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 客船が丸ごと軍部のものだったという冗談のような作戦。しかしそれも、竜族二人では相手が悪かった。
 グリエルモとオーボルトを元の姿に戻し強引に脱出するという力技を行使し、あの客船はソフィアの眼下に見える一部となってしまった。ソフィアとトアラはオーボルトの腕に座りながら、眼下に広がる海と客船の様子を伺う。さすがに軍部には空を飛ぶような兵器は無いらしく、雲近くのこちらを追ってくる様子は無かった。
「さすがにこれだけ高いと少し寒いわね。ちょっと高度落とそうか?」
「いや、やめておこう。ほら、あそこを見ろ。戦艦だ。あちらからも来ている。まったく、ザリストの奴はここまでやってしまっていたとはな。軍法会議にかけられるな、これは」
「あの大佐ってさ、あんたの知り合いっていうか友達なんでしょ? それからラルスっていうのも」
「ああ、昔から良く遊んでいたよ。今も生きている中で一番古い友人だった。私は孤児院出で、ザリストとラルスはある地方の領主の息子だが、互いの出生には関係なく付き合える親友は他にはいない」
 そう言ったトアラは、どこか寂しげな微笑を浮かべた。おおよその人と形は見たままなのだろうが、今と昔とでは立場以上に変わってしまったのだとソフィアには見て取れた。それほどの友人が死んでしまったのだから、トアラが執念深くなるのも当然である。それにザリスト大佐も、方法も結論も誉められたものではないにしろ、あの執念はどこかトアラに通ずるものがある。
「とりあえず離れるぞ。ザリストは無断で部隊を率いている。時間が経てば経つほど本部が干渉してくるだろうから、こちらにとっては有利だ。闇雲ではなく、逃げきれば確実に勝利出来る」
「そうね。さっさと別な町にでも行きましょ。温かいスープが欲しいわ。寒くて仕方ないもの」
 すると、自らの肩を抱き震えるソフィアにトアラが無言で自らの上着をかけた。
「え……? あ、その」
 思わず口ごもるソフィア。トアラはただ微笑を浮かべ答えるだけだった。
「ありがと」
「気にしなくていい。僕は育ちが北方だから、寒さには慣れてる」
「僕?」
「普段はこんな口調なんだ。トアラという名前も偽名だし、今までのも仕事用の役作りさ。あんな息の詰まる人格なんてそうそう続かないよ」
「じゃあ、セーフハウスで言ってた事も嘘なのね」
「そんな事はないよ。ただ、『トアラ』で笑ったり泣いたり出来ないだけだから」
 突然口調が変わったトアラは、まるで別人のように表情を変え声の重みもまるで消え去ってしまった。この方が付き合いやすいといえば付き合いやすいが、少々これまでとのギャップが大きく俄には順応出来そうにない。ソフィアはどう対応していいのやらと困惑し微苦笑する。
「ねえ、本名は何ていうの?」
「残念だけど、勝手には打ち明けられないんだ。諜報員は自分の名前までも機密対象だから」
「難儀ねえ。まるで人生そのものが国の奴隷じゃない」
「それが出来る人間じゃないと、易々と機密情報は扱えないんだよ。それに諜報員にしか知り得ない情報もあるからね、人と違う世界観を持てるというのも魅力的な事さ」
 自分は何よりも自由を尊重するため、自ら何かに従属する神経は到底理解出来ない。しかし、にこやかに話すトアラの様子を見る限りではさほど悲観的な待遇という訳でもなさそうである。
「これからどうするの? ラルスっていう人の事もそうだけど」
「諜報員は死んでも辞められないからね。諜報部も噛んでいる以上は、もう真相を公表するだの綱紀粛正だのに固執する事はしないよ。ただ、事件の発端になった特開局だけにはそれなりに報復はさせて貰うよ」
「報復って、まさか血生臭い事じゃないわよね」
「いや。ただ、死んだ方がマシと思えるような目に遭って貰うだけだよ。色々と私生活や性癖なんかを一人ずつ調べ上げてマスコミに流したりね。社会的に居場所を無くさせる方法は幾らでもあるし。諜報部が必要としているのは竜殺しに関するライセンスだろうから」
「陰湿ねえ。ま、切った張ったよりは幾分平和的なのかしら」
「それはそうと、僕より君はどうするんだい? この件は軍部に非があるとしても、竜族に関してはまるで無関係だからね。むしろ、これだけの騒動が起こったのなら余計に竜族へ対する警戒心は強まる。下手をしたら君もこれまで通りの生活すら送れなくなるかもしれない。一生どこかへ軟禁されたり、生活区域を物理的に制限されたり」
「ホント、そうなったらどうしようかしら。さすがに政府と戦争する訳にもねえ。ほとぼりが冷めるまで、どこか僻地でおとなしくしてた方が良さそうね。グリなんかはストレス溜まりそうだけど」
「竜族と手を切るという選択肢は無いんだね」
「この二人、他に誰が扱えるのよ。私が見放したらそれこそ今より大変な事になると思うけど」
「確かに、言えてるね。じゃあ交渉の余地があるかもしれないよ」
「交渉? 何が?」
 そうソフィアが首を傾げた時だった。
 下から巻き上げる一陣の突風が襲い掛かり、思わずソフィアとトアラは顔を庇う。同時にオーボルトの体が急停止し、座っていたオーボルトの腕に慌てて掴まり強制的に前のめりにさせられる体を支える。
「グリエルモ様、オ下ガリ下サイ!」
「フム、同族ノヨウダガ知リ合イカネ?」
 目の前に現れたのは二匹の黒竜だった。
「見ツケタゾ! 竜族ノ恥晒シト愚昧ガ!」
「エエイ、イイ加減覚エロヨ、グリエルモ! 我ラ兄弟、貴様ノ宿敵ダゾ!?」
 アヴィルドとヴェルバドだ。