BACK

 目的地まで半分より僅かに先へ来た所で日が落ちた。夜も引き続き移動したいとも思ったが、昼間よりも軍部以外の危険要素もあるばかりか疲労も無駄に蓄積する事もあり、その日の行動は止め野宿となった。疲労感は全く無い訳ではなかったものの、それよりは久しぶりの野宿という事もあって何でもない風音が気になり、あまり落ち着く事が出来なかった。
 トアラはともかく、グリエルモの様子は気がかりではあった。しかし病身で長く移動した割に体調は悪化しているようには見えず、むしろ口数も増えて快方に向かっているようにも見受けられる。気持ちの整理がついたためか、体も元の不死身に近いそれに戻ったのだろう。すぐに戻らないのは精神的な不調が原因だったからなのだろうが、単に甘えでだらだらしているだけにも見受けられる。もっとも、使い物になるのであればいざという時の戦力として数えられるのだから、それはそれで構わない。
「疲れているか?」
 体を冷やさぬための焚き火、その向こう側でトアラが支給された竜殺しの手入れをしながら問いかけてくる。もはや竜と戦う事など無いのだが、手持ち無沙汰のだろう。意味の無い事でもしていなければ落ち着けないという心理はソフィアにも良く分かった。
「まあね。そろそろちゃんとしたベッドで寝たいわ。お風呂にも入りたいし、火の通った温かいものも食べたいし」
「この件が片付いたら、諜報団で使っている保養地に招待しよう。一流のサービスが受けられる施設が揃っているから、きっと満足できるだろう」
「諜報団には入らないわよ」
「別に構わないさ。家族までなら利用できる比較的オープンな場所だ。協力者なら許可も下りるだろう」
「それならいいわ。あんたのツケで思う存分楽しませて貰うわよ」
 当初は父親の特赦のため致し方なく協力しただけだが、気がついてみると随分奥深くまで関わってしまった。おそらく組織からしてみれば単なる協力者の枠に収まらない位置まで来てしまったように思える。この件が片付いた後も何かにつけて接触されてしまいそうな予感が拭えない。ならば、その都度法外な見返りを要求するのが良いだろう。それで諦めてくれるならそれで良し、条件を飲んででも協力して欲しいと言うのならそれはそれで美味い見返りが得られるのだから後悔も少ないはずだ。
「ところで、ソフィ。どうして我々はここで野宿をしているんだい? 宿なら小生が街まで連れて行ってやるのだが」
 状況を把握していないグリエルモが今更としか言いようの無い質問を平然と繰り出してくる。普段なら呆れもせず無言でひっぱたくのだが、これまで高熱でうなされていた事を考えると今回ばかりは手が出せない。
「今ね、怖い連中に追われてるからよ。もしかすると街も包囲されてるかもしれないから、迂闊な事は出来ないのよ」
「それなら小生が追い払ってあげるよ。なに、猿は群れても所詮は猿だからね」
「はいはい、頼りにしているわ」
 得意げに語るグリエルモは、やはり状況の深刻さは理解出来るほどの思慮は持ち合わせていないように見える。外敵は都度追い払えばいいというこれまでのスタンスは間違いではなかったが、もはや国家単位での問題になってしまった今後も通用するものではない。たとえ追い払い続けたとしても、最終的には全人類が持ち得る戦力を注ぎ込むところまでエスカレートしかねない。政府を敵に回すというのはそういう事である。そんな悪循環に陥るよりも別な回避策を練るのが今後の課題になるのだから、グリエルモの存在はそれほど重要では無くなりつつあるように思う。ただ、自分の傍にグリエルモを置くのは絶対に壊れない盾を構えているようなものだから、そこから得られる安心感が自分を見失わせないだろうという期待だけはある。
「あー、なんか寒くなってきた。オーボルト、ちょっと入れて」
「え? 何をですか?」
「毛布の中よ。別に竜族は寒くないんでしょ」
「私は……グリエルモ様の方が……」
「小生は入らないよ。そうだ、それよりも小生がソフィーと入るから毛布を寄越したまえ」
「馬鹿。あっち行ってなさい」
 ソフィアには逆らえないグリエルモは渋々焚き火の前で膝を抱え寂しそうにじっと火の中を見つめる。オーボルトは何か言いたそうではあったが、それはあえてさせなかった。グリエルモが言わなくてもいい事を口にするのは目に見えているからである。
 グリエルモはオーボルトに対してぞんざいな扱いのままである。オーボルトはグリエルモと結婚する約束をしたような事を言ってはいたが、グリエルモの態度から見て取れる通り何かの勘違いか思い込みだろう。けれど、竜族で唯一の理解者であるだけでなく、これだけ一心に愛情を向けてくれる相手を冷たくあしらうその態度は許せない。オーボルトにはアヴィルドやヴェルバドに対して盾になってもらったのだから、グリエルモを改心させ思いを遂げてもらいたい。だが、グリエルモは自分の命令は聞いても基本的には自分の感情に忠実だ。根本的にオーボルトへの見方を変えさせなければ解決はしないだろう。
「竜族とうまく付き合うコツでもあるのか?」
「何よ、それ。嫌味? どっちか選べとか説教した人のセリフじゃないわね」
「竜族との共存など有り得ない。それが政府としての見解だが、お前を見ていると別な可能性もあるように思えてきてな。いわゆる取り扱いマニュアルのようなものが作成出来るなら、お前の立場も多少は擁護する余地が出て来る」
「ふうん。まあ、素直に喜んでおくわ。けど、大したものは無いわよ? そうね、猫を飼うのと一緒よ」
「猫?」
「下手に拘束しないことね。最低限やっちゃいけない事だけ決めておいて、それをやろうとした時にとことん怒ればいいのよ」
「殺されるんじゃないのか?」
「大丈夫よ。ほら、試してみたら?」
「遠慮しておこう。好奇心で命は落としたくない」
 それが一般人の神経だろう、とソフィアは思った。竜族に対して強気の態度を取る事は、普通の人間なら自殺行為としか捉えない。世界で自分だけが出来るとも考えたくは無いが、これまでグリエルモが竜と知っていながら挑んだ腕力自慢達の末路を思い出す限りでは到底自分がまともであるとは思えない。それも自分が卑下する所が政府には脅威とも異端とも取られるのだから尚更だ。
「む……?」
 ふと、その時だった。不意にトアラの表情に緊張の色が走り、おもむろに視線を街道の方へと向ける。そういえば猫はこういう仕草をたまにするな、とソフィアは一人首を傾げた。
「どうしたの?」
「火を消せ。急げ、見つかるぞ」
 厳しい表情で薄闇を遠く見つめるトアラ。一体何事かと思ったが、ひとまず言われた通り焚き火に土を被せ消す。
「聞こえるか? おそらく軍部の追跡部隊か何かだ」
「聞こえるって。どう?」
 これと言って何も聞こえないソフィアは小首を傾げながらグリエルモやオーボルトに訊ねる。しかしグリエルモは拗ねているのか顔を伏せたままこちらの問いに答えようとしない。
「多分……馬ではないかと。がちゃがちゃと金属のようなものがぶつかる音も聞こえます」
「何時から?」
「大分前から」
 何故今まで黙っていた、と不毛な追求は避け、ソフィアはオーボルトの毛布の中から飛び出し状況を確認する。耳を澄ませると、確かに蹄の音が微かながら聞こえてくる。それも数え切れないほどの大軍だ。
「どうやら山狩りのつもりだな。日が落ちれば行軍は止める。この付近に陣取られるかもしれないぞ」