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 トアラの指摘通り、騎馬らしき編成部隊は程無く行軍を止め野営の準備に取り掛かった。陣幕やテントを張り明かりを幾つも点した本格的な野営である。物陰からそっと覗くものの、野菜は皮を剥く所から始める料理らしい料理を目にしてしまい、生理現象が起こる前にそそくさとその場から立ち去った。
 付近まで軍部が迫っている以上、暢気に野宿などしていられない。すぐさま場をたたむと四人は更に街道から外れた地点からの北上を再開した。夜の内ならば比較的目立つ事無く進む事が出来る。その分疲労は蓄積するのだが、背に腹は代えられない。
「思ったよりタフだな」
「そこら辺の若い娘さんとは違うのよ」
「ソフィー、疲れたなら小生が背負ってあげるよ。いや、こう抱き抱えるのもいいね」
「いいから、あんたは黙って歩きなさい」
「そんなあ……。ソフィーのためを思って言ったのに」
「グリ、あなたはいざという時の大事な戦力なのよ。私の事より自分を温存しておいて貰いたいの。分かる? これはグリのためなのよ」
「うむ、良く分からないけれどソフィーの温かい愛情は伝わったよ」
 グリエルモはすっかり調子を取り戻している。昏睡に近い状態で見つかった時はどうなるかと不安で仕方なかったが、この様子ならもう体調の心配は必要なさそうである。それよりも、これまでじっとおとなしくしていた反動からなのか、何かと絡みたがるのが鬱陶しくて仕方ない。いつものように受け流せばいいだけなのだが、オーボルトの手前ともなるといささか躊躇いがある。グリエルモの興味がオーボルトに向かないだけでなく、それを自分が突き放すのだから、普通に考えて心中穏やかでないのは確かだ。ただでさえ口数も少なく自己主張をしたがらないのだから、尚更不憫に思えてくる。
「相変わらず扱いが手馴れているな」
「何年も一緒にいるからね」
「お前が竜族と共存したいというのは分かったが、それは単に感情移入したせいじゃないのか?」
「何か問題かしら? ペットを可愛がるのだって根本はみんな同じ理由よ。男女の仲だってそんなもんでしょ」
「フッ、そうだな」
「鼻で笑ったわね」
 トアラにはどうしても年端もいかぬような子供扱いをされてしまう。実年齢は教えてくれないだろうし、それでも確かにトアラの方が年上だろうが、年齢差などさほども無いはず。にも関わらずこういった態度を取るのは、やはりトアラには自分を侮る部分があるからとしか思えない。
 夜も更け、辺りから自分達が発する音以外の全ての音が消え去ると、時間帯は深夜に差し掛かったかとソフィアは思った。草花が夜露に濡れ、虫の鳴き声も聞こえなくなり、漂う空気の中には清純さと一片の妖気が滲む。基本的に夜を徹する事はしないソフィアは、この時間帯に外を歩くのは久方ぶりの事だった。かと言って特別な感慨がある訳ではないが、趣向を変えるという意味では良いと思う。無論、現在進行形の面倒事が抱き合わせになっていない場合の話であるが。
「あの……ソフィアさん」
 ふとその時だった。グリエルモに近づく機を逸してしまい、再びその機会を窺うべくソフィアの後ろを歩いていたオーボルトが、やけに遠慮がちな小声でソフィアを呼び止めた。
「何かした?」
「いえ、その……あの……」
「それじゃあ分からないんだけど。はっきり言いなさいよ」
「はい……たかが人間如きに言うのも屈辱的なのですが……」
「お手洗いならあっちの物陰でしてきなさい」
「いえ、そういう事では無くて……」
 すると、急にオーボルトの背筋から力が抜けると、そのまま地面の上に膝をついた。どちらかと言えば逞しさとは無縁の容姿をしているオーボルトだが、正体は人間とは比べ物にならないほど頑丈な竜族である。ソフィアは思わずオーボルトの傍に屈み込んで様子を窺った。
「ちょ、ちょっと、どうしたの?」
「実は……発情期が近くて、熱が少し……」
「はあ? なんでまた、そんなのが……。でもさ、それって竜族の場合は雌に来るの?」
「そういった呼び方は……不本意です」
「はいはい。んで、催したの?」
「下品な表現はやめて下さい……。そういったものはまだですが、当分は体調が平常時と変わる事が度々起こり得ます。少し休めば回復いたしますので、その間私を背負って戴ければ」
 無事は分かったが馬鹿を言うな、とソフィアは溜息をつく。人に物を頼む態度云々はさておき、背負って歩くには体格差が少々厳しい。普通は遠慮するほどの差だが、竜族には基本そういった情緒は備わっていないから初めから期待もしない。
「どうした?」
 こちらの異変に気づいたのか、先を行っていたトアラとグリエルモが引き返して来た。
 この状況をどう説明すべきか、ソフィアはいささか困惑する。幾ら竜族でも、さすがにこういった事を表沙汰にはされたくはないだろう。だからこそ自分だけに打ち明けたのだから。
「オーボルトが具合悪いんだって。少し休めばいいそうだけど」
「だが、まだ軍部の宿営地からあまり離れていないから、止まるのはもう少し先にしたい」
「そうよねえ。私には背負って歩けないし」
 ここはグリエルモと接近して貰うチャンスではないだろうか。ただ、それをオーボルトが良しとするかだが。
 そう思い立ったその矢先、既にグリエルモはへたり込んだオーボルトの前にいた。
「まったく、君は音楽の才能はあっても体力が無い、貧弱な竜だね。人間に劣るなんて呆れて物も言えないよ」
「も、申し訳ありません……オーボルトはグリエルモ様にご迷惑をおかけするつもりではなかったのですけれど……」
 あの馬鹿……!
 グリエルモは普段の調子でオーボルトに辛辣としか取れない言葉を浴びせていた。グリエルモ自身には悪意は全く無いだろうが、幾らグリエルモを盲信しているオーボルトでもその言葉の意味合いを前向きに受け取るなど不可能だ。特にオーボルトの気持ちを知っているだけに、血の気が引くような急激な怒りを覚える。
 しかし、
「分かったから。仕方ない、君は小生が背負ってあげよう。小生は博愛主義者でもあるから、猿も虫も平等に扱うのだ。あ、ソフィーは太陽だから別格だがね」
 グリエルモは荷物を持ち上げるように無造作にオーボルトを背負った。
 あっけなくまとまってしまった事態に、ソフィアは振り上げた拳の行き先を見つけられずその場に狼狽えた。確かに竜族は人間と価値観は違うのだが、こう予想も出来ない展開を迎えてしまうと自分の気持ちの入れ込み方加減が分からなくなってしまう。
「本当にオーボルトは体調を崩したのか? それにしてはいささか様子が妙だが」
「レポートにするほどの事でも無いわよ。ほら、さっさと行きましょう」
 小首を傾げるトアラの背を押し、ソフィアはせめてもの気遣いとばかりに二人から若干距離を置く。どうせオーボルトは感謝もしないだろうが、無論自分もそれを期待してやっている訳でもない。
「ん? なんか君から良い匂いがするね。何だろうか、得体の知れない」
「そ、それはですね……」
「むう、しかし言い知れぬ妙な気分になってきた。何やら下腹がうずくような」
「私は胸が高鳴って……ああ……グリエルモ様」
「それは少し喧しいから落ち着けたまえ」
 オーボルトは今にも気を失ってしまいそうなほどの満面の笑みを浮かべている。時期も時期だけに、少々刺激が強すぎるようだ。
 とりあえず、他人にあまり興味のないグリエルモなら当分はばれることはないだろう。このまましばらくオーボルトを預けておけば、その内何かしらの情愛は生まれるかも知れない。
「さてと、こっちはどうするの?」
「おんぶの話か?」
「違うわよ、馬鹿。町に着いてからの行動よ」
「そうだな。とりあえず密航するなり本国へ渡る手段は幾つか考えたが、町の状況次第だな。最悪、軍部の偵察艇でも奪取してみるか」
「奪取、ねえ。ま、竜の背中に乗って飛ぶよりは穏やかね」
「それも悪くはないんだがな」