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 空気の冷たさが底を打ったと思われる頃、ようやく一行は小休止に入った。しかし気温が下がりきるのは朝方で、夜明けまでは幾ばくもない。夜を徹し歩き続けて僅かな仮眠だけでは疲れも残る。状況が状況だけに、それでも最前を尽くした上で足りない分を気力で補うような暴挙に出なくてはならなかった。
「仮眠を取っていて構わないぞ。見張りは私がする」
「分かったわ。何かあればすぐ起きると思うけど、一応動く時は声かけてね」
 トアラは相変わらずの無表情で疲れの色は微塵も見せていない。疲労を感じていないはずはないのだから、よほど精神的に無理をしているようにも見受けられる。案外、諜報員とは仕事中は不安で眠れないのだろう。
「グリ、あんたも少しくらい寝なさいね」
「え? ああ、うん、そうだね」
 グリエルモは体調も回復したせいか血色の良い顔で返事をする。だがその返事が曖昧なのは、グリエルモに張り付いているオーボルトのせいである。発情期に入りかけているらしいオーボルトは、グリエルモにぴったりと寄り添いながら熱っぽい視線をじっと送り続けている。それだけなら以前と変わらないのだが、問題はそれに対するグリエルモである。これまでのオーボルトに対する扱いを振り返れば、こういった執拗な行為にはむしろ辟易し真っ向から文句をつけてもおかしくはない。だが、何故かグリエルモは珍しく黙り込んでそわそわしていた。オーボルトの変貌に気がついてはいないかもしれないが、何か普段とは違う事に戸惑っているのだろう。
 ともかく、仲良くやってくれるならそれで良い、とソフィアはそれ以上の詮索もせず体を木に預けて目を閉じた。
 小一時間ほどそうしていた後、一行は再び町へ向けて歩き始めた。オーボルトは症状が収まったのか自分の足で歩いているが、相変わらず楚々とした表情だが終始グリエルモの腕にべったりと張り付いている。一方のグリエルモは珍しく、一体どうしたらいいのかと困惑の表情を浮かべている。オーボルトをどう扱えばいいのか分からないとばかりの様子だ。今まで自分の感情には素直に生きてきたため、心と体で反応が異なっている現状が飲み込めていないのだろう。
 朝と正午の間ほどの時間になった頃、ようやく目的地である港町に辿り着いた。途中で軍部に出くわすこともなく、実に順調な行程である。
「妙だな……」
 しかし、町に到着したトアラの第一声は疑問のものだった。
「何が? 別に普通じゃない。軍部もいないみたいだし」
「陸続きの町で黒鱗が暴れ一般人は全て退去、事態の沈静化のため軍艦まで乗り出しているんだぞ? もう少し緊張感があってもいいはずだ」
「そういう気質なんでしょ。この国のさ」
「まさか……情報が規制されているのかもしれないな」
「難しく考え過ぎよ。ほら、さっさと港に行きましょう。乗船手続きをしないと」
 今一つ納得の行かない様子のトアラだったが、ソフィアに背を押され渋々港へと向かった。
 チケット売場は混雑しており、その光景はどこの港でも見られるものだった。流通も正常に機能している証拠である。長らく離れていた日常風景であり、ソフィアはこの喧噪の中に安らぎすら感じていた。街に着いてからも神経を張り詰めているトアラが滑稽にすら思う。しかしそれもただの職業病なのだろうと、あまりつつかないことにする。
「グリエルモ様、これからどちらへ向かうのでしょうか?」
「さあ、小生には分からないよ。それに、そういう事をソフィーに訊くと怒られるしねえ」
「怖いですからね」
「そうだね、怖いねえ」
 生物の頂点に立つ生き物に恐れられる自分は一体何なのだろうか? 不本意な言葉にソフィアは眉をひそめ溜息を一つつく。軍部の動向もそうだが、この事態を乗り切った後にはこの二人をどうするのかという課題が浮上する。とりあえず一生面倒は見ようとは思うものの、人間社会にはどう接しさせればいいのか具体的なモデルは見えていない。人類で初めて竜族と共存しようとした物好きになろうとしているのだから、問題は全容が見えないほど山積している。
 やがてチケットが入手できると、その足で直接客船へと向かった。船の周囲に軍部が見張りを立てているかとも思ったがそのようなものは見当たらず、あっさりと乗船手続きは終わり客室へ案内されてしまった。一般人の中に紛れ込んでいる可能性も考えたが、集団の中で別な意図を持って行動する人間はとかく目立つ。これまでの誉められない経験上、そういった人間を見逃すはずもない。
「結構いい部屋取ったのね。船も大きいし、目立つんじゃないの?」
「いや、客が多い方が逆に目立たない。いざという時に時間稼ぎにもなるからな。それに自由に入れる部屋は一つでも多いに越したことはない」
「でも意外と拍子抜けよね。こうあっさり船に乗れるなんて。昨夜の軍部の捜索隊って、今頃まったく関係無いところを探してるのかしら?」
「そうであると助かるんだがな」
 トアラの口調はまるで別の危険の可能性があると言わんばかりの、今一つ煮え切らないものだった。しかしソフィアはそれについてもはやまともに取り合おうとはせず、疑うのが仕事なのだから仕方がないとばかりに哀れみさえ向けていた。
「グリエルモ様、ここからは水が出てくるようです。御一緒に、その……水浴びでも如何でしょうか……?」
「小生、冷たいのは嫌だよ。やるならお湯にしたまえ。文化的に」
「そうですね、早速準備いたします」
 自由行動が黙認されたと嗅ぎ取ったのか、早速二人は勝手な行動を取り始める。船内が安全でも、竜族は必ず余計な事をし問題を起こす。かと言って行動を全て制限するとストレスですぐ拗ねてしまうため、最低限室内に限っては大概のことは大目に見た方が良い。
「あ、バーカウンターなんて小洒落たものもあるのね。何か飲む? 私はオレンジソーダにしようっと」
「ああ、同じので構わない」
 トアラはソファーに座ったままじっと考え込んでいる。返答も空返事そのもので、明らかに飲みたそうには見えない。 
 しばらくして浴室の方から二人のはしゃぐ声が聞こえてきた。そのほとんどはオーボルトのものだったが、グリエルモもこれまでに比べれば満更でもない様子である。
「ねえ、知ってる? あれでもう百年以上生きてるんだってよ。その割に、中身は私らよりも子供よね」
「時間の観点だ。寿命が圧倒的に違うのだから、精神の成長も違うだろう」
「じゃあ、犬猫は人間を子供のように見ているの?」
「知らないのか? 猫は人間の赤ん坊でも親のように世話をするんだぞ」
「まさに、人間と竜の構図と同じね」
「人間と、ではない。お前と竜族とに限った構図だ」
 それきりトアラは再び考え込み出し、会話は途切れてしまった。
 無言に慣れていない訳ではなかったが、二人きりではとても間が持たない。元々そういった状況をほとんど経験した事がないソフィアにとっては、とても長い時間耐えられるようなものではなかった。
「あ、そうだ。ちょっとお金貸して。オーボルトに服を買ってくるわ」
「服?」
「そうよ。政府の所だかに行くんでしょ? さすがに毛布一枚じゃ色々と体裁が悪いじゃない」
「そうだな―――あ」