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 標的は向かって左側と中央、今の言葉に大して一番最初に振り向いた竜以外だ。
 こちらから見て右側か中央どちらかに仕掛ける取り決めだったトアラは既に中央へ突っ込んでいた。従って自分が仕掛けるべき相手は向かって残る左、握り締めた小瓶をうっかり取り落とさぬよう注意しながら自分も体を強く蹴り出す。
「グ、グリエルモ様ガッ!? 私ヲオ求メニ!? アア、ソウイエバ御身ハ何処ヘ!?」
 オーボルトは突然取り乱し両手を無茶苦茶に振り回しながら奇妙なステップを踏む。急激に興奮したため己を見失っているようだった。
「ナ、何ヲ戯ケタ事ヲ言ウノダ!」
「誰ダ、ソノヨウナ破廉恥ナ事ヲ言ウ奴ハッ!」
 あまりに予想外だったらしく、アヴィルドとヴェルバドは遅れてソフィアの方を振り向く。竜独特の爬虫類のように縦長に伸びた瞳孔が四つ一時にソフィアを睨みつける。しかし動揺の方が大きいせいかそれほどの殺気や威圧感は無く、むしろ竜も意外と純情な所があるものだと微笑ましくすら思える。
 ソフィアに気を取られた隙を突き、トアラは叫ぶ中央の竜に背後から近づくと、軽く飛び上がり背中の翼の付け根へしがみついた。そのまま左腕を首へ回し押さえつけると、何事かと口を開きながら振り向いたその中へ小瓶を放り込んだ。反射的にその得体の知れないものを飲み込む竜、トアラはそれを確認すると用件は済んだとばかりにすぐさま離れ距離を取った。
 見とれる暇も無いほど実に無駄の無い動きであるとソフィアは感心する。トアラは自分は戦闘技術は無いと言ったが、やはりその言葉が謙遜である事を証明するに十分だった。
 次は自分の番だ。
 ソフィアは残る左側の竜へ向かって駆けると、一体何が怒っているのか未だ理解出来てはおらず硬直しているその体を一気に駆け上がる。思ったよりグリップの利く滑りの悪い竜の鱗は非常に登りやすく、ソフィアは勢い余って頭頂部まで駆け上がった。だが上にいる分には何も問題は無い。
「恥じらいの無い女で悪かったわね」
 ソフィアは竜の頭の上に腰掛け上顎を無理矢理開かせると、その中へ小瓶を投げ込み閉じさせる。そして腕を自分の所まで伸ばされる前に、背中側から背骨のラインに沿って駆け下りた。
「ムムム、何カ口ノ中ヘ入ッタヨウナ気ガスル」
「キット気ノセイダゾ弟ヨ。ソノ証拠二口ノ中ニハ何モ無イ」
 黒鱗達は何を飲まされたのかはあまり良く分かってはいない様子だった。流石、群を抜いて生命力の高い種族である。多少の出来事には物怖じする所か気にすら留めようとしない。
 二人に飲ませた小瓶は、ほどなく胃に到達し強酸で一瞬の内に溶けるだろう。だが中身まではそうもいかない。小瓶の中身は強烈な催眠薬、随分と耐性はついているようだが全く影響を及ぼさないほどではない。
「ガッ!? ナ、マタコノ感触ガ……」
「ナント心地良イ……故郷ヘ帰ロウカ……」
 想定通り、二人は突然両目を見開いたかと思うとそのまま瞼を重そうに閉じる。みしみしと骨の軋む音を立てながら二人は人間の姿に戻っていき、その場に崩れ落ちた。
「ったく、我ながら大したものだわ。こんなの相手にするのに慣れちゃってるんだから」
 溜息混じりに愚痴をこぼすソフィア。するとその目前で、意識を失った二人に対しオーボルトが早速爪を突き立てていた。しかしオーボルトの爪はさほど強くはないらしく、幾ら当てても金属を引っかくような音を立てるだけで弾かれている。
「オーボルト、行くわよ! そんなの相手にしてない!」
「オオ、ソウデシタ。早速グリエルモ様ト愛ノ営ミヲ」
「何でもいいから、目立つから人間に戻りなさい」
「コノ姿ガ元ナノデスガ……」
 そう不満げに答えるものの、オーボルトは体を軋ませながら人間の形へ姿を変わる。しかしそこに現れたのは全裸の女性だった。思わず同性ですら息を飲んでしまうほど美しい姿ではあったが、場所と状況があまりに似つかわしくない。
「ちょっと、なんで裸なのよ」
「えっ? あ、そ、そういえばそうでした……。本来の姿ですと破れてしまうから……。ですが、その……交尾とはそもそも裸にならなくてはいけない事ですし……」
「ったく……一般人が締め出されてて良かったわ。こんなの見せたら、盛りのついた頭の悪い男共が大騒ぎを起こすわよ」
「別に雄猿なんてどうでもいいですし……その、邪魔なら爪とかで、こうザクッと」
「やったら二度と平穏は訪れなくなるわ」
「そうなのですか?」
 オーボルトにそういった配慮は初めから期待していないから落胆などしない。そう言い聞かせたソフィアだったが、聞かされる度にどうしても竜族の当事者意識の無さに怒りなどを通り越した落胆を覚えてしまう。そんなものを保護しようと言う自分は、確かに客観的に見れば随分と酔狂な存在である。政府でなくとも、何を企んでいるのかと気になっても仕方ないだろう。
「そういえば、お前も一般人の範疇だったはずだが?」
 ふとトアラがそう言いながら、付近で調達してきたらしい薄手のブランケットを裸のオーボルトにかける。オーボルトはいそいそと体に捲いて隠すが、あまり大きなブランケットでは無いせいか合わせ目がすぐにでも解れてしまいそうだった。釘でも打ち込んでやろうかとソフィアは舌打ちを一つする。
「そんなつもりなんかないんでしょうが。政府的にはさ」
「正確には世間一般だな」
「正確じゃない。世論は政府が作ってるようなもんだし。それよりさっさと次行くわよ。オーボルトに見とれてないで」
「そんな事は無いが」
「男ってみんなそう言うわ。ほら、さっさと次行くわよ。騒ぎが収まったんだから、すぐに気づかれるわ」
 トアラが困ったように眉を顰めるのを無視し、ソフィアはオーボルトの手を引き早足で歩き始める。
「あの……私はグリエルモ様にお会いしたいのですけれど」
「これから合流するの。あんたじゃないと運べないからさ」
「そうですか……。グリエルモ様はまだ動けないというのに、それでも私と……ああ、嬉しい」
「御満悦のところ悪いけどさ。オーボルト、これだけは覚えてなさいね」
「大丈夫です。グリエルモ様のためなら、たとえ猿如きのあなたでも私は協力を惜しみません」
「違うわ。あんたに貸したあの服、高かったのよ。絶対に弁償して貰うからね」