されていなければいいんだがな」
「ああ、それじゃあ無理ね。見放されてなきゃこんな状況にならないじゃない」
 そう皮肉って見た所で状況が好転するはずもない。もうひとしきり愚痴りたい気持ちを抑えつつ、ソフィアは周囲を見渡し避難出来そうな建物を探す。黒い竜の暴走からはまださほど日数は経っていないものの、そろそろ建物の様子を見に戻って来る人がいてもおかしくはない。まだ人影は見ていないが、一旦表通りに出れば人が大勢集まっていてもおかしくは無い状況だ。人気の無い建物ならばどこでも良いが、とにかく早目に落ち着く場所を見つけなければ今後の算段も立てられない。
「あ、そうだ。この近くだったらいい場所があるわよ」
「どこだ?」
「えーと、ほら、そこの宿屋。オーボルトがそこにグリエルモを匿ってたの」
「所有者が戻って来る心配は無いのか?」
「本物の顔で脅してたから当分は大丈夫のはずよ」
 何の根拠も無いよりは信頼出来るだろうと、早速ソフィアの差す建物へと向かう。目立たない裏通りを経由し人目につかぬよう行動しなければならないため遠回りになってしまったものの、滞りなく目的の建物の裏手へ到着する。建物の内部からは前回と同様に人気は感じず家主は未だ戻ってきていない様子である。狙い通りとばかりに、すぐさまソフィアはトアラ共々二人がいた最上階の部屋へと向かった。
「潜伏先にしては随分と派手に暴れたようだな」
 最上階までやって来ると、そこは以前のまま壁やドアが引き千切られ周囲に散らばっていた。まるで竜巻でも入ってきたかのような惨状で、とても日常で起こり得る範囲では考えられないものだった。世間一般の人間ならば確実に何らかの危機感を感じる光景である。
「オーボルトよ。まったく、グリエルモの事になるとすぐ暴れ出すんだから」
「それを当たり前のように口にする所を見ると、随分と場慣れしているようだな」
「だからって、これ以上妙な事には関わり合いたくないんだけどね。本当に」
 グリエルモをベッドへ運び横たわらせる。グリエルモは人間に近い姿をしてはいるものの、相変わらず料理が出来そうなほどの発熱が続き皮膚も斑に竜の鱗が浮かんでいる。若干回復はしているようだが、熱が下がらない内はあまり楽観は出来ないだろう。幾らグリエルモが強いとは言っても動けないのであれば、個人の強さはあまり意味を成さない。
「しばらくはここでグリを休ませましょう。じゃあ私、オーボルトを迎えに行って来る」
「待て、それは駄目だ。あの二人が相手では幾らなんでも危険過ぎる。それに尾行でもされてしまったら、せっかくここまで運んだ意味が無い。黒鱗の目的はあくまで銀竜だ。見捨てるつもりでもなければ、黒鱗には不用意に近づくべきではない」
「でもさ、あのまま放っておいたら殺されるかもしれないじゃない。今度はこっちが助ける番でしょ」
「一般人ならそう思うだろうな」
「私だって一般人よ」
 オーボルトに肩入れする理由など、本来は持ち合わせてはいない。しかし、彼女は竜族で唯一のグリエルモの理解者である。果たしてグリエルモがそこまで状況を深く考えているのかは分からないが、少なくともグリエルモには同族の理解者は必要である。その上、オーボルトの健気さは感覚のズレはあるにしても足蹴にして良いようなものではない。それをわざわざ見殺しに出来るはずが無いのは、人間誰しもが持っている当たり前の道徳観だ。
「しかし、妙だな」
「何が?」
「町に人がいない。と言うよりはいなさ過ぎる。何故、現場復旧の人間や査察団の人間すら見当たらない? 一般人ならともかく、行政がこの状況に何もしていないのはあまりに不自然だ」
「人がいないって事よりも、まるで恣意的だって言いたそうね」
「むしろそうだろうな。まずいな、軍部がこの街を完全に封鎖している可能性もある。そうなると次の援軍は本格的な戦力が構成されて来るぞ」