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 ああも意味深な事を言われてゆっくり出来るはずもなく。肩が温まりきる前に風呂から上がり服を着替えた。
 トアラは再び普段の憮然とした表情に戻っており、先程言っていた通り早速食事へ出かける事になった。グリエルモやオーボルトは食事が出来るという事で単純に浮かれているが、ソフィアは疑念の方が強かった。どうせ食事なんてただの方便で、絶対にろくでもない事に付き合わされるのだろうと確信していたからである。
「ねえ、何でその人が居るって分かるの? 言っちゃあ何だけどさ、まだこの船だって本当にぐん―――」
「言葉は選べと言ったはずだぞ」
「でもさ」
「お前が納得いかないのは分かる。だが私の憶測は、奴がいた時こそ確信に変わる」
「誰よ奴って。さっきから訳分かんない」
 軍部に囲まれている前提の状況で昔の知り合いがいるかもしれないから挨拶に行こうとは、一体どういう神経をしているのだろうか。トアラの考えている事など到底分かるはずもなかったが、そもそもトアラは如何にも諜報員らしく決して浅はかな行動は取らない。今は分からないがそれなりに考えがあっての事なのだろうと、とりあえずは従う事にする。
「おい、お前。ソフィーに無礼を働くのは小生が許さんよ。『猿は所詮猿ー、それがうんめーい』」
「そうです……と思います。ソフィアさん、怖いです……よ?」
「気に障ったのなら謝ろう。ただ、こうして不遜に構えていないと敵は私以外を狙ってしまうから、ソフィアを守るため仕方ないんだ」
「うむ、そうか。ソフィーの盾として死ぬなら本望だろう。後は小生が大まかに歌詞で後世へ伝えるから安心したまえ」
「……どうせなら猿同士で一緒に死ねばいいのに」
 以前、グリエルモは竜族だからおかしいのか、種族は関係無くおかしいのか、疑問に思った事がある。しかしこの様子や黒鱗の二人を思い返す限り、どうやら竜族というのは感性に重大な欠陥があるようである。
 トアラは二人を適当にあしらい、ひたすらどこかへ真っ直ぐ向かっていった。自分を真似て竜族の扱い方を覚えてきたのだろうか、トアラにはあまり二人の珍妙な掛け合いには興味を示す事をしなかった。
 やがて辿り着いたのは、この船の一番の売りらしい船内施設とは思えぬほどの広さを持った大きなバーだった。船底付近から甲板までを縦に深く掘った構造で、設計に無理が感じられる代物である。しかし、そんな歪な構造などまるで気にならなくなるほど、とにかく見渡す限りに派手な装飾や飾りが施されていた。これだけでも十分楽しめる景観として成り立つだろう。
「ここなの?」
「おそらくな」
「その根拠は何?」
 トアラは質問には答えず口の端を軽く歪めただけで店内へと入っていった。入ってすぐ船底へ向かう大きな螺旋階段があり、そこから蟻の巣のように小部屋がいくつも枝分かれしている構造の店内。既存の枠に囚われないと言えば聞こえはいいが、あまりに突拍子もない異様な設計にしかソフィアには思えなかった。
 ソフィアはこの店はどこでどう座ればいいのかも分からず戸惑ったが、トアラも初めて入ったはずにも関わらず、迷う事無く下へ下へと進んでいった。当ても無しに降りているだけにも思ったがトアラには不安げに周囲を確かめるような素振りはなく、まるで本当にこの先に目的地があるとばかりの足取りである。
 やがて螺旋階段も途切れ最下層へ到着する。さすがに船底という事もあって日の光はほとんど無く、壁に所々かけられたカンテラが周囲をぼんやりと照らしている。部屋の中央には鏡面仕上げが真新しいグランドピアノが置かれていた。夜は奏者が来るのだろう。
 まだ昼間ではあったが、客の姿はまばらにあった。いずれも静かにこの独特の雰囲気を味わっているように見受けられる。一見しただけでは取り立てておかしな様子は無い。
「ねえ、ソフィー。あれ触ってもいい?」
「私も……ピアノには少し興味があるので」
「後にして。用事が終わったら好きなだけ触らせてあげるから」
 大分深くまで降りてきた事を考えると、いざという時の退路の確保は相当苦労するだろう。階段を押さえられたら、ほぼ袋小路である。グリエルモを元の姿に戻し一気に突っ切るのが妥当な所だが、下手な事をしでかし船底に穴でも空けられたら恐ろしい事態に陥るだろう。出来れば、最悪でもその手段は避けない。
 退路を気にするソフィアを後目に、トアラはただ黙々と歩いていく。その先には一回り明るいカウンター席があった。カウンターの中には初老のバーテンダーが一人、席にはどこか見覚えのある白い厚手の生地の服を着た青年が座っている。
 確か、少し前になんとなしに目にした求人誌の軍関係のページに掲載されていた軍の制服に似ている。いや、おそらくは正解だろう。白で厚手の生地に黒と錦糸の装飾がされた制服など、そう滅多にあるものではない。
 やはり全ては軍部の罠で間違いなかったのか。
 俄に緊張感を高めるソフィアだったが、トアラは少しも驚きや躊躇いなど見せず、軽い足取りでその青年の元へ近づいていった。
「やはり居たか、大佐殿」
 軍服の青年がこちらを振り向く間も無く、すかさず声をかけるトアラ。
「よく分かったな。相変わらず勘が鋭い」
 その声にゆっくりと振り向いた軍服の青年は、驚くほどにこやかに微笑んで見せた。
 誰にでも笑顔を向けるような人間には二つのタイプがある。お人好しと策略家だ。まさかお人好しが大佐などという地位になれるはずも無い。ソフィアは油断無く軍服の青年の動向を注視する。
「昔から日の当たる所が苦手だから、そういう場所を探したまでだ。実に分かり易い」
「お前こそ、その言葉遣いは何だ?」
「軍属では無いとは言え、さすがに部下の手前では敬意が足りませんでしたか? 大佐殿」
「そうじゃない。せっかく幼馴染同士が久しぶりに再会したんだ、もっと気楽にやろうじゃないか」
「悪いが、仕事中でね」
「お前は昔からそうだな」
 トアラの口調はこれで堅い方なのだろうか?
 いや、そんな事よりもだ。あれほど目の敵にしていた軍部に幼馴染みの大佐がいて、しかも何故か和気藹々と談笑している。これは一体どういう事なのだろう?