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「あんた、オーボルト一人を殺すために軍隊連れて来たって言うの!?」
 これまで終始会話には加わらず部外者としてのスタンスを取り続けて来たソフィアだったが、ザリスト大佐の明した目的を前に思わず普段発する地の声を出してしまった。慌てて口を塞ぐもののそれはとうに遅く、むしろ傍らに居たグリエルモやオーボルトが突然の大声に驚きの表情を浮かべている。
「何か不自然かな、お嬢さん? 竜族が一体どのような生物かは、むしろ我々よりも良く御存知のはずだ」
「でもさ、女一人相手に幾ら何でも卑怯よ!」
「女? 姿形は女だろうと子供だろうと、竜族は同じ人間ではない。ましてや大砲を跳ね返し甲板を切り裂くような生物に、一個師団など決して大げさとは思えないがね。それとも君は、もっと少ない戦力で竜族を確実に倒す方法を知っているとでも?」
「倒す倒さない以外の発想は無いの!?」
「軍人など、そんなものさ。現実主義者だからね」
 ザリスト大佐の意志はあくまでオーボルトを倒すことに拘る様子だ。物理的に手をかけなければ屈辱を晴らした実感が持てないのだろう。そういう唯物的な考え方は諜報部も似たようなものだが、こちらは軍人である分直接的な行動に出るから性質が悪い。
「ザリスト、ヴォンヴィダル家の轍は踏まないんじゃなかったのか?」
「銀竜相手に決闘する無謀はやらないだけだ。それに、既にお前達竜族は我々の策中にある。もはや抵抗するだけ無駄だ」
 そう言い放つザリスト大佐の視線の先では、グリエルモとオーボルトがテーブルの上にあったタバコや置物を手に取りじゃれ合っていた。特にオーボルトは現状の当事者になるのだから少しは緊張感を持つべきである、とソフィアは普段の無意味な言葉を脳裏に過ぎらせた。
「ほら、そこ二人。遊んでる場合じゃないわよ」
「あ、もしかして演奏の時間かな? 大丈夫、調律は既に万全だよ」
「私も大丈夫です。グリエルモ様との合奏ですから頑張ります」
「違うわよ。そんな事より何か感じないの? どこかおかしい所とかあるでしょ?」
 ソフィアに言われ、はてと首を傾げながら周囲を見回す二人。しばし顔を見合わせ考え込んだ後、ふと二人は揃って鼻をひくつかせた。
「ふむ、何やらうっすら妙な匂いがするね」
「何でしょう。古木を摺り下ろしたような感じがします」
 匂い、という単語につられソフィアも周囲の匂いに注意を向ける。だが別段変わったものは無く、オーボルトの言うようなものはまるで感じない。それは人間には嗅ぎ取れ無いほど微かなものなのだろうか。
「竜族にはそのように感じるのか。我々人間にはほとんど無味無臭なんだがね」
「無味無臭って言うと、まさか」
「お嬢さんも御存知の通り、諜報部お墨付きのあれだ。この室内には竜族用の催眠剤を希釈したものを先ほどから散布し続けている。竜族は香りに敏感だから、少しずつ浸透させるためにね。そして出口を狭めれば、散布した催眠剤は一箇所に長く滞留する。銀竜は竜族の中でも格別に強いが、さすがにこれだけ長時間晒されていれば無事では済まんだろう」
 にやりと勝利を確信したらしい笑みを浮かべるザリスト大佐。この密集した部屋では銃火器の類は使えないが、相手が無抵抗ならば竜殺しがあれば十分である。しかも竜族用の催眠剤は人間に何の影響も及ぼさないのだから、尚更都合がいい。まさにこの地形を最大限に活用した作戦と言える。
 しかし、
「そこの猿、気持ち悪い顔をするのはやめたまえ。精神を害するよ」
「私も……感性が汚れてしまいます」
 当の二人は平素の表情のままで一向に変化が現れなかった。幾ら時間が経過してもあくび一つしない二人の様子に、ザリスト大佐は少しずつ表情を強ばらせていく。グリエルモは耐久性が想像以上に強かったと、多少強引な説明は付けられる。だがアヴィルドとヴェルバドという実績があるオーボルトに効果が現れないのは不自然である。兄弟なのだから耐久性は同じぐらいのはず。多少強弱があったとしても、全く変化が無いとは到底考え難いのだ。
「催眠剤の特性は良く知っているようだが、ならばこれは知っているかな」
 僅かにうろたえの表情を見せ始めたザリスト大佐。そこでトアラが見せたのはあの小さな小瓶だった。しかしその中身は客室で見せられた時に比べほとんど残っていない。
「何だ、それは?」
「解毒剤さ。諜報部肝入りの、催眠剤のな」
「解毒剤……? 貴様、まさか」
「お粗末な作戦だぞ、大佐。毒と薬はセットで作るのが通例だというのに。どうだ、感情的になるとろくな結果にならないだろう?」