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「とにかく、こうしていても仕方ないわ。向こうは街は完全に封鎖したから私達が隠れてるなんて思ってないんでしょ? それに上陸部隊がいるということは、少なくともまだ戦艦からの砲火は派手にはやってこないはず。さっきの嘘の階級言ってた二人の事だってあるんだし、本格的な攻撃はまだ先になるはずよ。逃げるなら今がチャンス」
「的確な判断だが、逃げるにしても銀竜はどうする? 見捨てるつもりか」
「いいえ。オーボルトに運ばせるわ」
「オーボルトなら兄弟喧嘩中だぞ。とても無理だ」
「だったら、あの催眠薬寄越してよ。竜用の奴。あれをアヴィルドとヴェルバドに直接飲ませる。それならオーボルトは眠らないだろうし、幾ら耐性があるといってもこちらが逃げるくらいの時間稼ぎは出来るわ」
「的確ではあるが、随分と大胆な作戦だな。こちらから竜の口に飛び込むとは」
「問題はそこだけよ。乗り切りさえすれば、あとは何とでもなるもの」
「まあ同感だな。付き合おう。どうせ一人では黒鱗二人を相手にするのは無理だ」
 そう言ってトアラは上着の中から小さな小瓶を一つ取り出し差し伸べてきた。以前にも見せたものとは別の、まだ封を切っていない新しい催眠薬のようである。蓋は固く咄嗟に素早く開ける事は出来ない。だが、瓶ごと口の中へ放り込めば効果は同じであるから問題は無い。
 他の選択肢も無い訳ではないが、そのどれもがグリエルモを見捨てるものだ。幾ら自分が助かるためでもそういった行為は絶対に出来ない。すると、自ずと選択は絞られてくる。この状況を打開する鍵となるのはオーボルトである。何とか彼女を思うように動かし、軍部の攻撃から避難しなくてはいけない。
「ここを出たら二手に分かれ、東西から挟撃する。タイミングは三人が横一列に並んだ瞬間だ。私は先行して左手か中央いずれかに仕掛けるから、お前は残った方へ仕掛けろ」
「了解。ま、何とかうまくいくように神様にでも祈りましょ」
 そう皮肉っぽく笑うソフィアに、トアラもまた同様の笑みを浮かべる。珍しく対等の目線でやり取りをしたものだとソフィアは肩をすくめた。
 あれだけ面倒事を拒み続けながらずるずると引き摺り続けてきた自分、今度こそ命の張り合いは最後にしたいと思う。特赦状を受け取った後はあまり目立たない田舎に移り、しばらくは父親と一緒に大人しく何か商売でもしよう。政府には一生監視はされるだろうが、何も目立った動きを見せなければ問題はないはずである。
 平穏な生活を取り戻す事を固く誓い、その決心と共に全身へ気合いを込めて部屋を出ようとしたその時だった。
「ソフィー、行かないでよう」
 突然ベッドからグリエルモが身を乗り出しソフィアを涙声で呼び止めた。グリエルモがぐずるのは珍しい事でもなく、またいつもの事だとばかりにソフィアは溜息をつきグリエルモの元へ一旦引き返す。
「なあに? いいから寝てなさい。すぐ戻って来るから」
「でも嫌だよう。お願いだから一人にしないでよう」
「聞き訳が無いわね。ほら、また熱が上がってくるからおとなしくしてなさい。それとも、私の言う事が聞けないの?」
「でもう……」
 どうせ半病人なのだから、普段と同じようにきつく突き放してやればすぐ折れるだろう。そう踏んでいたソフィアだったが、グリエルモは珍しく食い下がってきた。多少熱は下がったものの意識は半分朦朧とし喋るのも辛いような状態のはず。それなのに何をそんな必死で食い下がるのだろうか。普段から反抗する事も少ないグリエルモの行動にソフィアは眉を顰める。
「でも何? あのね、今ちょっと忙しいから後じゃ駄目なの?」
「後も先も無いよう。お願いだから一人にしないでよう」
「もう、だから何だってのよ。後で一緒に寝てあげるからそれじゃあ駄目なの?」
 グリエルモは嫌だ嫌だと激しく首を横に振る。ここまで頑なな態度を取られたのも初めてのことで、ソフィアはすっかり困り果て小首を傾げた。普段なら適当にあしらい時折突き放せばグリエルモは大体従うものなのだが。まるで子供のように一方的に駄々をこねられてはどう対処すればいいのか、咄嗟に名案は浮かんでは来ない。
「どうして一人になりたくないの? ほんのすぐの事じゃない。いつもと同じよ」
「違うよう、同じじゃないよう。一人になるのは嫌なんだよう」
「良く分からないけどさ。何かあったの?」
「あのね、もうね、竜の島へ帰れなくなっちゃったんだ」
「え……竜の島?」
 何故グリエルモがその話を知っているのか。驚くソフィアは咄嗟に動揺を隠そうとするあまり強張った笑みを浮かべ、不自然極まりない表情をグリエルモへ向けてしまう。しかしグリエルモはよく見えていないのか、そうと分かる素振りも無くたださめざめと泣き始めた。
「帰れなくなっちゃった……?」
「そうだよう。もう誰もみんな小生に帰って来て欲しくないって。だから要らない子なんだよう」
「でも、私と会う前は一人旅だったじゃない」
「違うよう。だってもう帰る場所がないんだもの。だから小生、ソフィアにいなくなられたら本当にこの世で独りぼっちなんだよう」
 グリエルモが泣くことは滅多に無いが、ここまで悲しみに暮れる姿を見るのは初めての事だった。竜族は寿命が長いだけに機微に疎いため、悲しいと思うことなどほとんど無いものだと勝手に認識していた。しかし本当は人間が感じる当たり前の事で泣くものだと思い知らされ、自分の認識が随分誤っていたとソフィアは思った。むしろ、ろくに確かめもせずこれまで死んでしまったものだと父親を諦めていた自分の方がよほど鈍感のようにさえ思えてくる。
「極度に気落ちしたせいで体を患ったのかも知れないな。免疫力はストレス状態と密接な関係もあるらしい。竜も同じだろう」
「なるほどね……。それに、案外私と似た悩みもあるのかも」
「どういう事だ?」
「あんたが前に私へ言った事よ。グリは竜の社会で居場所を失ったの。で私も、このままグリと付き合ってたら人間社会で居場所を失いそうになるのよ。そうでしょ?」
「耳に痛いが、撤回の意思は無いな」
 グリエルモが過度のストレス状態に陥っているのなら、ここを離れるべきではないかもしれない。けれど、今は状況が最優先である。後から埋め合わせるから今は許してくれというのもムシが良過ぎる話で気は進まないが、それで納得させるしか今は他ない。グリエルモの面倒を一生見続ける決意はある。そこにオーボルトが加わっても揺らぎはしない。
「いいこと、グリ。あなたは一人じゃないの。ほら、オーボルトがいるじゃない。あなたの事をあんなに慕ってるんだから一人じゃないわ。それに、私はあなたの御主人様よ。だから御主人様の言う事は聞きなさい。そして御主人様は、しもべの期待は絶対に裏切らないものよ」
「ちょっと歪な関係だけど、一生飼ってくれるならそれでもいいかなあ……」