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 街が不自然に静か過ぎると言ったトアラの言葉も、今となっては痛いほど良く感じ取る事が出来る。
 先程の所属不明部隊とやらの姿は周囲に無く、辺りは不自然なほどに静まり返っている。いや、正確に言えば静かなのは自分達の周囲だけで、とてつもない喧騒が小路を幾つか挟んだ向こう側に渦巻いていた。それは非日常の塊のようなもので通常の認識の外側にあるべきものであり、本音を言えばそんなものは自らの日常からは追い出したいほどである。
「二人でそれぞれ不意を突こう。竜達は人間の事などまるで気に留めていないだろうが、念のためな」
「ま、命もかかってるんだし、慎重過ぎても悪い事は無いわね」
「ところで三人はそれぞれどうやって見分ける? 黒鱗は本来の姿の上、三つ子だ」
「『グリエルモが一緒に寝ようだって』とか叫べば一目瞭然でしょ」
「なるほど、オーボルトさえ見抜けば良いということか。それにしても、お前の機転の早さと度胸には恐れ入る。本気で諜報部にスカウトしたいくらいだ」
「断固お断りするわ。幾らお金を積まれても、自分から首輪はつけない主義なの」
 人気のない周囲にも出来る限り気を配りつつ黒鱗の方へ向かって接近する二人。あの部隊が黒鱗に接触する可能性も考えたものの、姿が見えないところを思うに先行して上陸したのはくだんの左官でありながら身分を偽っていたらしいトラウス准尉とリンクス曹長を救出するためと考えるのが妥当だろう。セーフハウスの場所は当然知られていると考えるべきなのだから、回収した後に戻って来た所と遭遇してしまわぬよう事は迅速に遂行しなくてはいけない。
「ドケイ、コノ下種共ガッ! 不細工ナ面ヲシヤガッテ!」
「黙レ、愚弟! 同ジ顔ノ分際デ! ソモソモ貴様ノ容姿ニハ知性ガ感ジラレンゾ!」
「コンナ愚兄共ニ似ナクテ良カッタワ。ケド遺伝子ノ存在ソノモノガ血脈的二恥ダカラ、私ガ責任ヲ持ッテ消シ去ラネバ」
 接近するに従って黒鱗達の様子がはっきりと伺えるようになる。黒鱗達は相変わらずもつれ合いながら三つ巴の戦いを繰り広げている。しかし疲れるどころか未だに血気盛んで、疲労の色は全くと言って良いほど見られなかった。
 たとえ三つ巴でも、オーボルトだけは女だから一番最初にやられてしまうものだとソフィアは初めに予想していた。しかし、たとえ女でも竜族というものは総じて並外れて頑丈なものなのか、アヴィルドとヴェルバドはグリエルモに苛められていただけあって純粋に弱いのか、どちらにしても三人の戦いには決定打というものが不足している。その戦いは重装歩兵同士が丸めた紙で殴り合っているようなものであり、このまま放っておけば膠着状態は延々と続きそうである。罵声以外で相手にダメージを与える事は無い。
「竜の闘争とは、かくも激しいものなのか」
「これに憧れている歴戦の猛者が何人もいるんだってさ。諜報部としては黙っていた方がいいんじゃない?」
「そうだな。現実主義がモットーの我々だが、ロマンの保護も肝要だ。さてそろそろ別れるぞ。出来るだけ接近したら、相手が到着するまで待機だ」
「了解」
 二人は黒鱗に辿り着く直前の通りで二手に分かれた。このまま示し合わせた通り、対角線状に並ぶ位置取りをして奇襲をかける作戦だ。
 第一の目的は、アヴィルドとヴェルバドの無力化。次はオーボルトの奪還である。オーボルトにはグリエルモと自分達を安全な場所まで移送してもらう。そしてトアラには諜報部へ改めて連絡を取ってもらい、軍部の異常行動への対応も含めて援軍を要請する。
 黒鱗達のわめき声が大きくなるにつれ、取っ組み合いの最中に起こる足下の揺れも徐々に大きくなっていった。たとえバランス感覚に自信があっても油断は禁物である。ソフィアは足下にも注意を払いながら更に接近を続ける。
 そんな中、ソフィアの脳裏にはふとある疑問がよぎった。
 何故、ただの旅芸人であるはずの自分がこんな事をしているのか。現状の非日常ぶりに気持ちが萎縮しそうになる。本来なら町から町へと渡り歩きながらひっそりと暮らす旅芸人だったはず。それが何故こんな災害地で命がけの作戦を決行しているのか、日常部分の思考ではまるで理解が出来なかった。
 しかし一分一秒でも惜しい現状であるため、そんな疑問は振り払い、今はただ目的の事だけに集中する。その気持ちの切り替えが常人離れしていると言われる所以なのかと思ったが、トアラにスカウトの理由をわざわざもう一つ進呈する理由もなく、それ自体は気にも留めなかった。
「愚妹ガッ! 何故イツマデ経ッテモ、グリエルモノヨウナ駄竜ヲ慕ウノダ!?」
「オ前ノ番ニ相応シイ雄ハ他ニモイルゾ! 腐ッテイルノハ、ソノ目カ脳味噌カ!?」
「グリエルモ様ノ玩具風情ノ腐レ竜ガ偉ソウナ事ヲ言ワナイデ下サイ。私ニグリエルモ様ヲ追ワセタクナイノナラ、マズハグリエルモ様ヨリ強イ雄ヲ探シテ来ルベキデス。弱イ竜ナド存在スル価値無シ。アラ、ソンナ愚図ガ目ノ前二」
「強ケレバソレデイイノカ!?」
「アンナモノ、野蛮ナダケダ!」
「グリエルモ様ハ強イバカリデハナク繊細デ優シイ御方デス。マトモニ作曲スラデキナイ愚兄ナド、グリエルモ様ノ前デハ蜥蜴以下。ドウカ死ンデ下サイ。死ンデ肥料ニデモナッタ方ガ世ノ中ノ為デス」
 黒鱗達の決闘、というよりももはやただの兄弟喧嘩にしか過ぎないそれを横目にソフィアは目的の位置へ到着する。それとほぼ同時にトアラの姿が反対側に現れる。向こうも無事に辿り着いた様子だ。
 するとトアラはいきなり指で何やらサインを出し始めた。単なる合図というよりは複雑に組み合わせた手話に近いサインである。無論、予め示し合わせた訳でもなく手話自体も知らないのだから、トアラが何を言っているのかなどまるで見当も付かない。とりあえず勘で、間髪入れずすぐに行動へ移そうと言っていると判断する。するとそんな意図が通じたらしく、トアラはこちらに合図を任せてきた。
まったく、自分はこういう状況に馴染みすぎだ。そう自嘲しながら指を三本示し、それを順に折り曲げて合図するという予告をする。
 三。
「何故ソンナニモ兄ヲ憎ムノダ!?」
 二。
「我ラ、コレマデニモアレホド愛情ヲ注イダデハナイカ!」
 一。
「グリエルモ様ハ私ノ全テ、既二私ヲ捧ゲマシタ。ソノ敵ガ私ノ敵ニナルノハ必然的」
「オーボルト、そのグリエルモが交尾したいって!」
 瞬間的に塗り換わる辺りの空気。
 黒鱗達の反応も待たず、ソフィアは手に小瓶を握り締め、一気に前方へ躍り出た。